きみは、誰だ?
BEHIND THE SCENES : V.
わたしは漏れ鍋の扉を目指して足を動かしていた。
ダンブルドアに頼まれたとおり、生徒の護衛をするために。
そしてそのままホグワーツ特急の警護をすることができるように。
生徒の名前だけは教えられた。・アンドロニカスだ。
母親と2人暮らしだが、母親は仕事の都合で駅まで送ることができないらしい。
ダンブルドアもマクゴナガルも、彼女の父親については言及しなかった。
しようともしなかった。
2人が教えてくれないことはそれだけではない。
わたしは助手となる人物の顔も、名前も、経歴も知らないのだ。
いつも入れ違いになってしまう。
人が心の中のなにかを隠し通そうとする。
しかしそんな時は、何も言わないに越したことはない。
黙って、わかった顔をする。
わかっていた例がないのは、いつものことだ。
それでいい。
人に深入りはしない。それが正しいんだ。
「…・アンドロニカス?」
扉を開けて、わたしは店内に目を凝らす。
カウンター席に、小さな背中が見えた。
足元には体に不釣合いなほど大きなトランクが横たわっている。
間違いなく彼女だろう。わたしは声をかけた。
少女が振り向いた。
(――― ?)
少女の顔立ちは、自分たちが学生だった頃の彼女の姿によく似ていた。
まばたきをする仕草も。
その髪が顔にかかっている様子も。
(――― そんなはずは、)
そんなはずは、ないのだ。
ない。絶対に。
彼女は自分と同級生だった。
彼女は、
は、
(――― 死んだはずだ)
「はい。先生ですか?」
そうだ。彼女は死んだ。
いや、そういうことになっている。
わたしだって死んだとは思いたくない。
信じたいが、「あれ」からの彼女は、形跡も消息も、何もないのだ。
目の前にいるのは・アンドロニカスだ。
・ではない。
肯定の意味を込め、わたしは静かに首を動かした。
「リーマス・ルーピンだ」
大丈夫。
生徒の顔でいちいち動揺していては、これからの生活に耐えられないだろう。
これからホグワーツで働くのだから。
彼女と、彼らと、7年もの時を共有した、あの場所で。
わたしはカウンターの少女の横に腰掛けた。
少女は驚いた顔でわたしを見ている。
「先生?」
「なんだい?」
「わたしたち、どうやって駅まで行くんですか?」
わたしは移動キーについての説明をする。
大丈夫。もう授業は始まっている。
生徒はひとり。題目は移動キーについて。大丈夫だ。
舌の上でチョコレートが溶けていく。
この甘い塊はわたしの精神安定剤だから、欠かすことはできない。
「…ジェットコースター・コインですか?」
「ん?」(ジェットコースター?)
「バスとかトロッコみたいにぐるぐるしますか?」
なるほど。マクゴナガルが言っていたのはこの事だったのか。
(ルーピン、諸事情で、少し変更が加えられることになりました)
(当初の予定の『夜の騎士』バスではなく、移動キーでホームまで行って下さい)
(細かい規制などは校長先生が取り計らって下さいます)
「うーん…それはなんとも言えないなあ…」
「そうなんですか…」
少女はオレンジジュースを飲み干した。
ストローがずずっと音を立てる。
わたしは店内を見渡した。
朝食セットをなんとか食べ終えたお年寄りの魔法使いが席を立ったところだった。
ちょうどいい頃合だろう。
直にホームまで行く、という特例を目撃されるのはあまり好ましくない。
わたしは杖を振る。
無言呪文だが、荷物を軽くする程度なので失敗はしていないだろう。
「すごい!ママとは大違い!」
ふとした違和感を感じた。
少女の母親はマグルだったはずだ。
しかしこれではまるで母親も魔法を使うというような言い方ではないか?
魔法を使えるのに、少女の助けには応じない、と言っているようには聞こえないか?
単に魔法界で働いていないだけで、昔はホグワーツに通っていたのだろうか?
あまり多くはないが、そういった進路を選ぶ生徒もいるらしい。
わたしの不信感を知ってか、少女は苦笑した。
「それじゃあ行こうか」
わたしはトランク片手に、コインの端に触れる。
少女もわたしに倣う。
一瞬の後に、コインは青白く発光を始めた。
荷物を離さないように、と声をかけた時には、景色が回転し始めていた。
移動キーが発動した。
*
ホグワーツ特急の真紅の車体の上方には黒い煙が渦巻いている。
懐かしい光景だった。
昔はここから汽車に乗り、魔法の学び舎へ向かったものだ。
最初はひとりだった。
けれど次第に、横に立ってくれる友ができた。
怒られたことも、支えられたこともあった。
また、ひとりになってしまったな。
わたしの横で、少女は立ち尽くしている。
昔のわたしのように、力強いその真紅の車体に見惚れているようだった。
「…ようこそ、9と3/4番線へ」
少女は周囲をおそるおそる見渡した。
もちろんここは漏れ鍋ではない。
「…柵、通ってみたかったです」
少女はわたしを見上げて言った。
その表情はどこか残念そうで、どこかすねたように見えた。
子供らしいその様子に、わたしは微笑ましさを感じた。
大丈夫、きっと来年は母親と一緒に来れるよ。
「ドキドキするってハリーが言ってました」
少女の声で紡がれた名前に、わたしは思わず身構えてしまう。
ハリー。
ハリーにとって柵を通り抜けるなんてことは楽しいイベントに違いない。
ああ、知っているさ。彼の息子なんだから。
誰よりも愉快さを追求していた彼を、わたしはずっと見ていたんだ。
彼の横で。
あいつの隣で。
「はハリーと友達なのかい?」
「とっても仲良し!」
少女が満面の笑みでわたしを見た。
きみ達はいつも一緒で飽きないかい?
ぜんっぜん!俺たちすっげえ仲良しだからな!
きみは、誰だ?
どうしてわたしの記憶を抉り出すようなことをするんだい?
どうしてそんなに希望に満ちた顔でわたしを見るんだい?
少女の瞳は輝いている。
それはわたしがもう10年も昔に失ってしまったものだ。
それは20年も昔に彼らの瞳にあったものだ。
きみは誰だ。
どうしてあいつと同じ瞳でわたしを見る。
どうして彼女と同じ顔でわたしに笑いかける。
彼女の顔で、彼女の声で、どうしてあいつと同じことを喋るんだ。
「…なら、きっと…たくさん友達ができるよ…」
彼女と重なる顔を視界に入れないようにして、わたしはなんとか言葉を発する。
違う。この子は彼女じゃない。あいつでもないんだ。
この子は漏れ鍋に宿泊していたんだ。
同じようにしていたハリーと仲良くなっても、なんら不思議ではない。
しっかりしなくては。
これからハリーと会うこともあるんだ。
教師が過去に囚われていては生徒を守れない。
「…さあ、汽車に乗ろう」
そうだ。
わたしの仕事はあいつから生徒を守ることだ。
しっかりしなくては、ジョン・ルーピン。
勇敢な父の名をミドルネームに冠しているのならば。
わたしと少女は汽車のステップに足をかけた。
「誰もいませんね」
通り過ぎるコンパートメントを逐一覗き込んで、少女が不思議そうに言った。
わたしとしては誰かがいるとは思っていなかったので、別段不思議ではない。
移動キーが発動するまでダンブルドアが人払いの呪文をかけているはずだ。
それに、こんな時間に来る生徒というのもかなり希少なはずだ。
「どこまで行くんですか?」
「最後尾だよ」
教師と生徒が一緒に乗車したところなんて、あまり見られるわけにはいかない。
最後尾まで行けば、他の生徒が現れるまでの時間稼ぎになるだろう。
生徒が増えたら、この子も好きなコンパートメントへ移動すればいい。
「も他の生徒が来るまではそこに居てもらえるかな?」
「はぁーい」
せわしなくコンパートメントを覗き込みながら、少女が返事をした。
「あの、先生」
最後尾の車両に着き、わたしは2人分のトランクを荷物棚に置いた。
少女は外の様子が気になるらしく、ちらちらと目を泳がせている。
「探検してきていいですか?」
わたしは窓際の座席に腰掛けていた。
満月の疲労がまだ残っている。
外のざわめきが子守唄に聞こえるほどだった。
ハリーとウィーズリー一家を乗せた車も、そろそろ着くだろうか。
どちらにしても生徒が増えてきたのだから、この子を室内に拘束する理由はない。
わたしは許可するように首を縦に振った。
「行ってきます!」
少女は顔いっぱいに期待を溢れさせて笑った。
若さと未来を、少女は持っている。
ハリーもきっと同じものを持っている。
わたしは彼らの道しるべになることができるだろうか?
親友を得て、すべて失ったわたしに、
同じ道を歩まないようにと彼らを導くことができるだろうか?
行ってらっしゃい、とわたしは言う。
どうかきみが、ハリーにとって真の友となってくれますように。
どうかきみが、きみたちが、わたしと同じ想いをしませんように。
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「あいつ」というのは脱獄犯のこと