「2人とも――も……どうかしてるよ」
沈黙を破ったのはロンだった。ハーマイオニーも小声で「ばかばかしい」と呟く。
ハリーはシリウスの方を指差して、叫んだ。
「ペティグリューは死んだんだ!こいつが――12年前に、殺したんだ!」
「ああ、殺そうと思った。
だが小賢しいネズミに出し抜かれてな……今度はそうはさせない!」
そう言って、シリウスがスキャバーズに飛びかかる。
そうすると当然、スキャバーズを持ってるロンに飛びかかることになるわけで。
ロンは痛そうな悲鳴を上げて、ルーピン先生がシリウスを引っぺがそうとした。
だけどシリウスは、中々離れようとしない。
「シリウス、ダメだ!そういうやり方ではダメなんだ!
みんな――ちゃんと――全てを知る権利があるんだ!」
「説明なんか後ですればいいだろう!」
「良くないって言ってんのが分かんないの、シリウス!
離れてよ!ロンが痛がってるでしょ!ダメったら――シリウス!」
わたしがそう言うと、シリウスはようやく大人しくなった。
シリウスは苦々しいというか、切ないというか、そういう複雑な顔でわたしを見る。
どーせわたしの姿にママをダブらせてるんでしょ!
シーン73:叫びの屋敷・対話篇
ようやくシリウスが大人しくなり、ルーピンとは話す場を得た。
ロンはそれでも「ペティグリューじゃなくてスキャバーズだ」と言い張っているし、
ハリーは「きっとブラックはアズカバンで狂ったんだ」と考えていた。
「でも先生…スキャバーズがペティグリューなはずありません。
だってもしピーター・ペティグリューが『動物もどき』なら、皆その事を知っているはずです。
魔法省が、動物に変身できる魔法使いのことを記録しています…詳しい特徴とかも含めて。
今世紀には7人しか登録者が居ないんです、ペティグリューの名前はありませんでした」
「そうだね、ハーマイオニー。だけど魔法省は、未登録の『動物もどき』が3匹、
20年ほど前のホグワーツを徘徊していたことを知らなかったんだよ」
シリウスは「そこから説明するのか」と不満そうだったが、真横からの視線を受けて黙った。
こういう時のために、はシリウスの横に座っているのだった。
そのとき突然、背後で床の軋む音がした。
ギギギッと音を立てて部屋のドアが開く。だが、そこには誰も居ない……
「ここは呪われているんだ!」
「そうじゃない、ロン。『叫びの屋敷』は、決して呪われていたわけではなかった。
かつて村人たちが聞いたという叫びや吼え声は、わたしが出した声だ……満月の夜にね。
そう、話はすべてそこから…わたしが人狼になったことから始まるんだ」
ロンは「それとこれとは関係ない」と言いたそうな顔をしていたが、
真剣な表情のハーマイオニーに睨まれて口を噤んだ。
「わたしが噛まれたのはまだ幼い頃で、現在のようにトリカブト系の脱狼薬が開発されていなかった。
あの薬があれば、体は変身しても心は人間のままで居られる。ただの無害な狼で居られるんだ。
だから、ホグワーツに入学することは諦めていた。そこへ手を差し伸べてくれたのはダンブルドアだ…」
「ダンブルドアが…」
「そう、きちんとした予防措置さえあれば、わたしが学校に通っても何ら問題は無いと言ってくれた。
あの暴れ柳はわたしが入学したから植えられ、このトンネルはそのために作られた。
わたしが月に一度、誰も居ないところで変身できるように、とね」
ハリーにはこの話の行き着く先が見えなかったが、夢中で聞いている自分に気付いた。
「狼人間になるのはとても苦痛に満ちたことだった。噛むべき対象である人間から引き離され、
わたしは自分の体や物を噛んだり引っ掻いたりすることしか出来なかった。
村人はその騒ぎや叫び声を聞いて、とても荒々しい悪霊が住み着いたのだと思った」
「だから『叫びの』屋敷……」
「ダンブルドアが散々噂を煽ったおかげで、今でも村人たちはここを恐れているがね。
さて、変身は辛いが、幸せなことに、わたしには生まれて初めて友人が出来た。
そこに居るシリウスに、ピーター…そしてハリー、君のお父さんの、ジェームズ」
ロンが、手の中のスキャバーズをチラッと見た。
「3人の友人が月に一度姿を消すわたしに気付かないわけがない。
わたしは怖かった。人狼であると分かった途端に見捨てられるのではないかと怯えていた。
けれど、3人がわたしの秘密に気付いたとき、彼らは見捨てはしなかった。
それどころか一緒に居られるようにと、3年間も掛けて『動物もどき』になってくれた」
「僕の父さんも?」
「そうとも。3人は夜になると透明マントでこっそり城を抜け出して、変身した。
彼らがいてくれたおかげで、わたしは以前ほど凶暴な狼ではなくなった。
体は依然狼だがね、しかし、彼らと居ると、わたしの心はそこまで狼に支配されなくて済んだ」
はこっそりとシリウスを窺った。どこか懐かしそうな顔をしている。
「ほどなく、わたしたちは『叫びの屋敷』からも抜け出すようになった。
シリウスやジェームズは狼を抑制できるほど大型の動物に変身できたんだ。
ホグワーツやホグズミードの隅々を探検した。そうして出来たのが『地図』だ。
まあ、これには……つまり、先生にも協力してもらったんだがね」
予想外なところで母の名前が出てきて、はぴくりと体が反応した。
シリウスが不思議そうな顔をするが、何でもないような顔をして誤魔化す。
「浅はかだった。わたしたちは自惚れていたんだ。もし何か間違いがあって、誰かを噛んでいたら…
わたしはその事を思うと今でもゾッとする。あわや、という時が何度かあった……
ダンブルドアの信頼を裏切っているという自覚も罪悪感もあった。だがそれ以上に嬉しかったんだ」
ルーピンの声には自己嫌悪の響きがあった。
「この1年、わたしは何度もシリウスが無認可の動物もどきであることを告げるべきが悩んだ。
しかし結局、いつも出来なかった。この歳になってもやはり、ダンブルドアの信頼を裏切ることが怖かった。
入学させてくれた、職を紹介してくれた、その恩を裏切ったと認めることが怖かった」
「先生……」
「だからわたしは、シリウスの脱獄に動物もどきは関係ないと思い込もうとしていた。
きっとヴォルデモートから学んだ闇の魔術を使ったんだと思いたかった。
―――そうだな、その点ではスネイプの言うとおりだったというわけだ」
“スネイプ”の名前に、シリウスは嫌そうな反応をした。
「彼はこの1年、わたしは信用できないとダンブルドアに進言し続けていた。
理由は、学生時代にシリウスの仕掛けた悪戯で彼の命が危険に晒されたから、だね。
彼はその…わたしが月に一度どこへ行くのか興味を持って、すこし探ろうとしていたんだ」
「当然の見せしめさ。ハイエナみたいにこそこそ嗅ぎ回りやがって」
「聞いての通り我々は――仲が良いとは言えない間柄でね。
彼はある晩、柳のほうへ引率されていくわたしを目撃した。
そこへシリウスが『柳のコブを突けば後をつけて穴に入れるよ』と教えてしまった」
はシリウスを横目で睨んだ。このおじさん、碌なことしてないじゃないか。
「ジェームズがすぐに聞きつけてスネイプを引き戻したから大事には至らなかった。
しかし彼は、わたしの姿を…狼の姿を、チラリと見てしまったんだ。
そのときはダンブルドアがきつく口止めして事なきを得たが……」
「だから……だからスネイプは先生のことが嫌いなんですね。
スネイプは、先生もその悪ふざけに関わってると思ったんだ」
「その通り」
突如、ルーピンの背後から、嘲るような冷たい声がした。
全員の視線がそこへ集中する。
セブルス・スネイプは透明マントを脱ぎ去り、そこへ立っていた。
ハーマイオニーは短い悲鳴をあげ、シリウスがサッと立ち上がる。
しかしスネイプは杖をルーピンにぴたりと宛てて、いつでも攻撃できる状態だった。
「ポッター、暴れ柳の下でマントを見つけたのだが、中々役に立った。
ルーピン、君は今夜、例の薬を飲み忘れていただろう?
我輩がわざわざ持って行ってやったのは幸運だったな、あの地図を消し忘れていたようだぞ」
「セブルス――」
「黙りたまえ。我輩が繰り返し校長に進言してきた事態がまさに実現していることよ。
君が旧友のブラックを手引きしていると。まさかこの古巣を隠れ家にしていたとは驚きだがね…」
途中で言葉を切り、スネイプはを見た。
「しかし君に優るほどの驚愕もあるまい、アンドロニカス。
いや、正式な名前でお呼びしたほうがよろしいかな、・。それとも、ブラック、と?」
ハリーたちはギョッとした顔でを見た。
は居た堪れない気分を隠せず、眉を顰めながらスネイプを見返した。
「っ……、で、結構です、スネイプ先生。
スリザリンの方はみんな勘違いしているようですけど、うちに父はいませんので」
「フン、その物言い、母親に瓜二つで気味が悪いわ……だが、まあいい。
今夜またアズカバン行きが2人出る。そのとき君の母親がどうなるか、見物ですなあ?
今も吸魂鬼どもに囲まれ、無意味な警備をしている哀れな女よ……」
「愚かだな、スネイプ。学生時代の恨みで、無実の者をまたアズカバンに送り返すというのか?」
スネイプの言葉に、シリウスが辛抱できないように立ち上がりかけた。
が、ルーピンの静かな反論の方が早かった。
バーン!と音がして、スネイプの杖からロープが吹き出す。
そのロープはルーピンの手首や足首に絡みつき、身体の動きを封じた。
今度こそシリウスが立ち上がり、殴りかかろうとした。
しかし今度も、スネイプの杖の方が早い。シリウスの眉間にまっすぐ向けられている。
憎しみを露に睨み合う2人を、ハリーは麻痺したように眺めていた。
いったい誰を信じればいいのだろう?ロンとハーマイオニーの方をチラリと窺う。
ロンは相変わらずキーキー鳴いているスキャバーズを抑え付けるのに必死そうだったが、
ハーマイオニーは難しい顔をしていた。そしておずおずと、スネイプに話しかける。
「あの――あの、スネイプ先生。この人たちの話を聞いてあげても害はないのではありませんか?」
「ミス・グレンジャー、黙っていたまえ。君は停学処分を待つ身ですぞ。
きみもポッターもウィーズリーも…許容されている一線はとうに越えている」
「でも……もし、もしも、誤解だったら……」
それでも食い下がるハーマイオニーに、スネイプがついに切れた。
「黙らんか、このバカ娘!
わかりもしないことに口を挟むな!君も一生に一度くらいは黙っていたまえ!!」
ハーマイオニーはぎゅっと唇を結び、黙った。
スネイプは杖を握り締め、にたりとシリウスに哂った。
「お前を捕らえるのが我輩であればと、どんなに願ったことか。
は駄目だ。あれは要らん情を持ちすぎている……“嵐の女”の名が泣くわ」
「ハッ、勘違いするな。はお前ごときに駄目出しされていい女じゃない。
しかし、ネズミを城まで連れて行くというんなら、お前のそのチンケな望みも叶えてやっていいがな」
「ほう、殊勝な態度だな。ならばそれに免じて、移動距離を少なくしてやろう。
柳の木から出たらすぐに吸魂鬼を呼んでやろう、何も城まで行かずともよい。
連中はきっと君に会えた喜びのあまり、“キス”をする…なに、を呼べば済む話だ。
嬉しいだろう?どうやら貴様はまだあの女に情があるように見受けられるのでな…」
シリウスはぐっと返答に詰まった。
『吸魂鬼のキス』の話題はそうとう精神に堪えるのだろう。
は制服の裾を握り締めながらおろおろと2人の男を見た。
どうすればいい?ただに本当のことを知ってもらいたいだけだったのに……
スネイプはルーピンを縛るロープをも引っ立てて、「全員来るんだ」と言った。
しかしその時ハリーが飛び出し、部屋を突っ切ると、スネイプに立ち塞がった。
「どけ、ポッター。
我輩がここに来て貴様の命を救ってやったのが分からんか」
「ルーピン先生が僕を殺す機会なら、この1年に何百回だってあったはずだ。
もし先生がブラックの仲間だったら、守護霊の訓練のときにでも殺せばよかったんだ!」
「故にそれをしなかったこの人狼はブラックの手先ではない、と?
ポッター、人狼の思考回路などを我輩に推し量れとでも言うのかね?さあ、どけ」
ハリーは怯まなかった。
キッとスネイプを見据え、ハッキリした口調で言う。
「恥を知れ!学生の時からかわれたくらいで話も聞かないなんて――」
「黙れ!我輩にそんな口の聞き方をするとは何様のつもりだ!
といい貴様といい、揃いも揃って蛙の子は蛙であることよ!
ブラックのことで判断を誤ったと認めないその高慢さ、父親譲りだな!
どけ、ポッター、さもないとどかせてやる。どくんだ、ポッター!!」
スネイプの狂気じみた大声に、ハリーは意を決した。
サッと杖を構え、スネイプがハリーの方へ一歩も踏み出さないうちに呪文を唱えていた。
「エクスペリアームズ!」
「え、ええーっと…レダクトッ」
ハリーは武装解除の呪文を唱えたが、それを唱えていたのはハリーだけではなかった。
振り返ると、ロンとハーマイオニーも杖を構えていたのだ。
ドアの蝶番が軋むほどの衝撃が走り、スネイプは足元からふっ飛んだ。
そのまま壁に激突し、ズルズルと床に滑り落ちる。
トドメを指すように彼の頭上で古ぼけた花瓶が砕け、灰色になった陶器の破片が降り注ぐ。
ひとりだけ足並みを揃えられなかったは、そっぽを向いて気恥ずかしさを誤魔化した。
「こんなこと、君たちがするべきではなかった…わたしに任せておくべきだった…」
「吸魂鬼に怖気づいてた人がなに言ってるの!」
シリウスがモゴモゴと言う。
は呆れて言い返しながら、ルーピンの縄をほどいた。
「ありがとう、……ハリーも」
「僕、まだ信用するなんて言ってません。
ただ…のことは、まだ何も聞いてないから……それだけです」
ハリーは自分のした事が良かったのかどうか判断できず、とりあえず視線を逸らした。
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