校門をくぐり、踵を軸にしてくるりと回る。











  BEHIND THE SCENES : XII.











生徒たちで溢れかえっているであろうホグズミードの景色を眺めながら、くるりと回る。
時刻は正午前。まだまだ帰ってくる生徒はいない。


くるりと回る。
踵を軸にして。


どこへ行きたいのか
どうして行きたいのか

姿を現す先に意識を集中させる。それが姿現しのコツだ。







くるりと回り、目を開けて飛び込んでくるのは小さな村の景色。
そこはすでにホグワーツの正門前という場所ではない。

わたしは一歩踏み出す。
そこは十数年前の記憶とは様変わりしていた。


ゴドリックの谷。


わたしは足を進める。
食料品店や雑貨屋が建ち並ぶその光景に、普通のマグルの村との違いはない。

それでもこの集落は魔法界の歴史においてしばしば重要な役割を果たした場所だ。
例えばそれは始祖のひとりであるゴドリック・グリフィンドールの生地であることからも分かる。


村の中央、正面に見えるのは教会だった。
十数年来訪れていなかったが、親友たちの墓はそこにある。


わたしは足を進める。


戦没者慰霊碑のかたわらを通るとき、村に入ってから初めて足を止めた。
振り返れば慰霊碑に偽装させた、一家の銅像が目に入る。

像となり、永遠にそこに立ち続ける親友一家の姿を、食い入るように見つめる。

この像を建てるために、当時は署名活動がされていた。
生き残った男の子のために、と善意の人々による募金や献金で、資金には困らなかったそうだ。

わたしは、そんな世間の動きに背を向けて、闘いに明け暮れていたけれど。

妻である彼女は、穏やかな笑みを浮かべて息子を抱いている。
夫である彼は自分の妻子を温かい目で見守っている。
彼らの宝である赤ん坊は、無垢な瞳で見つめ返しているようだった。

赤ん坊は今ではホグワーツの生徒となるまでに成長した。
今さらながらに、時の流れを感じた。


再び、足を動かす。


今度は足を止めることなく教会へ向かい、そのまま墓地へまわる。
綺麗に掃除のされたその場所に、胸が締め付けられる。

どんなに綺麗に整えられていても、ここは生ける者の場所ではない。
どんなに綺麗に整えても、死者が応えることは、ない。

親友たちの墓の場所は、体が覚えていた。
何も考えていないのに、何も考えられないのに、足は自らの意思で動いていく。


そして、大理石の墓碑があらわれる。


霞むような空気の中に、その石は隠れるように佇んでいた。
年月を経て、かつてはけがれのない白だったものに苔やひび割れや埃が付着している。



「リリー、ジェームズ、久しぶり」



わたしは膝を折って、彼らのもとへ跪く。

杖を振って花を出す。
彼女の好きだった花ばかり集めた花束を、彼らに捧げる。


ずっと来れなくてごめんね、と声に出さずに語りかける。

そして、ふと気付く。
違う。
わたしは『来れなかった』のではない。

『来なかった』んだ。


なぜだろう、それに気付いたときに、ふふ、と吐息のような笑みが零れた。
娘を育てること、守ることを理由にして、わたしは目を逸らしていたんだ。
リリー、わたしは何て薄情な親友だろう。


わたしは懐から小箱を取り出し、花束の横に置く。
あの無愛想な彼が、彼女のために用意した餞。



「…これはスネイプからよ。喧嘩しないように分け合ってね」



わたしは地面に向かって語りかける。
この声は届いているのだろうか。
返事は永遠に聞こえない。



「スネイプのこと、許してあげてね、リリー。ジェームズも。
 リリーのことを本当に大事に思っていたんだから。
 今だってハリーのこと、文句言いながらもちゃんと気にかけてるわ」



寄り添うように眠る彼らを思い浮かべて、言葉を繋げる。
呼吸をするように容易く次から次へと踊り出るそれが、11月を目前に控えた空に響く。



「リーマスは元気よ。もうすぐ満月だから、今はちょっと辛そうだけど。
 相変わらず美味しい紅茶をごちそうしてくれるし、甘いものには目がないわ。
 彼ね、最近のホグワーツのDADA教授のなかでは最高だって評判なのよ」



通りすがりの村の住人がこちらを見て、会釈をした。
こちらも会釈を返す。
この墓所がこんなにも美しく保たれているのは、ひとえに
『ポッター家の惨劇を忘れぬよう』と手を尽くしてくれる住人のおかげだ。



「わたしは、元気よ。あの日以来…特に大きな怪我も病気もしていないし。
 ねえ、リリー、ジェームズ、わたし、母親になったの。
 ハリーよりも2歳下の女の子で…誰に似たのかなあ、じゃじゃ馬でね」



目を閉じて、何物にも替えがたいほど大切な娘の顔を思い浮かべる。
この真下で眠る親友たちにも、娘の顔を見てもらえるように。



「あの子が産まれて、リリーのことがわかった気がするの。
 母親が子供を守るときは、なんだってする。なんだって出来る。
 たとえ命を落そうとも子供だけは守ろうとする」



たとえ、それまでの生き方をすべて捨てることになろうとも。
それが免罪符になるかどうかはどうでもいい。
大切なのは我が子が呼吸をして鼓動をして大地を踏みしめてくれること。



「だから、わたしが恐れていることは娘が死んでしまうことだと思ってた。
 なのに実際は貴女だった。貴女がわたしに『死んでしまえ』と言うことだったの。
 ごめんね、リリー。わたしは親友失格よね」



自分は彼女にとって良い友達だったのだろうか、良い仲間だったのだろうか。
疑問は尽きず、答えは出ず、わたしは猜疑の渦から抜けられない。



「……もう、逃げないよ。もう見えない振りはしない。
 きちんと現実と向き合うから。リリー達のこと、……シリウスのことも。
 十二年前の今日、何が起きたのか。わたしは知りたい。本当のことを。
 だからリリー、ジェームズ、わたしを見ていて欲しいの」



加護を下さい、とは、言えないけれど。
せめて、現実を見つめようとする自分をしっかり見ていてほしい。



「ハリーは……子供たちは、絶対にわたしたちの二の舞には、させないから」



だから、見ていてほしい。

今まではずっと、自分のために闘った。
そして今、もう一度、わたしは杖を取った。

わたしはこの杖を、子供たちのために振るおう。



目を開ける。景色に、目を閉じる前と変わったことは何もない。
それでも、空はより一層蒼く見え、墓碑は明瞭に見える気がした。



腰を上げ、彼らの墓標を見下ろす。
許してもらえるかどうかはわからないけれど、精一杯、自分に出来ることを。

踵を軸にして、くるりと回る。

彼らがまだ生きていたころ、わたしが闘っていたころ、
彼を愛していたころ、その頃に住んでいた家へ向かう。



















シリウス・ブラックは慎重に石畳の廊下を歩いていた。
ずっと犬の姿で潜伏していた彼にとって、人の姿で歩くのは久しぶりの体験だった。

足音が反響するのが、嬉しい。
毛に覆われた獣の足では、この音は出せないからだ。

自分は、生きている。
生きている人間なのだ。

生の実感が彼を歩ませる。
学生時代、彼が幸せだった時代に歩んだのと同じ道を。



「あらあら、こんなところに何の用かしら?」



馴染みの"婦人"は彼の姿を見るなり、そう言った。
お節介そうな表情は、まさに彼の記憶通りの姿だった。

ああ、生きている。と思う。
生きていた記憶が、自分にはある。



「ここを開けてくれ。私のことは覚えているだろう?」

「合言葉が無けりゃ、ネズミ一匹通しやしませんよ」



"婦人"は断固とした声で言った。



「この中に用がある。ネズミ一匹でいいんだ。
 そいつを殺すか捕まえられればいい。開けてくれ………頼む」

「……あんたに『お願い』される日が来るとは思わなかったねぇ…」



ハ、と彼は喉から空気を出した。
笑ったのかもしれなかった。笑ったのは、いつ以来だろう。



「それなら何度でも言うぞ。頼む。この通りだ。
 生徒たちは宴会で居ない。何も困ることはないはずだ」



"婦人"は首を振った。



「いいえ、何を言われようとも通しませんよ。
 あなたたちは昔からそうでしたからね。ポッターと一緒になってペティグリューを――」

「その話をしに来たのではない」



ペティグリュー。

シリウス・ブラックの脳を開いたなら、その名前が全体の半分を占めていることがわかるだろう。
その名前は、彼に生への執着を呼び起こさせるものだった。

そしてそれは今とて例外ではない。
"婦人"がペティグリューという名前を親友の名前と一緒に口にしたとき、血が沸くのを感じた。

なぜ、そのふたつを同列に扱う?



「――どうしても、通さないと言うのだな?」

「お、脅したって通せないものは通せませんよ……」



彼の声が凄味を増したのを感じ取り、"婦人"が怯えたように言った。
ぼろぼろに擦り切れたローブの内で、ナイフを握り締める。
そのナイフは逃亡中に偶然拾ったものだった。



「――脅しでは、ないが?」



シリウス・ブラックはナイフを持ったほうの腕を振るった。
その名に相応しく、黒く俊敏な影のように。

"婦人"の悲鳴が石造りの廊下に反響した。

それでも彼はナイフを納めなかった。
彼の内にたぎる怒りが、生きているという実感が、腕を下ろすことをさせなかった。

天誅を。復讐を。
彼の素晴らしい親友を、薄汚いドブネズミと同格に扱う者への制裁を。



「ここを、開けてくれ」



彼の切実な衝動が、彼の腕を動かす。

開けろと要求しながら、彼はキャンバスを滅多切りにしていった。
何かに憑かれたかのように、生きた絵の具を裂く。

自分は殺人鬼だ。と彼は思う。
"婦人"の悲鳴も、周りの絵画のどよめきも、耳に入らない。



「開けてくれよ」



あと少しなのだ。

あと少し進むだけで、彼の悲願は達成されるのだ……







我に返ったときには、"婦人"はもう額縁の中には居なかった。
ぱっくり割れた布地と絵の具の破片があたりに散乱している。

彼はくるりと踵を返した。
来た時と同じように慎重に進むことは諦めた。



黒く俊敏な影として、彼は駆ける。



















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7巻公式情報に一部設定を勝手に追加しています。

公式設定
・ゴドリックの谷は創始者ゴドリックの生地である
・ポッター一家の銅像が慰霊碑にカモフラージュされている
・スネイプがリリーを大切に思っていた
追加設定
・銅像を建てるための署名活動や募金、献金
・墓地は住人が綺麗にしている