わたしはママやシリウスみたいに、友達を亡くしてしまったことはないし。
思えば、手酷く裏切られたこともない、すごく幸せな人生を過ごしてきた。
きっとそれは、ママが居てくれたから。ママがわたしを大好きって言ってくれてたから。
「ママはたぶん、あなたのことを許さないよ。
―――だからわたしも、ママのこと傷つけたあなたのこと、許さない」
わたしはシリウスに踏まれてるペティグリューの傍に膝をついて、顔を覗き込みながら、言った。
たとえどんな事情があっても、わたしがハリーたちを裏切ることなんて思いつかないのと同じように、
きっとママたちだって、この人が裏切るだなんて思ってもみなかったんだろう。
だから、だから余計に、許せない。
死んでしまえとは言わないけど、ママもわたしも、この人のことを絶対に忘れないだろう。
シーン75:叫びの屋敷・転換篇
はシリウスに足をどけさせた。
シリウスはそれでも不満そうだったが、渋々の頼みを聞き入れた。
ペティグリューはワッと泣き出した。
育ちすぎの奇妙な赤ん坊が泣いているように見えて、ハリーはおぞましく感じた。
「わ、私に何が出来ただろうか!闇の帝王は…あの方は強大な力を持っている!
シリウス、私は君や、ジェームズや、リーマスのように勇敢ではなかった…
あ、あの『例のあの人』が無理やり私を脅したんだ、居場所を言わないと――」
「嘘をつくな!お前はあのハロウィーンの1年も前からスパイだっただろう!」
「私――私は――シリウス、あの方はあらゆる力をお持ちだった!
あの方を拒んで、背いて、い、いったい何が得られただろう?
シリウス、私が殺されかねなかったんだ!」
シリウスは再びペティグリューを踏みそうな勢いで怒鳴る。
「ならば死ねばよかった!そうすれば罪も無い人々の命が得られたことだろう!
ピーター、友人を裏切るくらいなら、我々は君のためにだって死を選んだだろう!」
「ピーター、君は気付くべきだった。
ヴォルデモートが殺さないのであれば――我々がお前を殺す、とね」
シリウスとルーピンは肩を並べ、杖を上げた。殺す気なのだ。
ハーマイオニーが両手で顔を覆い、壁のほうを向く。
は心臓が飛び出るかと思った。
駄目だ、確かにこの人は嫌な奴だけど、殺しちゃ駄目だ……
「やめて!」
「待ってシリウス!」
は小走りでシリウスの杖腕に縋りつき、杖を下ろさせようとした。
驚いたことにハリーも駆け出していて、ペティグリューを守るように両腕を広げていた。
大人2人はそのことが信じられないというように目を見開いた。
「ハリー、このろくでなしは、12年前に君が死んでいてもそれを平然と眺めていたはずだよ。
君も聞いただろう?自分の命のほうが、友人一家全員の命より大事な奴だった」
「わかってます。でも殺すことだけはやめてください。
こいつは城に連れて帰って吸魂鬼に引き渡そう――アズカバンにでも行けばいいんだ」
「シリウス!わたし、あなたに協力するとは言ったけど、殺させないって最初に約束したでしょ!
ダメだよ、殺しちゃダメ!だってこの人、まだママになにも謝ってないのに!」
シリウスとルーピンは互いに顔を見合わせた。
はシリウスの腕に自分の体重をかけてぶら下がる。
枯れ枝のような腕なのに、彼はをぶら下げたまま腕を下ろそうとしない。
「ハリー、本当にいいのか?こいつは君の両親を……」
「こいつはアズカバンに行けばいいんだ。
アズカバンがふさわしい奴がいるとしたら、それはきっとこいつしか居ない…
僕の父さんはきっと、こんな奴のために自分の親友が殺人を犯すのを望まないだろうから」
ハリーのしっかりとした言葉に、ようやくシリウスとルーピンは杖を下ろした。
もホッとして、シリウスの腕から離れる。
逃げる素振りをしたら次は容赦しないことを条件に、ハリーはペティグリューを拘束することに同意した。
スネイプが使ったのと同じ呪文だろう、シリウスの杖から細い紐が出てきてペティグリューを縛り上げる。
ルーピンは折れたロンの両足に応急処置を施した。
テキパキと様々なことが解決に向かうなか、残されたのは意識不明のスネイプだ。
どうやら3人分+α の魔法の威力は相当だったらしく、彼はまだ気絶している。
ルーピンが脈を取ったところ、別に打ち所が悪かったわけではないと分かり、たちは安堵した。
これでもしスネイプが目覚めないとなったら――いや、少しは良いこともあるかもしれないが。
結局、スネイプは魔法で運ばれることになった。
「モビリコーパス」とルーピンが唱えると、巨大蝙蝠のような身体が宙に浮く。
手首と首と膝に見えない糸が絡みついた操り人形のように見える。はっきり言って、かなり不気味だ。
ペティグリューを連行するのには、ロンとルーピンが名乗りを上げた。
ロンはどうやらペットの不始末の責任を感じているようだ。
ルーピンの右腕とペティグリューの左腕、
ロンの左腕とペティグリューの右腕が繋がれる。
クルックシャンクスはその3人4腕が出来上がると同時に、ひらりとベッドから飛び降りた。
先導するかのように、尻尾をピンと立てて階下へ向かう。
とハーマイオニーはその後姿に顔を見合わせて笑い、手を繋いで歩き出した。
城へ向かう一団は奇妙な面子だった。
先頭にクルックシャンクス、その次をむかで競争のように連なったルーピン、ペティグリュー、ロン。
シリウスはスネイプを浮かせながら歩いていたが、スネイプの頭は天井を擦っている。
ぜったいワザとだろうと思いながら続くのが、ハリー、ハーマイオニーである。
柳の木から出たら、を呼ぼう。
シリウスを見つけて少しは混乱するかもしれないが、ペティグリューが居ればきっと分かってくれる。
は少し先の明るい未来を想像し、ニヤニヤ笑いを抑えられなかった。
「ハリー、知っているだろうが…わたしは君の名付け親なんだ。つまり、後見人だ。
ジェームズとリリーがわたしを指名した。ペティグリューを引き渡す、わたしが自由になる。
それが――それがどういう意味か、わかるかい?」
シリウスはとハリーの方をちらちら窺いながら話し始めた。
スネイプはごりごりと天井に頭をぶつけている。禿げるんじゃないかと心配になるくらいだ。
ハリーはシリウスの言葉の続きを待った。
もし、もし続く言葉が、ハリーの予想している通りだったらどんなに良いだろう…
「きみが伯父さんや伯母さんと暮らしたいという、その気持ちを邪魔するつもりじゃないんだ。
ただ――うん、考えてみてほしい。わたしの汚名が晴れたら……もし君が別の家族を……」
「僕――僕、あなたと一緒に行けるんですか?」
ハリーは沸きあがる喜びを感じたが、のことを思って控え目に聞いた。
ダーズリーのところから出られるのは嬉しい。でも、シリウスには先生が居る。
それはつまりが居るということで、シリウスには家族が出来るということなのだ。
そんな幸せそうな家庭を邪魔するわけには……
「ねえ!そしたらハリーがうちに来ればいいのよ!
うち、ママと2人暮らしだから部屋なら余ってるもの!よくない?よくない?」
「、でも……」
「わたしね、ママが仕事に行っちゃうと家ではひとりなの。
だからハリーが来てくれたら嬉しいな!……まあ、シリウスでもいいんだけど」
「わたしはオマケか」とシリウスが拗ねたように言う。
はとりあえずそれを聞き流し、ハリーの手を握った。
ハリーは喜びで頭がクラクラした。願ってもない申し出だった。
名付け親と、友人と、その母親である女優。それらが自分の新しい家族になるのだ。
ダーズリーたちにそのことを教えたらどうなるだろう?
指名手配犯のシリウス・ブラックと女優の・の2ショットに卒倒するかもしれない!
ハリーは、自分を見上げて目を輝かせているに笑いかけた。
シリウスもその光景に満足そうに目を細め、心から笑った。
シリウスのその笑顔に、とハリーはぽかんと見惚れる。
かなり痩せこけた骸骨の下に、昔の快活な顔が見えた気がしたのだ。
それからトンネルの出口に着くまで、一行は何も話さなかった。
ただ黙々と、温かいホグワーツを目指して歩み続けた。
最初にクルックシャンクスがトンネルを出て、木のこぶを押した。
おとなしくなった柳のもとを、ルーピンたちむかで競争組がまず這い上がる。
次いでスネイプ、シリウス、、ハーマイオニー、ハリーだ。
校庭は既に真っ暗だった。
いくら夏のイギリスの日没が午後8時や9時だとはいえ、さすがにもう夜中だ。
明かりといえばホグワーツ城から漏れてくる窓明かりくらいしかない。
城を目指して、ひたすら歩く。
もうすぐ世紀の大ニュースがイギリス中に知れ渡るだろうと思うと、わくわくした。
しかしその時、雲間が切れた。
薄い月光が降り注ぎ、芝生が銀色に光る。
操り人形状態のスネイプが、不意に足を止めたルーピン、ロン、ペティグリューの背中にぶつかった。
何事だろう?と首をかしげ、はすぐにスネイプの言葉を思い出した。空にあるのは満月。
そうだ、スネイプが来たのは、ルーピン先生が飲み忘れた脱狼薬を持ってきたからだった!
「ど――どうしましょう!先生は今夜、あの薬を飲んでいないんだわ!」
「逃げろ!早く!わたしに任せて――逃げるんだ!!」
ロンのもとへ向かおうとしたハリーを引き戻し、シリウスが叫んだ。
その瞬間、恐ろしい唸り声が闇夜をつんざく。
見ればルーピンの頭や身体が伸び、あちこちから長い毛が生え、爪はするどく尖り始めている。
これが――これが、狼人間。
ハッと気付いたときにはもうシリウスは犬の姿に変身していた。
黒い熊のような犬が、手錠を捩じ切った狼人間に飛びかかる。
誰か援護してくれる人がいないかとが周囲を見回したとき、ペティグリューと目が合った。
彼はニタリと笑うとルーピンの杖に飛びつき、ロンとクルックシャンクスを打ちのめした。
「エクスペリアームズ!」と、ハリーが呪文を唱える声が聞こえる。
は頭が真っ白なまま走り出した。
「待って!動かないで!」
しかし遅かった。ペティグリューはもうネズミに変身し、手錠をすり抜けてしまっていた。
はがむしゃらに杖を振りながらネズミの後を追う。
ああ、まだ自分がアマルテアの姿で居たら、こんな距離簡単に追いつけるのに――
この状況をなんとか出来る人が居るとすれば、たったひとりしか思いつかない。
の脳裏に浮かぶのはシリウスでもなく、ハリーでもなかった。
「―――ママ!!ママ、どこ!?
助けて、シリウスが、ペティグリューが……ママ!!」
月光の中でかすかに見えるペティグリューは、幸いにも校門のほうへ向かっているようだ。
門には、が居る。吸魂鬼たちを纏め上げる、とっても強い、頼りになる、母が居る。
たとえペティグリューを見失おうとも、この状況を母に伝えることは必要なはずだ。
はひたすら走った。足がもつれて、転んでも、立ち上がり、また走る。
「ママ!お願い、助けて!あの、あのねっルーピン先生が狼になって、それでっ」
「、何してるの!?こんな時間に――リーマスが何?」
「先生が狼になったの!それでシリウスが食い止めてるんだけど、
ペティグリューが逃げて……わたしたち捕まえたの!だけど逃げられてっ
そうだ、ネズミ!ネズミが来なかった?スキャバーズが…」
興奮気味で何を言っているのかもよく分かっていないようなを宥めていると、
の耳には狼の遠吠えが聞こえた。背筋が寒くなるような、危険な響きだった。
「―――っもう!わかったから落ち着きなさい、!
助ける、みんな助けるから案内して!あとで事情は聞かせてもらうからね!」
「森、禁じられた森!話すから、全部話すから、だから助けて!」
はの腕を引っ張り、元来たほうへ駆け出した。
心臓がどくんどくん鳴る。ペティグリューは結局逃げてしまったようだ。
ハリーは、ハーマイオニーは、シリウスは無事だろうか?
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