聞こえる?
BEHIND THE SCENES : VII.
「――とわたしで簡単な呪文の応酬をしたいんだ。
でもは夜間警邏があるだろう?だから午後のハッフルパフの授業から―」
リーマスはわたしに授業計画表を見せながらニコニコしている。
ほら、やっぱり。彼は教師にピッタリだと思ったのは間違いじゃなかった。
わたしはティーカップを置いていいわよ、と言う。
寝不足なんて女優時代からしょっちゅうあったことだもの。
リーマスの教員室はまさに彼の個性が出ている。
授業に必要なものが雑然と置いてあって、それに隠れるようにお茶のセットが置いてある。
茶葉は彼が学生時代から好んでいた銘柄だし、お茶請けは甘いお菓子。
「どの呪文を使うの?」
「一応、盾の呪文と妨害の呪いは習得させようと思ってる。それから―」
武装解除は昨年の『決闘クラブ』でロックハートという人物が実演したらしい。
しかもセブルス・スネイプを相手に!
そんなことはわたしたちの同級生だったらガリオンを積まれてもしなかっただろう。
彼はなにせ、入学当初から教師を凌ぐほど闇の魔術に詳しかった、という噂が立てられるほどだった。
「……ねえ、」
「なぁに?」
リーマスが不意に表情をなくした。
「父親は…あいつかい?」
なんのこと?
しかしわたしの声は出てこなかった。
喉元まで来ているのに、そこで詰まってしまう。
「のことだよ」
(彼じゃないわ)
(わからないわ)
わたしの手元にある選択肢は少ない。
やはりリーマスは気付いたのだ。
もっとも、誤魔化せるとも思っていなかったけれど。
「…………バレちゃった?」
「あの子は昔のにそっくりだからね」
生き写しだ、とリーマスは笑った。
「漏れ鍋であの子を見たとき、かと思ったんだ。
何かの事故で年齢が逆行してしまったか、生まれ変わりか…」
わたしはティーカップを再び手にした。
馨しい香りが鼻腔をくすぐる。
「……『わからない』としか答えようがないの」
リーマスが目を丸くした。
「先に謝っておくわ。気分の悪い話でごめんなさい。
わたし、あの頃…ハロウィンのあと、という意味よ…もう滅茶苦茶で…
その、つまり、荒れてたの。毎晩のように。だから彼かもしれないし、他の誰かかもしれない」
わたしは紅茶を一気に煽る。
「でもそんなことはどうでもいいの。あの子の父親が誰か、なんて。
だっては間違いなくわたしの娘だもの。それだけで十分。
あの子がいたから、生きていこうと思えた。生きてこれた」
わたしにとって、は全てだ。
を守るためなら、何だってした。
たとえそれが、リーマスをひとりぼっちにしてしまう結果になろうとも。
「……そうか…」
「うん…ほんと、ダメな女で…ダメな母親で…これじゃリリーに怒られちゃう」
リーマスは無表情でわたしのティーカップにお茶を継ぎ足した。
ポッドはすこし欠けている。彼は学生時代からずっとこれを使っている。
しばらく、わたしたちは無言でお茶を飲んだ。
「…あいつのことはどう思う?」
わたしたちは彼の名前を出さない。
「…どうでもいいわ」
名前を呼んだら、彼が今すぐにでも現れてしまいそうだ。
昔はヴォルデモート卿に対して人々がそう恐れる感覚がイマイチわからなかったけれど、
今ならわかる。こういう気分だったのだろう。
恐れていたのだ。相手が自分の背後に立つ瞬間を。
「誰が裏切ったとか、裏切られたとか、関係ない。
結果として、リリーもジェームズも死んでしまった。死んでしまったのよ。
本当の裏切り者が誰であったところで、その結果は覆らないわ」
うん、とリーマスが言った。
「結果だけがわたしにとっては意味を持ってる。他のことは関係ない」
「……は…変わらないね…」
リーマスが苦しそうに笑った。
わたしはかつて、同じような理屈を彼に語ったことがある。
(リーマスが何であろうと関係ないよ)
(だってリーマスは友達だもん)
(人狼だろうとなかろうと、それは変わらないよ)
「………でもね、本当はそう言い聞かせてるだけ」
「…なぜだい?」
「そうしなきゃ…を、守りきれない」
わたしはきっと、リリーを死へ追いやった人物を許せないだろう。
もしかしたら復讐しても気がすまないかもしれない。
だけど母親がそんな無鉄砲なことをしたら、はどうなるの?
を放って復讐に奔りたくない。
わたしはの傍にいたい。
だからわたしは、自分を殺した。
必死で抵抗する自分の心を、抑えつけた。
「うん……」
そうだね、とリーマスは言った。
わたしたちは探り合うことをしない。
*
夕食の時間が近づき、わたしは職員室へ向かった。
そろそろディメンターの様子を見てこなければ。
奴らの傍に立つのはとても根性がいる。
気を抜けば嫌なことばかり思い出してしまう。
わたしは厚手のローブに着替えることにした。
職員室のドアを開ける。
「あらスネイプ」
スネイプが低い肘掛け椅子に座っていた。
定位置なのだろうか。彼はいつでもここに座っている。
彼は眉毛を吊り上げてわたしを見た。
ひとりの時間を邪魔されたことが嫌なのだろう。
「そんな顔しなくたってすぐ出てくわよ。着替えを取りにきただけ」
「…、そこは―」
わたしが洋箪笥に手をかけたとき、スネイプが言った。
けれど彼の言葉が終わる前に、わたしはカギを外して扉をあけてしまった。
濃い赤毛の少女が、箪笥から出てくる。
「」
少女はわたしの名前を呼んだ。
明るいエメラルド・グリーンの瞳はしっかりとわたしを捉えている。
滑るように、彼女がわたしに近寄る。
「」
「……リリー…?」
彼女が一歩近寄り、わたしは一歩下がる。
無意識のうちに遠ざかろうとしている。
「裏切り者」
彼女の声がわたしの脳に響く。
彼女の眼から赤い涙がこぼれた。
「信じてたのに」
「……リリー…」
「助けてくれなかった」
「……ごめん……」
「私たちを捨てたんだわ」
「ごめん…なさい……」
「信じてたのに」
赤い涙は彼女の服を真っ赤に染めていく。
「痛かった」
「……ごめんなさい…」
「苦しかった」
「………ごめ……」
「許さない」
彼女の手がわたしの喉元に伸びる。
「許されると思った?」
「……リ、…」
「許すわけないじゃない」
も、死ねばいい。
「……ッ、リディクラス!」
わたしは杖を振った。
彼女の手がわたしの首に触れる直前だった。
スネイプが呆然と立ち尽くしていた。
ボガートはどろどろに溶けたアイスクリームになった。
もう一度杖を振って、わたしはそれを元の箪笥の中へ押し込める。
「……」
「言わないで」
心臓が肋骨を突き破るかと思うほど激しく鼓動していた。
今のはボガートだ。
リリーじゃない。
「職員室の箪笥にボガートを閉じ込めてあるって、さっき聞いたのに。
やだわもう、歳かしら。すっかり忘れてた」
「」
「言わないで」
何も言わないで。
「パトロールに行ってくる」
スネイプはまだ何か言おうとしていたけれど、わたしは職員室を出た。
喉元が冷えていた。
着替えるのは諦めることにした。
(も、死ねばいい)
彼女の声が、まだ響いている。
耳鳴りのように脳を直接揺さぶるようだ。
(死ねばいい)
それがわたしの恐れてること?
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