母のことを、思い出した。
BEHIND THE SCENES : IX.
何かが気に掛かっていたわけではない、と思う。
ただ、親友にそっくりな少女だから、目が離せないだけで。
(……差し入れ、かな?)
少女はきょろきょろと周囲を窺うと、手元にパンを隠していく。
明らかに挙動不審だった。
それでもそんな様子が可愛いと思ってしまうのは、老けた証拠かもしれない。
誰への差し入れだろう。こっそり飼っているネコか、鳥か?
はたまた男子生徒か?
「それはちょっとイヤだなあ…」
「さっきから何をブツブツ言っている」
あれ、声に出てた?
「やだなあセブルス、盗み聞きなんて」
「くたばれ」
セブルスは黙々とスクランブル・エッグを口に運ぶ。
わたしはどうしようかな、と迷いながら、マフィンに手を伸ばす。
セブルスが顔を顰めるのがわかった。
いいじゃないか、今までマフィンなんて贅沢なもの食べられなかったんだから。
自分でも虚しいことを考えながら、わたしは手にしたそれにハチミツをかけた。
視界の隅で、が席を立ったのが見える。
「………………」
特に何かが気になったわけではない、と、思う。
ただ、親友にそっくりだから、目が離せないだけで。
親友の愛娘だから、その差し入れの行く先が、ほんのちょっと、興味深いだけで。
*
「家名も財力も人並みで、取り得といえば決闘の才くらい。
数え切れないほどの男を誘惑しては捨て、成れの果てはマグルの女優――そうだろう、・?」
大広間を出たとたん、玄関ホールの方から声が聞こえた。
言い争うようなそれは、教師として捨て置くわけにはいかない。
ああ、マルフォイの息子か。と、思う。
同時に彼の父親を思い出す。どうして親子というのはこんなに似るものなのだろう。
ハリーとジェームズ、マルフォイ親子、そして―――
「ッ――ママのことバカにしないで!!」
―――と、。
バシン!と音が響く。
見れば、がマルフォイの息子に強烈な一撃を浴びせたところだった。
ああ、。
きみとは、実は同一人物なんじゃないかと思うときがあるよ。
「そうよ、うちはお金持ちじゃないし、アンタんちみたいにお偉いパパだっていないわよ!
だけどアンタみたいに卑怯でもないわ!アンタみたいにコソコソしたりしない!」
「っこの、やめっ――」
バシン!バシン!と響くのはが手にしたバスケットでマルフォイの息子を殴る音だ。
情け無いことに、マルフォイの息子は2つも年下の少女にやられっぱなしで反撃もできないでいる。
「止めてほしけりゃ謝りなさいよ!わたしにも、ママにも!
ママは一生懸命わたしを育ててくれた、愛してくれたの!」
悲鳴のようなの声が、ホールに響いていた。
母は自分を愛しているのだ、と。
自分は母を愛しているのだ、と。
訴えるような、叫ぶような声が、耳に、残った。
母のことを、思い出した。
フェンリル・グレイバックに穢された自分を、命がけで愛してくれた母。
満月のたびに、ずっと、眠らないで祈ってくれていた母。
「アンタなんかにわかるもんか!アンタみたいな――卑怯者に――わかる――わけがっ……!」
わからないだろう、ルシウス・マルフォイ。
大きな屋敷で、貴族として育てられた貴方には、わからないだろう。
だから貴方は、息子にそれを伝えられなかったんだろう?
が息を詰まらせた。振り上げた手は、力を溜めるかのように動かない。
そろそろ、頃合か。わたしは気配を消すことを止める。
「……グリフィンドール、1点減点」
とマルフォイの息子が弾かれたように振り向いた。
その表情は対照的で、片や茫然自失、片や苦虫を噛み潰したよう。
喧嘩はよくないよ、とわたしは続ける。
一個人としては「よくやった」と褒めてあげたいところだけれど、生憎とわたしは教師だ。
そこらへんの感想はあとでに報告しておこう。
「ふたりとも、寮監には報告しておくよ。ドラコ、痛むようならマダム・ポンフリーに見てもらいなさい。
………はわたしと一緒においで」
マルフォイの息子は、不満そうに去っていった。
去り際にへぶつかりながら。
はぎゅっと唇を噛みしめて、俯いていた。
大きな目には涙が溢れそうなくらい溜まっている。
「だって先生……あいつがっ…ママのこと……っ」
わたしはの頭を軽く撫でる。
ああやっぱり、似てるけど、別人なんだ、と、思う。思い知らされる。
思えばの泣いている姿というのは、見なかったように思う。
「殴ったのは……わたしが、悪かったけど……」
「そうだね」
「でも、悔しかった……」
わかってる、大丈夫。
わたしはきみの味方だから。
わたしは教師だからそんなことは言えないけれど、
きみのことはちゃんと大事に思っているから。
ハリーと同じくらいに、大事な存在だと、思うから。
だからわたしは、少女の手を引いて歩き出す。
いま少女が求めるものが何か、よくわかるから。
だからわたしは、きみの願いを叶えてあげよう。
母親のもとへ。
愛する人のところへ。
そこでしか得られないものがあると、わたしは知っているから。
*
「おいで」
きょろきょろと視線を忙しなく動かしているに、わたしは声をかけた。
地下牢教室前の甲冑のうち、左側の3体と右側の3体を特定の配置にさせることで、
タペストリーの裏に空間が現れるのだ、ということを見つけたのはだった。
ジェームズも知らなかったそれを彼女がどうやって見つけたのかは、知らない。
スネイプを驚かすために甲冑をいじっていた、という噂だ。本当かどうかは知らないけれど。
「この階段を上っていくのが一番近いから、覚えておくといいよ」
「あの……どこに出るんですか?」
その隠し通路はレイブンクローの談話室の近くへ続く。
彼女の教員室は、そこのすぐ近くにあるのだ。
「きみのお母さんの部屋の前だよ」
え、と少女は声を詰まらせた。
驚きのあまり目を見開いている。
こんなに解りやすいのに、バレてないと思っていたんだろうか。
そんな様子も可愛いと思ってしまうのは、やっぱり老けた証拠なのかもしれない。
「教師たちはほぼ全員、きみたち母娘の事情を知っている。
……だから、あれだけの処罰で済まされるんだよ」
マルフォイ家の御曹司を殴ったというのは、本来ならば理事会に報告がいくほど危険なものだ。
彼女はまだ魔法界に来て日が浅いのだから、気付かなくても仕方が無いのだけれど。
「きみときみのお母さんの立場を忘れてはいけない。事態はきみが想像しているより深刻なんだ。
ドラコや、他の生徒に挑発にされても、決して怒っちゃダメだ。
怒れば、きみと先生が親子だと認めていることになるだろう?
なぜきみとお母さんが別々の名前でホグワーツへ来なければならなかったのか…覚えているよね?」
はこくりと頷いた。
次から気をつけるように言い渡すと、は素直に返事をした。
わたしは再び彼女の手を引こうかと思ったが、もう迷うような道でもないし、
教師に連行されるのもあまりいい気分ではないだろうと思って、手を引っ込めた。
「あのっ、先生………」
「なんだい?」
くんっ、と引っかかりと感じて階段にかけていた足を止めると、がローブを引っ張っていた。
泣いたせいか紅潮した頬のまま、恥ずかしそうに俯いている。
「あの………ごめんなさい………」
や、だからなんていうか……ごめんな。
「素直でよろしい。……グリフィンドールに1点あげよう」
ようやく笑った少女の頭を撫でて、わたしは再び足を動かす。
ひょこひょことついてくる小さな彼女の存在を、背後に感じながら。
ねぇ、きみは感じることはないのかな。
きみは思うことはないのかな。
この子の中に、あいつを感じることは、ないのかな。
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