“また今度”











  BEHIND THE SCENES : LVII.











朝日を浴びて、リーマス・ルーピンは目を覚ました。
木の幹に、あろうことか大蛇のロープでぐるぐる巻きにされている自分に気付く。

昨夜のことを思い出そうとすると、ひどく霞んだ記憶しかない。
それでも、の顔を引っ掻いたことはハッキリと思い出せた。

蛇をほどきながら、きっとこれは彼女なりの仕返しだろうと苦笑を零す。
仕返しでありながら、狼人間が何も口に出来ないようにする、優しさも備えた有効な手段だ。


朝日が眩しい。
シリウスは、一体どうなったのだろう?

ひとまず城に帰るべきだと判断し、彼は杖を振って破れに破れた服を修繕した。









城に戻ると朝食の時間であることが分かった。
シリウスのことなど、気になることは多々あるのだが、なにせ空腹である。

事情を聞こうにもダンブルドアはきっと朝食の席に居るだろうと予測をつけ、
リーマスはふらふらと大広間の戸を開けた。



「やあルーピン、昨夜は森で一晩楽しんだのだから、さぞかし空腹であろう?
 こちらに来て、我々と一緒に食事をしてはどうだね?」



生徒たちが楽しそうにはしゃぐ中を歩いていると、
非常にトゲのある、けれどみんなに聞いてほしいといったようなスネイプの声がした。

どこか引っ掛かる物言いに、頬が引き攣るのを感じる。

リーマスはそれらを押し殺し、極めて温厚な笑みを浮かべて「いや、結構だよ」と返した。
この分ならきっと、シリウスに有利な形で決着がついたに違いない。


しかしそんな楽観的な気分は、続くスネイプの言葉でぶち壊されてしまう。



「フム…スリザリン生たちよ、よく覚えておきなさい。
 人狼である者は今のように、ヒトの好意を無下にすることがある。
 しかしそれは彼らがヒトほど洗練された意識を持たぬからだ……
 決して彼らに悪意があるわけではない。彼らを許す寛大さを持つよう心がけたまえ」



大広間はさっきまでの喧騒が嘘のようにシンと静まり返る。
それでもスネイプは構うことなく、白々しい声で続ける。



「おっと失礼、ルーピン教授……我輩、決して悪意は無かったのだがね、
 うむ――つい“うっかり”、口が滑ってしまったようだ。許してくれるかね?」



やられた、と、リーマスは思った。

ここで「許しますよ」と言えば自分が人狼で認めることになるが、
「許しません」と言ったところで「やっぱり人狼だから…」ということになってしまう。

これでは今さら「わたしは人狼じゃないですよ」と反論するのも白々しい。



「それは――もちろん、セブルス…
 いや、わたしは気分が悪いからやっぱり研究室に戻るとするよ」



ああ、終わった。

疑惑の視線ばかりが押し寄せる居心地の悪い大広間を、リーマスは足早に横切った。
来るんじゃなかった、やめておけばよかった、と後悔の思いばかりが去来する。

背後で、が立ち上がるのが分かった。
彼女の足音と、彼の足音が、ふたり分、大広間に響く。



「――あらすみません、スネイプ教授。
 つい“うっかり”、手が滑ってしまいましたわ」



ばしゃっ!と音がして、リーマスは不意に足を止めた。
酷く冷たい視線を投げかけると、頭から水をかぶったスネイプの姿が見える。

先程のスネイプのように「うっかり」を強調しているが、どう見てもわざとだ。



「ちょ――ママ!何してるの!?」



に良く似た少女が立ち上がり、叫んだ。
すると「ママ」という単語に反応し、周りの生徒たちがざわつき始める。

生徒たちはもはや、リーマスの方を見ていなかった。

は周囲をチラッと見回し、わざと明るい声で「わたしたち親子なのよ!」と宣言する。
双子のウィーズリーがそれに便乗し、大広間は明るい笑い声に包まれる。
もう誰も「狼人間」のことなど考えていないだろう。


リーマスはの気遣いに感謝しながら、大広間を去った。
事務室の机の中に常備していた「辞職願」は、いまこそ使うべきだろう。















辞職願の提出は滞りなく済んだ。
ついでにピーターとシリウスが逃亡したことなどを聞き、スネイプの態度についても納得した。


荷造りをしなければならない面倒臭さを思いながら、自分の研究室の扉を開ける。
そこでは我が物顔でが紅茶を飲んでくつろいでいた。



「やあ……さっきはありがとう、助かったよ。
 ところで頬の傷は大丈夫かい?痕が残ったりは――」

「しないわよ、大丈夫。リーマスこそ平気だった?
 娘が居たもんだからつい、手加減できなくてね……締め痕とか残ってない?」

「残ったところで、誰が気にするもんか」

「あら、分からないわよ。
 シリウスとか、とか――あとは、あなたの将来のお嫁さんね」

「そんな人は居ないさ」



リーマスは杖を振り、一斉に荷造りを開始させた。
自分はの正面に座り、紅茶のカップを手に取る。
彼女は随分と紅茶を淹れるのが上手くなった。昔はコーヒー派だったのに。



の声、聞こえたよ。
 “そんなに簡単に狼に負けていいのか”って」

「光栄ね。その割にはうちの娘を狙おうとしたみたいだけど?」



リーマスは曖昧に返事をした。
そんなことをしただろうか?思い出せない。
それが本当だとしたら、さぞや怖い思いをさせてしまったことだろう。



「どうするの、これから?仕事のツテとかあるの?」

「まさか。その日暮らしの生活に戻るだけだよ」

「じゃあうちに来る?ちょうど欲しかったのよねー、の面倒見てくれる人。
 ほら、だってわたしが仕事に行くと、あの子ひとりになっちゃうでしょ?」

「冗談だろう?だってわたしはを襲おうとしたって、きみが言ったばかりじゃないか。
 あの子はきっと、わたしの姿なんて二度と見たくないと思っているはずだよ」



はカップを置いて、「ばか」と笑った。



「あのねえ、あの子、わたしの娘よ?
 の遺伝子はそんなもんじゃ怯まないの」

「でも……」

「それくらいで怖気づくような子に育てた覚えはないし、育ってないわよ。
 考えてもみて、そんな子がこっそり1年ものあいだシリウスに協力できると思う?」



リーマスも笑って、「それもそうだね」と返した。
の家にお世話になる。夏の間だけなら、それもいいかもしれない。

荷造りはほぼ終わったようだ。
あとは手で何冊か本をトランクに詰めれば事足りるだろう。

リーマスは事務机の上の羊皮紙に気付き、目を細めた。



「ハリーがこっちに来るみたいだ。ほら、“忍びの地図”――」



も立ち上がってそれを覗き込み、「あらまあ」と言った。
ハリー・ポッターの名前を背負った点が、それなりの速さで移動している。

はその場で伸びをした。



「さて、じゃあわたしはハリーが来る前に戻ろうかしらね」

「どうしてだい?少しくらい話して行けばいいじゃないか。
 もしかしてシリウスのことで気に病んでいるとか――」

「そうじゃなくて、リーマス。
 あなた、“地図”とマントをハリーに返すんじゃないの?
 わたしはまだ教師だから、そんな現場を目撃したら没収しなくちゃいけないわ」



なるほど、とリーマスは苦笑する。
確かに、透明マントは荷造りされずにまだ椅子に引っ掛かっている。



「じゃあね、リーマス。いい返事を期待しておくわ」

「うん、考えておくよ」



はヒラヒラと手を振って、リーマスの研究室を去った。
“さようなら”は言わなかった。今度からはもう、いつでも気兼ねなく会えるのだ。



こんこん、と、焦ったようなハリーのノックが聞こえる。



















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