いつだって、わたしたちは惑わされるばかり。
BEHIND THE SCENES : XL.
「ガラスを割って――わ、わたしの杖です。
明かりをつけてたら、と、取られてっ…攻撃されるかと、お、思っ…」
少女がそう言って手元にあった大きな布地に顔を埋めると、
ミネルバ・マクゴナガルは内心でまるで雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
さっと血の気が引いていくのを感じる。
まさか―――まさか。
座り込んでいるその周囲にはガラス片が飛び散っているが、
しかし少女そのものに怪我があるようには見られない。
「――怪我はないのですね?」
「な、ないです。へいき、です。
わた、わたしの顔、見てっ…驚いた、みたい、で…っ」
少女はたどたどしく、言う。
マクゴナガルにはそれが少し異様な光景にも感じられた。
少女の母親がこの年齢だった時分、こうやって目に見えるほど動揺する様を見ただろうか?
考えずとも導き出される答は否。
彼女は深く溜息をついた。
ガラスが割られ、目撃者が2人もいる以上はただの悪夢だったとは断言できない。
入り口を守護しているはずのカドガン卿のもとへ足を向けながら、考える。
もし『彼』が実際に何らかの手立てによって侵入してきたのだとして、
そして母親の面影を強く残す少女と相対したのだとして、『彼』はいったい何を思うのだろう?
“わたしの顔を見て驚いていた”と少女は言った。それもまた、無理からぬことだ。
「カドガン卿、いましがた男をひとり通しましたか?」
「通しましたぞ、ご婦人!」
自信満々といった体で答える小男に、マクゴナガルは開いた口が塞がらなかった。
「あ、合言葉はどうしたのですか!」
「持っておりましたぞ、一週間分すべて!
何やら小さな紙切れを読み上げておりましたなあ!」
開いた口はやはり塞がらず、呆れて物も言えないという付加効果まで付いてくる。
彼女は談話室に戻った。生徒たちは怯えた視線で彼女を見上げていた。
さきほどの問答が聞こえていたのだろう、「紙切れ?」「一週間?」といった囁きが漏れている。
「――誰ですか。
今週の合言葉を書き出し、無用心にもその辺に放っておいた底抜けの愚か者は誰ですか!」
「ひっ」
ネビル・ロングボトムが小さく悲鳴をあげ、全身を震わせながらそろりと手を挙げる。
(ああまたこの子は――)と思いかけて、彼女は自分を叱責した。
教師が、生徒を特定の偏見をもって見るようなことはしてはならない。
この失敗はこの失敗として捉えなければ。
「私はダンブルドア校長にこの事を報告してきます。
生徒たちは出来るだけこの場を動かないように。
パーシー、窓の修復をお願いします」
主席の生徒が胸を張って「はい先生」と言うのを聞き届け、
ミネルバ・マクゴナガルは談話室を後にした。
そういえば少女の姿がいつの間にか消えていた。
「あまりショックを受けていなければ良いのですが……」
*
「!」
・がその夜で何周目かになる学校の外壁を巡回し、再び正門に戻ってきたとき。
そこには吸魂鬼だけではなく、人影があった。夜の闇に紛れるローブが、2つ。
「リーマス。そっちは…スネイプ?
こんな時間にどうし―――っ!まさか…」
こんな時間に用があるとすれば、たったひとつしかない。
「ああ、あいつだ。またグリフィンドール塔に現れた。
生徒のベッドのカーテンを引き裂いて逃亡した」
「カーテンを?」
弱々しい月明かりに照らされ、リーマス・ルーピンは白い顔で言った。
その傍らで、セブルス・スネイプが睨むように周囲を窺っている。
カーテンを引き裂いた。
ということは杖、ないしはナイフのような刃物を持っていたのだろう。
それを使って誰かを害するつもりだったのだろうか?だれかを――いや、ハリーを?
「生徒が置き忘れた合言葉の紙を持っていたそうだ。
狙われたのはウィーズリーの子で…彼に怪我はなかった。
あいつは談話室のガラスを割って――…いいかい、落ち着いて聞くんだ」
そのただならぬ様子に、は眉を顰めながら頷いた。
いやな予感がひしひしと押し寄せる。冷や汗が背中を、伝う。
「あいつとが――接触した」
「え……?」
心臓が一度だけ、尋常じゃないほどの大きさで鳴る。
「あいつが逃げようとしたとき、たまたま談話室に居合わせたらしい。
の持っていた杖を奪って、あいつは窓を割った。そして――」
「待て!」
リーマス・ルーピンの言葉が終わらないうちに、彼女はサッと身を翻して城の方へ足を向けた。
しかし今にも走り出そうとしていた彼女の腕をセブルス・スネイプが捕まえる。
「はなして!!行かせて、――ッ」
「大事無い、奴と数秒目があっただけだ!
落ち着け!」
腕を振り払おうと、彼女はもがく。
それでも男女の力の差か、やがて抵抗を諦めた。
肩で大きく息をするを、2人はただ黙って見つめた。
膝がカクリと折れ、彼女は地面に倒れるように座り込んだ。
慌てて抱きとめようとするルーピンと、
掴んだままの腕を引っ張りあげようとするスネイプの視線がかち合う。
無言の戦いを制したのはルーピンだった。
スネイプは手を離し、舌打ちをして城のほうへ戻る。
「……、しっかり」
血の気の失せた顔面は白というよりは蒼で、瞳の焦点はどこか虚ろだった。
彼は彼女の背を撫でる。彼女はゆっくりと彼のほうを向いた。
「………きづいた、」
「」
「あの人、ぜったい気付いたわ。わたしの娘だって。
それだけじゃない。ねえ、もしかしたら――じ、自分の……」
引き攣ったように笑い、は言う。
彼は眉間を寄せて首を振った。それ以上は、言わなくていい。
彼女はルーピンに捕まりながら、そろりと立ち上がった。
ローブについた土埃を払う。月が細く光る夜空を見上げ、大きく息を吐く。
「………ごめんなさい、ちょっと動揺した」
「無理もないさ……ダンブルドアは、出入り口を徹底的に封鎖しろって。
平気かい?もしダメそうなら、私でもセブルスでも……」
「大丈夫。大丈夫だから……そっちも敷地内の捜索があるでしょ?」
「まあね。……月曜にはグリフィンドールの1年生の授業があるから、そのときにでも…」
「ええ……お願いしていい?」
軽く頷き、リーマス・ルーピンは城へ戻って行った。
何度か心配そうに振り返る彼に、彼女は手を上げて応える。
杖を振り、守護霊を召喚する。
「……あなたは、ずるい。シリウス、」
吸魂鬼たちを門に集合させながら、呟いた。
あなたはずるい。
あの子はわたしだけの子だったのに、いつの間にかあなたが奥深くまで入り込んでいる。
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