ノックの音が響く。 出迎えた男は常と変わらないくたびれた服装で女の前に現れた。 扉を開けると、顔中に穏やかな笑みを浮かべる。 女はぎこちない笑顔を返した。 「ホグズミードには行かないのかい?」 「えぇ、その代わり、行かなくちゃいけないところがあるの」 男は女を招き入れた。 女は慣れた様子で室内を横切り、椅子に腰を降ろした。 男は女をちらりと見て、紅茶の準備を始めた。 どこへ、とは聞かなかった。 「ジェームズとリリーのところ…かな?」 「正解よ」 男は紅茶を淹れおわり、二人分のそれを運んだ。 女は礼を言いながら受け取る。 男は女の向かい合わせに座り、自分で淹れた紅茶を啜った。 風味の良いその銘柄は、学生時代からずっと愛飲しているものだ。 「リーマスはどうする?」 男は目を瞑り、すこし考えた。 やがて静かに首を振り、同行できない旨を表す。 「私はこの仕事が決まったときに報告してきたからね… それに、ハリーと話が出来たらいいなと思っているんだ」 そう、と女が答えた。 親友の息子とは、まだ話していない。 まだ、話す勇気が出ないのだった。 二人は無言で紅茶を飲んだ。 二人とも、昔のことを考えていた。 十数年前までは、親友たちが揃っていた。 それが今ではたったの二人だ。 いや、ふたりでは、ない。 「……もしあの人が近くに潜伏しているとしても、」 女が口を開いた。 湯気を見つめながら紡ぐ言葉は、誰に向けて放たれたものでもないようだった。 「今日だけは、何もしないで欲しいものね」 男は何も言わなかった。 女の言葉が聞こえていないかのように、紅茶を胃に流し込み続けた。 喉を焼け付かせるような感覚が広がる。 「………は大丈夫かい?」 「なにが?」 男は二杯目の紅茶を注ぎながら、言う。 女の目を見ずに、跳ねる飛沫を見つめながら。 「ボガートの件、聞いたよ。セブルスから」 女は目を瞬いた。 誰にも言うなと念を押したはずなのに、あの黒い蝙蝠はお節介にも喋ったようだ。 「大丈夫じゃないから、行くのよ。きちんと謝りにね。 わたしの事なら、怨んでくれてもいいし呪ってくれてもいい。 それが本当にリリーたちの想いなのだとしたら」 紅茶を飲み干し、女は礼を言って立ち上がった。 見送る者の礼儀として男も立ち上がり、共に扉まで歩いてゆく。 女が扉の取っ手に手をかけたとき、男はその白い手に自分の手を重ねた。 「トリック・オア・トリート?」 本来ならば仮装した子供たちが言うべき言葉を、男は紡ぐ。 女は呆れたような楽しそうな表情で、男を見た。 女は右手を取り出し、杖を握るとそれを一度だけ軽く振った。 特に呪文を唱えることはしなかった。 「…これで足りるかしら、"悪戯仕掛け人"さん?」 金貨や蝙蝠やかぼちゃの形につくられた菓子類を魔法で取り出し、男に差し出す。 ひとつひとつ吟味する男の瞳には「食べるのが楽しみだ」と書かれている。 女は扉を開けた。 すぐ目の前には窓があり、寒々とした秋の空が目に入る。 不意にぐいと腕をつかまれ、女は均衡を失った。 なだれこむように室内に戻されたとき、ばたん、と扉が閉まった。 男の腕の中に倒れこむと、額に柔らかく口付けがされたのがわかった。 「おつりだよ」 気をつけて、と道中を案じる言葉を掛けて、男は女を解放した。 女は男の肩を軽く叩き、いってきますと言った。 再び扉を開け、女は部屋を後にした。 女が歩くたびに、こつこつと靴の踵が立てる音が、廊下に響く。 |