母のことを、思い出した。











  BEHIND THE SCENES : IX.











何かが気に掛かっていたわけではない、と思う。
ただ、親友にそっくりな少女だから、目が離せないだけで。



(……差し入れ、かな?)



少女はきょろきょろと周囲を窺うと、手元にパンを隠していく。
明らかに挙動不審だった。
それでもそんな様子が可愛いと思ってしまうのは、老けた証拠かもしれない。



誰への差し入れだろう。こっそり飼っているネコか、鳥か?
はたまた男子生徒か?



「それはちょっとイヤだなあ…」

「さっきから何をブツブツ言っている」



あれ、声に出てた?



「やだなあセブルス、盗み聞きなんて」

「くたばれ」



セブルスは黙々とスクランブル・エッグを口に運ぶ。
わたしはどうしようかな、と迷いながら、マフィンに手を伸ばす。
セブルスが顔を顰めるのがわかった。
いいじゃないか、今までマフィンなんて贅沢なもの食べられなかったんだから。
自分でも虚しいことを考えながら、わたしは手にしたそれにハチミツをかけた。


視界の隅で、が席を立ったのが見える。



「………………」



特に何かが気になったわけではない、と、思う。
ただ、親友にそっくりだから、目が離せないだけで。
親友の愛娘だから、その差し入れの行く先が、ほんのちょっと、興味深いだけで。















「家名も財力も人並みで、取り得といえば決闘の才くらい。
 数え切れないほどの男を誘惑しては捨て、成れの果てはマグルの女優――そうだろう、?」



大広間を出たとたん、玄関ホールの方から声が聞こえた。
言い争うようなそれは、教師として捨て置くわけにはいかない。

ああ、マルフォイの息子か。と、思う。
同時に彼の父親を思い出す。どうして親子というのはこんなに似るものなのだろう。
ハリーとジェームズ、マルフォイ親子、そして―――



「ッ――ママのことバカにしないで!!」



―――と、

バシン!と音が響く。
見れば、がマルフォイの息子に強烈な一撃を浴びせたところだった。

ああ、
きみとは、実は同一人物なんじゃないかと思うときがあるよ。



「そうよ、うちはお金持ちじゃないし、アンタんちみたいにお偉いパパだっていないわよ!
 だけどアンタみたいに卑怯でもないわ!アンタみたいにコソコソしたりしない!」

「っこの、やめっ――」



バシン!バシン!と響くのはが手にしたバスケットでマルフォイの息子を殴る音だ。
情け無いことに、マルフォイの息子は2つも年下の少女にやられっぱなしで反撃もできないでいる。



「止めてほしけりゃ謝りなさいよ!わたしにも、ママにも!
 ママは一生懸命わたしを育ててくれた、愛してくれたの!」



悲鳴のようなの声が、ホールに響いていた。

母は自分を愛しているのだ、と。
自分は母を愛しているのだ、と。

訴えるような、叫ぶような声が、耳に、残った。



母のことを、思い出した。



フェンリル・グレイバックに穢された自分を、命がけで愛してくれた母。
満月のたびに、ずっと、眠らないで祈ってくれていた母。



「アンタなんかにわかるもんか!アンタみたいな――卑怯者に――わかる――わけがっ……!」



わからないだろう、ルシウス・マルフォイ。
大きな屋敷で、貴族として育てられた貴方には、わからないだろう。
だから貴方は、息子にそれを伝えられなかったんだろう?


が息を詰まらせた。振り上げた手は、力を溜めるかのように動かない。
そろそろ、頃合か。わたしは気配を消すことを止める。



「……グリフィンドール、1点減点」



とマルフォイの息子が弾かれたように振り向いた。
その表情は対照的で、片や茫然自失、片や苦虫を噛み潰したよう。

喧嘩はよくないよ、とわたしは続ける。
一個人としては「よくやった」と褒めてあげたいところだけれど、生憎とわたしは教師だ。
そこらへんの感想はあとでに報告しておこう。



「ふたりとも、寮監には報告しておくよ。ドラコ、痛むようならマダム・ポンフリーに見てもらいなさい。
 ………はわたしと一緒においで」



マルフォイの息子は、不満そうに去っていった。
去り際にへぶつかりながら。

はぎゅっと唇を噛みしめて、俯いていた。
大きな目には涙が溢れそうなくらい溜まっている。



「だって先生……あいつがっ…ママのこと……っ」



わたしはの頭を軽く撫でる。

ああやっぱり、似てるけど、別人なんだ、と、思う。思い知らされる。
思えばの泣いている姿というのは、見なかったように思う。



「殴ったのは……わたしが、悪かったけど……」

「そうだね」

「でも、悔しかった……」



わかってる、大丈夫。
わたしはきみの味方だから。

わたしは教師だからそんなことは言えないけれど、
きみのことはちゃんと大事に思っているから。
ハリーと同じくらいに、大事な存在だと、思うから。

だからわたしは、少女の手を引いて歩き出す。
いま少女が求めるものが何か、よくわかるから。
だからわたしは、きみの願いを叶えてあげよう。

母親のもとへ。
愛する人のところへ。

そこでしか得られないものがあると、わたしは知っているから。















「おいで」



きょろきょろと視線を忙しなく動かしているに、わたしは声をかけた。

地下牢教室前の甲冑のうち、左側の3体と右側の3体を特定の配置にさせることで、
タペストリーの裏に空間が現れるのだ、ということを見つけたのはだった。

ジェームズも知らなかったそれを彼女がどうやって見つけたのかは、知らない。
スネイプを驚かすために甲冑をいじっていた、という噂だ。本当かどうかは知らないけれど。



「この階段を上っていくのが一番近いから、覚えておくといいよ」

「あの……どこに出るんですか?」



その隠し通路はレイブンクローの談話室の近くへ続く。
彼女の教員室は、そこのすぐ近くにあるのだ。



「きみのお母さんの部屋の前だよ」



え、と少女は声を詰まらせた。
驚きのあまり目を見開いている。

こんなに解りやすいのに、バレてないと思っていたんだろうか。
そんな様子も可愛いと思ってしまうのは、やっぱり老けた証拠なのかもしれない。



「教師たちはほぼ全員、きみたち母娘の事情を知っている。
 ……だから、あれだけの処罰で済まされるんだよ」



マルフォイ家の御曹司を殴ったというのは、本来ならば理事会に報告がいくほど危険なものだ。
彼女はまだ魔法界に来て日が浅いのだから、気付かなくても仕方が無いのだけれど。



「きみときみのお母さんの立場を忘れてはいけない。事態はきみが想像しているより深刻なんだ。
 ドラコや、他の生徒に挑発にされても、決して怒っちゃダメだ。
 怒れば、きみと先生が親子だと認めていることになるだろう?
 なぜきみとお母さんが別々の名前でホグワーツへ来なければならなかったのか…覚えているよね?」



はこくりと頷いた。

次から気をつけるように言い渡すと、は素直に返事をした。
わたしは再び彼女の手を引こうかと思ったが、もう迷うような道でもないし、
教師に連行されるのもあまりいい気分ではないだろうと思って、手を引っ込めた。



「あのっ、先生………」

「なんだい?」



くんっ、と引っかかりと感じて階段にかけていた足を止めると、がローブを引っ張っていた。
泣いたせいか紅潮した頬のまま、恥ずかしそうに俯いている。



「あの………ごめんなさい………」



          や、だからなんていうか……ごめんな。



「素直でよろしい。……グリフィンドールに1点あげよう」



ようやく笑った少女の頭を撫でて、わたしは再び足を動かす。
ひょこひょことついてくる小さな彼女の存在を、背後に感じながら。



ねぇ、きみは感じることはないのかな。
きみは思うことはないのかな。


この子の中に、あいつを感じることは、ないのかな。



















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