どうか、あと、少しだけ、
BEHIND THE SCENES : LIII.
シリウス・ブラックは遣り場のない感情を抑えるのに必死だった。
気を抜けば口元が自然と緩んでしまうが、だめだ、まだ気を抜いてはいけないのだ。
仕方がないので、彼はスネイプを吊ることに集中する。
頭頂部が絶妙にトンネルの天井に擦るようにコントロールすることで、自制を試みる。
しかしまあ、なんだ、この光景もなかなか愉快なので逆効果かもしれないが。
少し前を歩くのは、ひと繋ぎになったリーマスと少年とピーターだ。
ああ、このときを、どれだけ待ったことか。
ホグワーツ城に戻り、ピーターを引き渡す。
そうすれば、自分は晴れて自由の身だ。
自由になったら、したいことがたくさんあった。
まず、ジェームズとリリーの墓に報告に行かなければならない。
仇は討ったと告げたら、彼らは喜んでくれるだろうか?
いや、そもそも、あの夫婦はこの世を恨んでいるだろうか?
恨んでいないような気がする。きっとリーマスに聞いてもそう言うだろうと思った。
それから、色々な相手に謝らなければならない。
ダンブルドアや、マクゴナガルや、ホグワーツの生徒たち、
特にロナルド・ウィーズリーの両親には不安な思いもさせただろう。
だが誰よりもまず顔を見て謝罪したい相手は、だった。
。許してくれるだろうか。
謝罪の言葉に耳を傾けてくれるだろうか。
出会い頭に殴られることくらいは覚悟しておかなければならないだろう。
だが、もしそれでの気が済むというのなら、何回だって殴られてやる。
もしかしたら、が少しは庇ってくれるかもしれないという甘い期待もある。
は誰が何を言おうとも聞かないだろうが、だけは別のはずだ。
とにかく。聞いた上で許してもらえるかは別だが、話をしなければならない。
はピーターを殴りに行くかもしれないから、やり過ぎないよう見張る人が必要かもしれない。
そんなことを考えるのは、彼をひどく幸せな気分にするのだった。
シリウスは、少し後ろを歩く子どもたちのことを思った。
ハリーは今の家で幸せなのだろか?そんなワケあるはずがないだろう。
何せ、ほぼ1年前にチラッと見えた限りでは、典型的なマグルの家庭だった。
そんなところで、魔法使いが受け入れられるわけがない。
もし自分が、ハリーに「一緒に行こう」と誘ったら、彼はどういう反応をするだろう?
シリウスはハリーとをちらりと窺った。
喜ぶだろうか?困惑するだろうか?はどう思うだろうか?
もちろん、シリウスとしては「父・自分、母・、こども2人」の構成が望ましいわけであるが。
「ハリー、知っているだろうが…わたしは君の名付け親なんだ。つまり、後見人だ。
ジェームズとリリーがわたしを指名した。ペティグリューを引き渡す、わたしが自由になる。
それが――それがどういう意味か、わかるかい?」
ハリーはきょとんとした顔でシリウスを見ている。
ああ、ダメだっただろうか。唐突すぎただろうか?
たとえどんな中身であろうとも、育ててくれた恩義のあるマグルを捨て置けないのだろうか?
それとも、もっとこう、徐々に面会回数を増やしてからとか、そういう手順を踏むべきだったのだろうか?
しかし、それではなんだか見合いをしているみたいだ。
「きみが伯父さんや伯母さんと暮らしたいという、その気持ちを邪魔するつもりじゃないんだ。
ただ――うん、考えてみてほしい。わたしの汚名が晴れたら……もし君が別の家族を……」
「僕――僕、あなたと一緒に行けるんですか?」
ハリーの顔がパッと輝き、すぐに何かを堪えるような表情になった。
そして彼は、のほうをちらりと見る。
優しい子だな、とシリウスは思った。
これまでの流れから、自分がシリウスの新しい生活の邪魔になるのではないかとでも思ってしまうのだろう。
邪魔なものだろうか!
がいて、がいて、ハリーがいて、それでも足りないくらいだ。
いっそリーマスも一緒に居たらいいし、何か動物をたくさん飼うのもいいかもしれない。
そう、シリウス・ブラックは欲張りなのだ。
「ねえ!そしたらハリーがうちに来ればいいのよ!
うち、ママと2人暮らしだから部屋なら余ってるもの!よくない?よくない?」
がシリウスとハリーの間からひょっこりと顔を覗かせる。
きらきらと輝いている目が、まっすぐにハリーを見る。
「、でも……」
「わたしね、ママが仕事に行っちゃうと家ではひとりなの。
だからハリーが来てくれたら嬉しいな!……まあ、シリウスでもいいんだけど」
ついでのように付け足された自分の名前に、シリウスは少し顔を顰めた。
「なんだ、わたしはおまけか」
「そーじゃないけど。でもうちの家長はママだもん。
ハリーなら文句ないだろうけど、シリウスはママがどう言うか分かんないしね」
「そこを思うと胃が痛むよ」
「まあ適当に頑張って」とが言う。
そうして少女はスキップしながらハリーと手を繋ぎ、鼻歌を歌い出した。
ハリーは戸惑いながらも嬉しそうにを見ている。
もうすぐ、これが現実になる。
シリウス・ブラックは脱獄以来初めて、心から笑った。
*
・は吸魂鬼がざわめくのを感じた。
まるで獲物を見つけたかのような、静かな興奮だ。
それは秋くらいの、飢えていた吸魂鬼たちの興奮とはまた違うものだった。
違う。確かに、何かが違う。
の脳裏には暴れ柳の像が思い浮かぶ。
やはり、あのときに『屋敷』のほうまで検めてみるべきだったか。
舌打ちをして悔いようとも、もう遅い。
は吸魂鬼たちの規律を持ち直そうとして杖を振り上げかけ、ぴたりと動きを止めた。
呼ばれた気がした。
空耳だと言われればそれまでだが、娘に呼ばれた気がしたのだ。
嫌な予感がする。いや、本当は、とうにしていた。
杞憂だと思っていたかっただけなのだ。
は耳を澄ませ、目を凝らした。
徐々に近付いてくる人影がある。
それに集中しすぎて、足元を通り過ぎた鼠ほどの大きさのものには、気付くことが出来なかった。
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