かくれんぼなのか、鬼ごっこなのか。
BEHIND THE SCENES : XIV.
ハグリッドと別れ、ファングと共に森の中を進む。
円を描くように、森の周囲をぐるりと回るコースをとる。
仕事なので従うけれど、わたしは彼が森に居るとは思っていない。
わたしが彼なら、向かうのは敷地の外。
暴れ柳から通じるあの屋敷へ向かうだろう。
あの柳の秘密を知る者は、数えられるほどしか居ないのだから。
ファングがわたしの足元を掠る。
大きな犬を従えて歩くのは、学生時代以来のことだ。
彼の変身した姿も、大きな犬だった。
何を思い、彼は今日という日を選んだのだろう。
親友たちの亡くなった日に、"婦人"を破壊するなんて。
幸運だったのは生徒たちが宴会で出払っていたこと、だろう。
それは偶然なのか?それとも彼が意図したのか?
どちらにせよ、彼が侵入を試みたことに変わりはないけれど。
「ファング、どう?」
ファングは鼻を鳴らしてこちらを見上げた。
潤んだ瞳は何を言いたいのかよくわからない。
わたしは膝を突き、ファングと目線を合わせる。
頭を撫でてやると、嬉しそうに喉を鳴らした。まるで猫のように。
「お前は、ハグリッドのところへお行き」
森の深部では、ケンタウルスを始めとした様々な種族が生活している。
精通した人間でないと、夜歩きは危険だ。
わたしは立ち上がり、ファングの背を撫でてから押し出す。
森の出口へ足を向ける。ここには居ない、と第六感が告げている。
叫びの屋敷へ行かなければ。
走って森を出ると、暴れ柳へ向かう。
間に合ってほしい。
彼を見つけるのは、自分か、リーマスであって欲しいと思う。
リーマスはダンブルドア先生に動物もどきのことを教えていない。
それは何故かと言えば、彼が学生時代の思い出を大切に思っているからだ。
ジェームズが先頭になって、満月の夜を共に過ごすために考えた方法だから。
あの頃の幸せな思い出を、ダンブルドアの信頼を、裏切りたくないから。
だからわたしは、リーマスの想いを邪魔したくない。
本当は許されることではないけれど、わたしたちは秘密を共有し続ける。
暴れ柳に着く頃には息が切れていた。
切ないほどに、歳を取ったことを実感する。
いくら外面を整えても隠し切れないものがあるのは事実だ。
わたしは杖を振り、落ちていた小枝を浮かせて柳のこぶを押さえる。
少し待って、柳が暴れないのを確かめてから根元に滑り込んだ。
根元から叫びの屋敷へ続くトンネルは、昔よりもぼろぼろになっていた。
今にも崩れそうに見えるそこは、長年使われていないことが見て取れる。
わたしは走る。長いトンネルの先に、きっとあの人が居る。
まるでデートの相手が待っているかのような動悸が走る。
顔が見たい。あの人の目を見据えて、そして聞きたい。
あなたは本当にハリーを殺すつもりなの?
ジェームズとリリーのたった一人の息子を、手に掛けることができるの?
十二年前の今日、何があったの?
トンネルが終わり、身を乗り出したところは荒れた部屋。
ガラスの割れた窓から月光が入り込み、うっすらと真新しい足跡を照らしていた。
足跡の大きさから判断できる体の大きさは尋常ではなく、
肉球のあとがついていることから、犬か猫であろうことも予想がつく。
間違いない。彼はここにいる。
応援を頼むべきだろうか?
もし彼が世間で信じられているような殺人犯なら、わたしなどひとたまりもないだろう。
杖を握り締め、一歩踏み出す。
ぎしり、と床が鳴る。
ニャン、と、微かな泣き声が静かなホグズミードに響く。
何かを探しているかのような声が、空気を震わせる。
足跡の正体はこの声の主なのだろうか?
もう一歩、扉に近付く。
トットット、と軽快な音を立てて、何かがこちらに接近しつつある。
小柄な猫、だろう。足跡の主ではないのだろうか。
ニャン、ともう一度鳴き、それはわたしの目の前に姿を現した。
乳白色の体をした、小さな猫だった。
濃い琥珀色の瞳を大きく開いて、こちらを見ている。
アマルテア。
学生時代に彼から贈られた、魔法仕掛けの貴重な時計。
月の色をした子猫は、アマルテアの化身だった。
自分の目を疑った。
そう、確かにわたしは娘にあの時計を譲った。
けれど使い方や効果については何も説明しなかった。
本当なら、娘がホグワーツに入学する時に教えるつもりだった。
けれどそれも、のっぴきならない状況になって止めたはずだ。
なら、どうしてここに、その子猫がいるのか。
子猫は唖然としたわたしを視界に入れたあと、弾けたように逃げ出した。
その猫が娘の変身した姿ではない、という可能性はなくなった。
猫は明らかにわたしを見て、やばいという顔をしたからだ。
「待って」
待って。行かないで。
今ひとりで行動しては、あの人に出会ってしまうかもしれない。
わたしは杖を振って、子猫を呼び寄せた。
宙を舞い、子猫が手中に納まる。
怯えた顔のそれを、逃げないようにしっかりと抱いた。
「どうしてここに居るの…?」
ニャァ、と猫が鳴いた。
どうして?
生徒は大広間に避難しているはずなのに、どうしてここへ?
わたしは使い方は教えなかったはずなのに、どうして使えたの?
「…どうして……?」
わたしが呟くたびに、何度も何度も猫は小さく鳴いた。
ごめんなさいと謝る娘の声が聞こえるような気がした。
わたしが怒鳴って追い回すとでも思っていたのか、猫は腕にしがみついて来る。
だけどどうしてわたしに娘を怒ることができるだろう?
その気になれば、もっと早いうちに時計を取り上げることだって出来た。
それをしなかったのはわたしが大丈夫だろうと勝手に思っていたからだ。
どうしてわたしが、この子を責めることができるだろう?
父親が居ないことでわたしを責めることなく愛してくれるこの子を。
父親候補のひとりがシリウス・ブラックだということを秘密にしているわたしが。
子猫を抱いたまま、わたしはその場でくるっと回った。
この子を大広間に戻すことが、何よりも優先だった。
その間にあの人は逃げるかもしれない。
それでも、きっと戻ってくるだろう。
もしハリーを殺すつもりだとしても、そうでないとしても、
"婦人"が彼を妨げたからには、彼の望みはまだ達成されていないのだから。
*
シリウス・ブラックは階段を上りきったところで体を伏せていた。
そして階下の様子に耳を済ませる。
さきほどから聞こえていた微かな鳴き声は、いつもの子猫のものだろう。
シリウス、シリウス、と自分を呼んでいた。
しかし、もう一人いる。
人間だ。それも、魔法使いだ。
彼はいつでも飛びかかれるように牙をむき出しにしていた。
その侵入者が二階へ来ようとしたら、喉笛を噛み千切ってやるつもりだ。
親友殺しの汚名を被せられている今、殺人罪が一件科せられたところでちっとも重くない。
しかし侵入者は、猫を魔法で呼び寄せたあと気配を絶った。
姿くらましをしたのだろう。
彼は一階に戻ることにした。
慎重に階段を下りる。犬の姿ではなかなか困難だ。
ここに潜んでいることがバレたのだろうか。
だとしたら柳の下のトンネルを通ってきたはずだ。
ならば、侵入者は彼の昔馴染みかもしれない。
彼は秘密の通路と繋がっている部屋に足を踏み入れた。
鼻を利かせ、匂いを嗅ぐ。
あの子猫の匂いに混じって、香水の匂いがある。
人間の鼻では分からないほどに微かな芳香。
ほのかに甘い香りが、彼の鼻腔をくすぐる。
リーマス・ルーピンでは無いのだろうか?
彼の知っているリーマス・ルーピンは香水を付けなかったし、
もし趣味が変わったとしても、これは女性の香水ではないだろうか。
思い当たる人物が、ひとりだけ居た。
・。
彼女もホグワーツに居るとしたら、すぐにこの場所だと気付いただろう。
彼女が来たのだろうか、と彼は思う。
もう十年以上も会いたいと想い焦がれた彼女が。
彼は鼻から大きく空気を吸った。
ハリー以上に、リーマス以上に、彼女の顔が見たい。
しかし長居は出来ない。
いくら愛した女であろうとも、今の彼を見れば逮捕しようとするだろう。
まだ早い。まだ時期ではない。
すべてはあのネズミを捕まえてからだ。
シリウス・ブラックはトンネルを通り、ホグワーツへ戻ることにした。
灯台下暗し、というやつだ。
一度捜索を終えたところに潜伏しているとは思わないだろう。
*
何かを探るかのようなスネイプとの押し問答のあと、
娘を大広間に戻し、時計の魔法を解いた。
「……これは、没収だからね」
小声で囁きかけると、娘はこくこくと頷いた。
わたしは時計を自分のローブのポケットに仕舞い、彼女を頭を撫でる。
どうして脱走なんてしたのか分からないが、とにかく無事でよかった。
「返してほしければ……そうね、どんな手段でもいいから、わたしから奪い返してみなさい。
夜の脱走は、それくらいの実力をつけてからするものよ」
娘は再びこくこくと頷いた。
頭を撫でて少し微笑みかけてやると、彼女は目を閉じた。
もしかしたらこの子は、わたしとシリウスの事をうっすらと気付いているのかもしれない。
突拍子も無く、そう思った。そうだとしたら脱走の理由にはなるだろうか?
わたしは大広間の扉をくぐった。
他の教員たちの捜索はどうなっただろう。
きっと収穫はなかったと思うけれど。
玄関ホールを抜けて、校庭を横切り、柳のもとへ向かう。
トンネルを抜けた先の屋敷の一階を調べたあとは、階段へ。
そこにも足跡はあったけれど、予想通り、彼の姿はなかった。
わたしたちの鬼ごっこは、まだ終わらないようだ。
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