紅茶が差し出されることは、もちろん無い。











  BEHIND THE SCENES : IV.











「賢者の石?」



セブルス・スネイプは彼の城(つまり地下牢)でと対峙していた。
彼の記憶にある限り、最後に対峙したのは卒業間際の図書室であったので、
ひとつふたつと指折り数えてみれば(そんなことはしないが)両手では足りないほどの年月を経たことがわかる。

彼はその間に幾人もの『生意気な餓鬼ども』を送り出してきたが、
自分と彼女がいま話題にしている少年ほど腹の立つ存在はいなかった。(赤毛の双子は別枠として)

彼は語る―

『英雄』の少年が何をしたか。
『生き残った男の子』がどの様に学校という場に根付いたか。

そしてそれは彼女の想像の範囲を超えていて、彼女は口を挟むこともできずに聞くだけである。
彼女はただ聞いている。
彼女の親友の息子のこれまでを。活躍を。(活躍などとは呼びたくないが)



「―それで…そのミスター・クィレルをハリーが倒したのね?」



そうだ。と彼は答える。
ひとしきり語ったあとは彼女の質問に対してそれ以外の答えを返さない。
思い返すも忌々しい。なぜこの女に語って差し上げねばならんのだ。とも思っている。
ついて来いと言ったわけでもないのになぜこいつはここに居る。とも思っている。
仕事をせねばならんのだ。お前もしなければならないことがあるだろうに。とも思っている。
だから彼は彼女を客としてもてなすことなどしない。本を読むことに集中する。紅茶などは出さない。
(思い出せ、彼女は学生時代にコーヒー派を明言していたではないか)
(「わたし、たぶん前世がドイツ人なのよ」)
(ばかばかしい!)



「それにしても対抗呪文を唱えてあげるなんて…スネイプらしいわね」

「らしい?らしくない、の間違いだろう。ブランクで脳がいかれたか」

「どうせいかれてるわよ。10年もマグル生活だったもの。悪かったわね。
 ――で、それで?去年は何があったの?」





彼は語る。
『英雄』の少年が何をしたか。
かつての秀才が何をたくらんでいたか。
そしてあの金髪の詐欺師がいかに酷かったことか―――





「つまり、ギルデロイ・ロックハートは退職。
 バジリスクは串刺し。ヴォルデモートの記憶は毒で自滅…ということね」



そうだ。と彼は答える。
語ってしまえば2年間の何と短いことだろう。
あれほどに苛立たしかった月日が何と薄っぺらくなってしまうことだろう。

彼は自分の歳月を自分で軽んじてしまったような気になり、憂鬱になる。
(自分は最善を尽くしたのだ。そもそもあの頭の足りない男が……)



「ハリー…」



大変だったのね?
そんな子になっていたのね?

その名詞に続く言葉を彼は待つが、彼女の口は半分開いたまま呼吸以外には使われない。

彼は彼女を観察する。
もう何年こうして彼女を見ていなかっただろうか。
その間、まるで死人扱いをされていた彼女は何をしていたのだろうか。
(いや、副校長に聞いたには聞いたのだ。それに本人からも)
(つまり、『マグルになっていた』のだ)

彼女は、少し痩せたように見える。(手首が骨ではないか)
彼女は、落ち着いたように見える。(老けたとも言えるだろうか)
彼女は、化粧の方法を学んだと見える。(ずいぶん化けたものだ)

彼は昔の、記憶の中の、少女であった彼女といま目の前にいる彼女とを比較している。

当時の彼女は、妙に好奇心が旺盛だった。
当時の彼女は、化粧などしなかった。
当時の彼女は、あいつらと楽しそうに笑っていた。

今でもその月日を思い返すことがあるのだろうか?







彼女は彼を見る。
しかし彼は彼女を見ない。
あくまでも視線は左手に持ったままの書籍に向いている。



「おまえは何をしていた?」

「……マグル、に、」

「その前だ」



彼は知っている。
左手の刻印が示すように、より闇に近かったのだから。
闇を払うものを仕事とした彼女が、何をしていたのか。



「……闇払いの仕事を」

「"フェンズの大嵐"の晩以降のことを聞いている」



"フェンズの大嵐"

それは魔法省が闇に葬った事件である。
闇に葬り、民衆の間でのみ語り継がれる事件である。
それは今から12年前のハロウィンから数えて3つ目の月に起こった事件である。



「……吹っ飛ばされて、死にかけた。マグルの医者に拾われた。
 医者に怒られた。だから更生した。魔法なんてもう使いたくなかった。
 仕事をくれるっていうから、女優になった………それだけ」

「それだけ、とはよく言ったものだ」

「それだけよ。しつこいわね。スネイプだって―」



彼女は彼の手から本を奪い取る。
彼は仕方なく彼女の方を見る。



「―スネイプだって、お互い様でしょう?」



彼女は知っている。
彼の左手に、なにがあるのか。



「…ふん」

「いいけど。別に。今となってはどうでもいいことだもの。
 ―――わたし、帰るわ。お邪魔したわね」

「自覚があったのならばさっさと行動に移してもらいたかったのだが」



彼女は入り口へ向かう。
彼は彼女に向けて手を伸ばす。(本を返せ愚か者が)



「…握手?」

「ほざけ」



彼女はにやりと笑う。
最後に対峙したときと同じ言葉を口にする。



「この本、借りてくわ」



彼女は彼の城(つまり地下牢)を出て、ダンブルドアの城(つまりホグワーツ)の玄関ホールへ向かう。
彼はそれが返ってこないであろうことを知っている。















コンコン、と入り口から音がする。
彼は彼女に盗られた本の下巻を読んでいる。
来客の予定はなかったが、音がする以上はそこに何者かが立っていることになる。

彼は杖を振って、入り口を開ける。

いまは夏季休業中だ。
小五月蝿い餓鬼どもではないはずだ。



「やあセブルス、久しぶり。お邪魔するよ…おや、遅かったかな」



彼は入ってきた人物を見て、再び杖を振って閉め出そうとする。
しかし入ってきたくすんだ鳶色の髪をした男も杖を振り、彼の魔法はいなされてしまう。



「すばらしい歓迎をありがとう」

「何の用だ、ルーピン」



ルーピンは肩をすくめる。



「さっき到着したんだ。そうしたらダンブルドアがきみの所へ行けというものだから…
 なんでも、きみは来客中なので、わたしが緩衝材になって会話を成立させてやってくれ、と――おっと」



スネイプは再び杖を振るが、残念ながらルーピンには避けられてしまった。



「危ないじゃないか…それで、誰が来ていたんだい?」



ルーピンは来訪者の素性がわかるようなものはないかと部屋を見回す。
しかしそこに彼女の痕跡が残っているはずはない。(残していったのではなく、奪っていったのだから)

紅茶でも出していれば、カップに口紅がついていただろう。
つくづく幸運だ。
彼女のために紅茶の葉を無駄に消費しなかったことが、この男に攻撃の隙を与えずに済むことに繋がったのだ。



「………じき、わかる」



彼は杖を振り、ついにルーピンを部屋から追い出すことに成功した。



















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のっけから決闘まがいのおっさんたち。