どうして。











  BEHIND THE SCENES : I.











わたしの頭の中にそれ以外の単語は出てこない。

どうして。
どうして?

そしてその疑問が結びつく先の単語も存在しない。
どうしてそんなことを?
どうして今になって?

そんなことは知らない。

どうして。
どうして?

わたしは何が知りたいのだろう。







ハンドルを握り締めながらもわたしの脳裏にはあの新聞の記事が焼きついて離れない。
シリウス・ブラック。どうして忘れることができるだろう?
しかしわたしが忘れることができないのは何に対してのことなのか、その疑問は晴らされることはない。

その名前を忘れることができない。(当たり前だ)
その罪状を忘れることができない。(当たり前だ)
その日付を忘れることができない。(当たり前だ)

信号が赤に変わり、わたしはブレーキを踏む。
自動車が停止するための運動を行う。自分が機械を扱うようになるとは想像もしなかった。

けれど現実に、わたしは運転席に座っていて、仕事へ向かっている。
そして現実に、彼はあの場所を出て、どこかへ向かっている。

彼はどこへ向かっているのだろう?
彼は何の為にそこへ向かっているのだろう?

しかしわたしにはそれに応える術がない。



リリー。



あなたなら、何か知っているのかな。

あなたなら、どうするのかな。



信号が再び青になり、わたしはアクセルを踏む。
そして道路標識と対向車とオートバイに気をつけながら、この後にかけるべき電話について考える。

もしもしレニー?おはよう、わたしよ、
そうよ、いま向かっているところ。いいえ、今日の仕事について注文があるわけじゃないの。
契約のときに約束したことをお願いしたいのよ。そう。もう11歳なの。早いわね。
…えぇ、えぇ。1年だけ。わかってる。わかってるってば!

駄目だ。喧嘩腰になってしまう。

えぇ、1年だけよ。心配しないで。だからお願いね。
発表?今日のインタビューのときじゃ駄目なの?駄目?なんで?
…ありがとうレニー。感謝してるわ。

そう、こんな感じで、丸く収めなければ。
わたしは左折のウィンカーを出す。スタジオはもう目前に見えている。
駐車場に車を止めたら携帯電話で事務所の番号を呼び出そう。たぶんレニーが受話器を取るだろう。
レニーじゃなかったら?

もしもし?おはようヴェルマ。レニーはいる?

そうしてさっきの予行演習をなぞるだけ。
大丈夫。もう演技は始まっているだけのこと。
脱獄犯なんてわたしには関係無いって顔をするだけのこと。
そのことで死にそうなほど心配しているなんて悟られないようにするだけのこと。

駐車場に入り、適当な場所に車を止めた。ドアを開けて、ロックをかける。
キーを鞄にしまって、ついでに携帯電話を取り出す。事務所の番号を検索して、コールする。
コール音。コール音。コール音。コー



『もしもし。レニー・ベルランズ・プロモーションだが』

「もしもしレニー?おはよう、わたしよ、



そしてわたしは警備員に会釈をして、楽屋へ向かった。















約12年前。雨が降っていたあの日、わたしはレニー・ベルランに拾われた。
その頃の事務所はまだ駆け出しで、ほんの小さなものだった。
わたしは事務所と一緒に成長してきた。
最初は小さな会社のモデル。次は、少し有名な雑誌のモデル。
ほんの数秒のCM。そしたら次は、大手企業のCM。
そうしている内に、気付けば女優になっていた。

12年前のハロウィンに悪夢が襲い、わたしは大切な人たちを一気に失った。
それから3ヶ月は、仕事が終わるたび行きずりの男に身をまかせていた。
何も考えたくなかったから。何も思い出したくなかったから。
がいなければ、今でもそんな生活をしていたかもしれない。

12年前。
小さな芸能事務所に拾われたとき、わたしは魔法を捨てた。魔法使いであることをやめた。
12年前。
闇払いのは死んだ。



わたしは魔法使いである自分を殺すための契約書に、ある条件を盛り込んだ。

娘のが11歳になる年には1年間の休業を約束すること。

事務所には、が新生活を迎えるだろう年に、をサポートするために、と話した。
嘘ではない。
ただ、彼らの思う新生活が単なる「小学校卒業と中学校入学」であるのに大して、
わたしの思う新生活というのが「ホグワーツ」であっただけのこと。

11歳になれば、にはホグワーツからの入学許可証が届くだろう。
はきっと、ホグワーツを選ぶだろう。(なにせ、わたしの娘だから)
寮はどこになるだろうか。わたしと一緒だったらいいのに。

が魔法界に馴染む姿を確認したら、仕事に戻る。
マグルの世界で、再び女優として仕事をする。
が十分に幸せに生きていけるように、お金をもらうために。



つい昨日までは、そう思っていた。
それが覆る日が来るとは、思っていなかった。



あなたは、なにをしようとしているの?

誰を探しているの?

ねえ、シリウス。聞いてるの?















『どんな時にこの映画を見たくなると思いますか?』


とても心温まるストーリーなので、小さな幸せを噛みしめた瞬間などに、
ふとこの映画を思い出して、もう1度観ようかな、と思うのではないでしょうか。


『誰と見たいですか?』


大切な人とですね。


『興行中に見に行く予定はありますか?』


わたし、これからしばらくお休みを頂く予定ですので…
そうですね、機会があれば―


『引退されるということですか?』


え?引退ではないですよ。1年だけです。







失敗したな、とわたしは苦々しさを感じる。
予行演習でのレニーも、実際の電話口でのレニーも忠告したように、インタビュー中に言うべきではなかった。
休業する、と口にした途端、記者団の姿勢が変わったのを肌で感じた。
理由は?事務所は知っているの?本当に1年だけなの?
身に着けた愛想笑いでそれらを受け止める。
わたしだってお休みが欲しいですから。事務所も知っています。本当に1年だけですよ。

足早に楽屋へ戻り、鞄を引っつかむ。時間がない。
いまこの瞬間にも、彼はのことを知ってしまうかもしれない。
そうなる前に手を打たなければ。

わたしは衣装係のスタッフに声をかける。
(ごめんなさい、とても急ぐの。この服、買い取るわ。事務所につけておいてくれる?)
ノーと言われることがないのを知っているので、わたしは返事もろくに聞かずに駐車場へ向かう。



時間が無い。
魔法使いのが生き返るべき時が来たのだ。


わたしはかつて無いほどにアクセルを踏みしめる。
















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