雲の上のあなたへ、この声が届くだろうか?
BEHIND THE SCENES : LVI.
シリウスは満ち足りた気分だった。
これから誰かが吸魂鬼を連れて、この場所にやって来るだろう。
そして彼に、『キス』を施すのだ。
だがそんなことをしようとも、いま胸のうちにある暖かさが奪えるとは思えない。
。たくさん、迷惑をかけた。きっと何度も泣いただろう。
それでも彼女は許してくれた。受け入れてくれた。彼の愚かさも、弱さも、すべて。
死ぬことが恐ろしくないとは言わない。
ただ恐ろしさよりも、申し訳なさのほうが大きいのだ。
自分なんかのために、が涙を流す必要はない。
彼女はただ凛として、それでもどこか飄々と微笑んでいるのが一番似合うのだから。
『キス』の執行がされるとき、が居なければいい、と、彼は思った。
きっと自分は、生きようともがいてしまうから。
どうせなら最後くらいは、カッコつけたままでいさせて欲しい。
が部屋を去ってから、どれだけの時間が経っただろう?
きっと時計の進み具合で計れば大したことのない時間だろうが、
シリウスにはそれが何十分のようにも何時間のようにも感じられた。
突然、窓を叩く音が聞こえた。
空耳だろうと思った。
ここは8階だ、外から誰かがノック出来るような高さじゃない。
それでも一応、顔をそちらに向けてみる。
するとどうしたことろう、ハリーが自分を見ているではないか!
シリウスは立ち上がり、窓際に駆け寄った。
きっと間抜けな顔をしているだろうと自覚できるほど、驚いていた。
シリウスは取っ手に手をかけて引くが、開かない。押しても開かない。
鍵がかかっている。そのことは別段、驚くべきことというわけではないだろう。
「さがって!」
ハリーの後ろから、栗色の髪をふさふささせた少女が顔を覗かせた。
クルックシャンクスの飼い主、ハーマイオニーだ。
ハーマイオニーはシリウスに「退がれ」と合図をし、杖を取り出した。
ハリーのローブを掴んだまま、杖先を窓に向ける。そして――
「アロホモラ!」
窓が開いて、シリウスは半身を乗り出すことができた。
さきほどから妙に彼らの身体が1,2メートルほど浮き沈みしていると思ったら、
彼らはなんと、ヒッポグリフに跨っていたのだ。
「ど――どうやって、」
「乗って、シリウス。乗ってください。時間が無いんです!」
疑問はうまく口に出せなかった。
ハリーはシリウスを急かし、ヒッポグリフの手綱をぎゅっと握る。
「ここから出ないと――すぐに吸魂鬼が来ます。
僕たち見たんです、マクネアが――あれは呼びに行く所でした!」
シリウスはハッと我に返り、窓枠の両端に手を掛けた。
そのまま腕に力を入れて全身を窓枠の外に押し出す。
こんなに痩せ細ってしまって良かったと思ったのは初めてだ。
シリウスはヒッポグリフの目を見つめ、乗っても安全かどうか確かめようとした。
ヒッポグリフの目は穏やかだ。すぐに確信する――大丈夫だ。
「よーしバックビーク――上昇!
とりあえず、この塔のてっぺんまで行くぞ!」
シリウスがハーマイオニーの後ろに跨ったのを確認し、
ハリーがヒッポグリフの手綱をピシャリと一振りする。
ヒッポグリフは、大人ひとり分の重さが増えたのにも造作ないような顔をしている。
そのまま軽々と飛び上がり、西塔のてっぺんに到着する。
ハリーとハーマイオニーはすぐに滑り降りた。ここでお別れだ。
「シリウス、もう行って。早く!いまはが足止めしてくれてるはずだけど、
もうすぐみんなやって来て、シリウスが居なくなったことに気付いてしまう!」
が足止めしているというのを聞いて、シリウスは少し嬉しいような気分になった。
ハリー、、ハーマイオニー、勇敢な子どもたち――だが、ひとり足りないような?
「もうひとりの子は――ロンはどうしたんだ?」
「大丈夫、まだ気を失ってるけど、
でもマダム・ポンフリーが治してくださるって言ってました。だから早く――」
「そ、そうか。しかし君たちにはなんと礼を言ったらいいのか――」
ハリーとハーマイオニーが声を合わせて「行って!!」と叫ぶ。
シリウスも今度こそそれに従い、ヒッポグリフの手綱を取った。
どういう仕組みでこうなったのかは分からないが、とにかく、九死に一生を得たのだ。
ヒッポグリフの力強い翼が、夜のホグワーツに羽ばたく。
「君は本当に――ジェームズの息子だよ、ハリー」
わずか下方で、ハリーがくすぐったそうに笑う。
シリウスはもう一度、彼を呼んだ。
プロングズ。またお前に、助けられたよ。
*
はシリウスの元を去ってから、半ば放心状態だった。
どうせなら自分でケリをつけるために「わたしが吸魂鬼を連れて来ます」と
マクゴナガルに必死で食い下がったが、当然のごとく却下された。
ついでに「処刑の瞬間にも立ち会うな」と言われてしまい、
医務室ののところへ戻るしかなくなった。
せっかく娘がこんなに頑張ったというのに、どうやってこんな結果を伝えればいいのだろう。
ハリーにも、にも、会わせる顔が無いではないか。
いくつか階段を下ったとき、言い争うような、懇願するような声が聞こえてきた。
まだ幼い甲高さのある声は、どうして聞き間違えよう、のものだ。
「もっと聞きたいことあるのに、まだ何も話せてないんです!
だから……だからお願いします、シリウスを返して!
シリウス――あのひと、パパかもしれないから、だからっ……かえして…っ」
は大臣のマントを掴んで、必死に見上げている。
まるで自分の分身のような子の姿に、は早足で駆け寄った。
「、ごめんね……もういいのよ。もういいから……
申し訳ありません、大臣。娘にはよく言って聞かせますので――」
ぎゅっと小さな身体を抱きしめると、はするりと手から力を抜いた。
大臣は「いや構わんよ」と言い、焦ったように去っていく。
子どもの熱意というのは、苦手な人にとっては脅威にしか映らないのだ。
この子は、いつも自分のことを押し殺して、親の都合をきちんと聞き入れてくれる子だった。
そんなが、シリウスのことは、あんな風に訴えるほど気にかけていた。
母親なのに、自分はちっともそのことに気付かなかった。
「ごめんね、きっと色んなこと悩んだよね。
それでもわたしのことを思って頑張ってくれたのよね、……」
思えばいつだって、は「本当のこと」を伝えようとしてくれていたのだ。
本当にシリウスが裏切ったんだと思う?と、何度も何度も、訴えてくれていた。
その度にはぐらかすような答をしてしまって、この子はいったい、何度傷付いただろう?
「は頑張ったよ。偉いね、ほんとに…よく頑張った。
だからこんな結果になっちゃったのは、の所為とかじゃないからね」
そう、責任があるとするなら、ちゃんと耳を貸そうとしなかった、自分にあるのだ。
の所為じゃない。この子はあんなにも、頑張ったじゃないか。
バックビークのことにしても、シリウスのことにしても、
大人たちが諦めているのに、いつだって一生懸命で。
どうしてこんなに優しい子に育ったのだろう?
自分はとても、良い母親なんかじゃなかったはずなのに。
「ねえ、お父さん……欲しかった?」
「ん……どうだろ。パパは別に居ても居なくてもいいんだけど、
でも……シリウスなら居てもいいかなって、思った」
「そっか」と言って笑いかけながら、は心の中で思った。
リリー、この子がシリウスの娘である確証はどこにも無いけれど、
でも今、わたしは初めて、そうであればいいな、って、思ったよ。
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