8年前を思い出しながらわたしは庭を横目に捉えて玄関へ急ぐ。
BEHIND THE SCENES : II.
仕事が少し軌道に乗ってきた頃、わたしは家を買った。
郊外の、小さいけれど、庭もある家。娘と2人で暮らしていくには広いくらいの家。
仕事がない日は、必ずと過ごした。
を遊園地に連れて行った。をデパートに連れて行った。と庭で遊んだ。
日曜日だったと記憶している。
と庭でボールを使って遊んでいたとき、家の中で電話が鳴った。
わたしはを置いて家の中に入って、子機で喋りながら再び庭へ出た。
まさにそのとき、は家の敷地から出ようとしていた。
車が来ているのが見えた。
がそれに何の注意も払っていないことがわかった。
神様、どうか。
どうか、あの子だけは。
その頃のわたしの支えはだけだった。
のいない生活なんて考えられなかった。
わたしは子機を放り投げて夢中で走り出す。
どうか。どうか、あの子だけはわたしから取り上げないでください。
ごつ、と鈍い音がして、わたしの目の前を白い乗用車が飛んでいくのが見えた。
わたしはに駆け寄る。
はきょとんとして横転した車を見ている。
わたしはを抱き上げる。
は怪我ひとつしていなかった。
3歳児にしては大きな魔力をの内に感じながら、わたしは決意する。
この子の魔力を封印しなければ。
でなければいつか、わたしの目の届かない所で大変な事故を引き起こしてしまうかもしれない。
それに、そのことでと離れなければいけなくなったりしたら、わたしは耐えられないだろう。
家に入り、を抱えたままチェストを開ける。
見つかりにくいところに隠した杖を手にとって、その滑らかな手触りを感じる。
ひと振り。
横転した車を元の位置に戻す。
ひと振り。
車の傷やへこみを元に戻す。
ひと振り。
気絶しているドライバーの傷を癒す。
ひと振り。
崩れてしまった道路やブロック塀を直す。
ひと振り。
ドライバーの記憶をすこしいじる。
最後にひと振り。
彼は何事も無かったように意識を取り戻し、運転を再開する。
今度は庭に出て、少し気を溜める。
体の内側に渦巻くような気の流れを起こす。
そしてひと振り。家に向けて結界を張る。
この子が魔法界に見つからないように。
この家が誰にも見つからないように。
わたしにくっついて甘えるを降ろし、わたしは最後の魔法をかける。
この子が、二度と魔法を使わないように。
そしてわたしが、二度と魔法を使わなくなるために。
*
玄関のドアを開けてすぐに、わたしはいつもと違う気配を感じた。
誰かが居る。誰か、魔法を使う力を持つ人が。
彼だろうか。(まさか)
来たのだろうか。(そんなはずは)
「――………」
そしてリビングに居たのは、懐かしい母校の、恩師だった。
「…マクゴナガル先生」
「お久しぶりです、。まさか女優になっていたとは…驚きました」
わたしは先生の言葉の裏にある気持ちに気付く。
女優になっていたとは?
そうじゃない。
「マグルになっていたとは」の間違いだ。
「どうして先生が…なんて、白々しいですけど…でも、どうして先生が?」
魔法界からの使者が現れた理由ならわかっている。
マクゴナガル先生もその事は気付いている。
どうして先生が?
、彼がアズカバンから脱獄したからです。わかっているでしょう。(ええ、わかっていますとも!)
けれどわたしが問いたいのはそこではない。
つまり、使者が来るにせよ、それが何故マクゴナガル副校長なのかということなのだ。
ハグリットが来るのかな、と思っていた。それともフリットウィック先生か。
「宛に出したフクロウが、家が見つからないと戻ってきたものですから。
、これほど厳重に結界の張られた家を探すのはダンブルドアでなければ難しかったでしょう」
「…忘れていました。でも、今日中にフクロウ除けだけは解除するつもりだったんです」
わたしたちは探り合っている。互いに核心を突きすぎないようにと。
は驚いた顔でわたしを見ている。きっと先生が本当に魔法使いがどうか考えあぐねていたのだろう。
そしてわたしまで魔法使いと同じ目線で話をしているとなれば、信じていなかったその存在が確かになる。
そう。わたしは魔女だ。
12年前までは、魔法省で働いていた。
そして12年前に、誰にも告げずにそれを捨てた。
マクゴナガル先生は、の魔力の有無について不安そうに話し出す。
わたしは否定する。8年前の出来事を語る。わたしが魔法を最後に使った日のことを。
「…は貴女に似ているようですね」
「わたしは車を吹っ飛ばしたりしませんよ」
「そういう問題ではありませんが…いえ、そのような話をしに来たのではありません。
、実はダンブルドアから貴女にお願いがあるのです」
先生は副校長の顔に戻る。
「ダンブルドアは貴女に、ホグワーツで教授補佐をしてもらいたいと申しています」
「…なぜですか?」
「『防衛術』の今年度の教授ですが――リーマス・ルーピンに内定しました」
リーマス・ルーピン。
予想だにしていなかった懐かしい名前に、わたしは動揺を隠せなかった。
リーマス。彼が教授に。『防衛術』の。
彼が。リーマスが。それはいい。彼は子供が好きだから。
リーマスが。
リーマス。
ムーニー?
「…ああ…そういうことなら、補佐が必要にもなりますね…」
「それは、受けていただけるという意味に解釈しても構わないでしょうか?」
わたしは即答できない。
なぜならわたしは、逃げたから。
なぜならわたしは、死んだはずだから。
「―…の意思によります」
しかし、わたしは生き返らなければいけないらしい。
状況が、そうすることをわたしに強いる。いや、強いてはいない。ただ拒否権がないだけで。
わたしはを見る。
11年間隠してきたことを、そして今日になって覆った前提を、告げる。
シリウス・ブラックとわたしのことを。
「わたし、ホグワーツに行きたい」
はまっすぐにわたしを見て、言った。
わたしはがどう返事をするかわかっていた。(そんなことは、11年くらい前から)
はわたしの娘だから。
わたしたちは親子だから。
「教授補佐を受けさせて頂きます、マクゴナガル先生。共々、お世話になります」
「…ええ、教師一同、みな貴女たちを心待ちにしていますよ」
そして家族を、親子を構成するのに足りない役割が存在することに、先生は気付いている。
つまり、父親のことを。家の中にも、の中にも姿の見えない父親のことを。
先生はこう言いたがっている。―やはり、彼なのですか?と。
でも先生。わたしは答をもっていないんです。
「…マクゴナガル先生、出来ればホグワーツでに姓を名乗らせたくないのですが…」
「もちろんです、。いえ…わたくし達としても、その方が安心です」
が途端に不安そうな顔をする。
、あなたが邪魔なわけじゃないからね。
だってわたしはあなたが居なくちゃ生きていけないんだから。
「あのね、―――」
だからわたしは、あなたに嘘はつかない。
今は言えないこともあるけど、いつかは全部話すから。
だからわたしは、あなたに今わたしが伝えられるだけの真実を、話すから。
「―――だから…ごめんね」
「…うん。わかった」
マクゴナガル先生が驚きと困惑の混じった表情でわたしを見ている。
先生だったら、11歳の少女に本当のことをかいつまんで話す必要はない、と言うのかもしれない。
まだ早すぎる、と。まだ子供すぎる、と。
でも先生。この子には父親のことだって、わたし、ちゃんと話したんですよ。
それでもわたしを母親だと認めてくれるんですよ。
こんなに大切な子に、わたし、嘘をつきたくないんです。
「、これから新学期までですが…」
「―ああ、はい。部屋があれば『漏れ鍋』に泊まろうと思ってますけど…」
「結構です。ダンブルドアもそうお考えで既に1部屋予約してありますから、準備が整い次第、出発して下さい。
ではわたくしはこれで――ミス・『・アンドロニカス』、新学期を楽しみにしていますよ」
そう言って、先生は姿くらましをした。
は突然消えた先生に驚いている。
「ほら、、支度して。明日はロンドンに行かなきゃ」
わたしはを急かす。
杖を出さなければ。それに、グリンゴッツの鍵も。
リリー。
あなたは、あなたが死んでしまったあと、自暴自棄になったわたしを見て、どう思ったのかな。
あなたは、父親のわからない子供を生んだわたしを、どう思っているのかな。
あなたなら、知っているのかな。
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