絶望感に、幸福感。そしてまた、絶望感。











  BEHIND THE SCENES : XLIII.











思えばシリウス・ブラックを支配する感情はなんとも移ろい易いものだろう。
彼はに森まで送られたあと、寝床にしているいつもの窪地に伏せて考えた。
黒く大きかった身体はいま、白い猫の姿をしている。

最初の絶望感は、自分自身に対するものだった。
ジェームズとリリーを死なせてしまったという思いが、彼を絶望の淵に沈めていた。

それを幸福感に変えてくれたのはだった。
失ったものはあっても、新しく生まれるものだってあった。それに気付かせてくれた。
そして自分の話を聞いてくれて、受け入れてくれた。わずか12歳にもならない少女だけが。



彼は今日、初めてが並んでいる光景を見た。

の過去の姿に生き写しで。
の姿は確かにの延長線上にあると感じさせるもので。

だけどどちらも、彼が知っていた当時の『』とは違う。

は言わずもがな元が別人なのだから当然だが、
の変貌ぶりに彼は度肝を抜かれたのだった。

髪が伸びたとか、痩せたようだとか、化粧がうまくなったとか、そういう外見的なことではなく。
打ち勝てない現実だってあるのだと受け入れている、現実的で、どこか冷徹な考え方とか、
いざとなれば自分の手でシリウスを仕留めることも厭わないと言った、実力に裏打ちされた自信とか、
そういう意味での内面的なことだけでもなく。

のことを心から案じているその顔が、『母親の顔』だったから。



によってもたらされた幸福感が、瞬く間に萎んでいく。
ああ、自分は一体何をしてしまったのか。

自分の居ない12年の間に、はもう以前の彼女ではなくなっていた。
以前のように、掴み所のない飄々とした雲のような女子学生ではなかった。
自分たちから見ればまだ幼い我が子を心配する、立派な女性だった。

それは至極当然のことなのだ。
12年、それだけの時間が流れれば、人は否が応でも変わるものなのだから。

それに引き換え、この自分は何たるざまであろうか。
無計画ながらにホグワーツに忍び込んではみたものの、まったく成果が現れない。
むしろ『吸魂鬼の接吻』の許可がされてしまったりして、状況は悪くなっている。


が自分を庇ってくれるのが嬉しくて、つい疎かにしていたのだ。
自分が、親友たちを裏切った殺人犯として指名手配されているのだということも、
が、の母親であるということも。


にそっくりな少女が自分に協力してくれるものだから、どこか勘違いしていたのかもしれない。
いや、勘違いではなく、甘い期待を抱いていたのだろう。

もきっと、自分のことを信じてくれているのではないか、と。

それがまさか、この手に掛けることも厭わないと言われてしまうとは思わなかった。
けれど、アズカバンを抜け出したその当時は、きちんと覚悟していたはずだった。
なのにどうして、その覚悟を忘れてしまったのか。



彼はもう一度、自分に言い聞かせる。


わかっているのか、シリウス・ブラック。
お前はジェームズとリリーを売ったと思われているんだ、世界中が敵なんだ。
甘い夢想だけしていたって何も取り戻せないし、誰ひとりとして報われない。

だからしっかりするんだ、シリウス・ブラック。
ネズミを捕まえる、事の真相を広く世に知らしめる。
そうしたら、謝りに行くんだ。に、リーマスに。

お前は勇気のグリフィンドール、誇り高く生きる姿こそが人間のあるべき姿。
だからお前は、この事件を皆が納得して幸せになれるような解決に導かなくてはならない。
出来る限り穏便に、出来る限りは高潔に、最低限は大人の自覚を持たなければ。
なりふり構わず、手段を選ばず。それではまるで幼稚なスリザリンの子供のようではないか。



彼は身体を横たえ、『時計』の魔法が切れるのを待った。

あのネズミが居ると確実に分かるまで、校内に侵入するのはこれで最後にしようと、彼は思った。
手配犯がグリフィンドール塔に現れたせいで、いったいどれだけの子どもたちを怯えさせてしまっただろう。
そしてまた、世の母親たちをあまりにも傷付けてしまったことだろう。





“わたしの知ってるシリウス・ブラックなら、きっとそう言ったわ”





不意に、聞いたばかりのの声が甦る。
よくよく考えてみれば、彼女の声をこの耳で聞いたのは脱獄以来これが初めてだった。

の知っている当時の『シリウス・ブラック』なら、きっとと同じように言っただろう。

現実を受け入れるということは、権力に屈するというのも同義だ。
命を不当に扱うという点では、人間も魔法生物も変わらないじゃないか。
立ち止まるな、そこで諦めるな、まだ出来ることがあるかもしれないだろう!


しかし現在のシリウス・ブラックは、そんなことは言わない。
言えないのだ。言う資格なんて、自分には無いのだから。

それが世間で言われているような殺戮行為を指すのだとしても、
あのネズミの陰謀を見抜けなかったことを指すのだとしても、過ちを犯したという事実は変わらない。

罪の無い人間は居ない。まったく清廉潔白な人間など、居るわけがない。
自覚の有無に関わらず、罪を問われた時点で、きっとなにか間違いを犯してしまっているのだろう。


だから言わない。
土下座でもなんでもするが、それだけは言わない。


聞きたいのは、あの頃のように少し呆れた表情と共に発される声だから。
ファミリーネームは要らないから、ただ「シリウス」と、瞳を見据えて言って欲しいだけだから。


だから、そんなに辛そうな声で、寂しそうな声で、呼ばないでほしい。



















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