槌の響きは、告げる。
BEHIND THE SCENES : XLIV.
「被告、ヒッポグリフのバックビーク。
代理人、ホグワーツ魔法魔術学校森番、ハグリッド。
此処に出頭している者は以上に相違ないですね?」
「へ、へえ。その通りで」
森番のしゃがれ声に、ルシウス・マルフォイは眉を顰める。
相も変わらず、なんと下卑た声だろう。低能さを露呈しているようだ。
彼はその形の良い眉を斜めに傾けたまま、視線を弁護側の席に走らせた。
そこで・の姿を見止め、顎を引くだけの会釈をする。
彼女は同じように会釈を返した。その顔には微笑が乗っているが、
内心は無表情であろうということを彼は知っている。
「それでは『ヒッポグリフによるホグワーツ生傷害事件』の開廷を宣言致します」
ハキハキとした声で、議長が言う。
ルシウス・マルフォイは陪審員たちをひとりひとり見渡し、薄っすらと笑った。
陪審員席に座っている者のうちで、彼の息の掛かっていない者はいない。
いくらアルバス・ダンブルドアが・を差し向けようとも、
今日のこの裁判の結末が変わることなどあり得ないのだ。
「被告に訊ねます。被告は無抵抗の生徒にその鉤爪を振り上げ、切り裂いた。
このことに間違いはありませんね?」
「そうですだ、しかしそれは向こうが先にバックビークを侮辱したからで――」
「負傷した少年はどのような言葉を掛けたのですか?
その言葉は命に関わるかもしれない怪我を負わせるのに十分なものだったのですか?」
原告側に着席しているルシウス・マルフォイの反対側、
弁護側の・は、畳み掛けるような質問攻めを行う裁判長を冷ややかな目で見ていた。
明らかに法廷慣れしていない被告代弁者を相手に、あまり褒められた進行とは言えない。
いや、法廷慣れしている相手であっても、このような審議は認められるはずが無い。
彼女は視線をルシウス・マルフォイに遣った。
余裕の表情を浮かべて進捗を見守る男の表情に、不快感が募る。
「そ、そりゃ、やっこさんは冗談のつもりで言ったかもしれんです、
しかし『醜いデカブツの野獣』っちゅうのは、ヒッポグリフたちにとっちゃひでぇ暴言で、」
「では原告に訊ねますが、負傷した少年はそのような言葉を発したことを認めていますか?」
「認めております、裁判長。そのような口汚い表現をしたかは別として、
子供心にほんの魔が差し、心にも無いことを言ってしまったと申しておりました」
ハグリッドは困惑したような瞳でルシウス・マルフォイを見た。
自分たちが不利になるようなこと認めるはずがないと思っていたのだ。
ルシウス・マルフォイは内心でほくそ笑む。
惑うがいい。そしてもっともっと深い墓穴を自らのために用意するがいい。
法の上での繊細な言葉の駆け引きなど、このような野蛮人に理解できるわけがない。
・は内心で「まずいな」と思いながらハグリッドを見る。
ハグリッド、あいつの心理作戦に乗っちゃダメだ、勝ちたいなら裁判長だけを見返さなければ。
「被告代理人。被害に遭った少年は、ほんの冗談のつもりだったと証言しています。
あなたはその言葉が本心からのものであると思いますか、偽りであると思いますか?」
「そいつは、その…本心からだと思いたいところで、」
「ではあなたは、被告は子供の軽口も受け止められないような獰猛な生物だと認めるのですね?
そのような野蛮な生物だと心得た上で、生徒たちに引き合わせたのですね?」
「お、俺は――ヒッポグリフは誇り高い生き物だと、最初に、」
・は腕を真っ直ぐ伸ばし、発言権を寄越せと裁判長に視線で訴えた。
裁判長は僅かに眉を顰め、「発言を許可します」と苦々しげに言った。
彼女はその場で立ち上がり、「ありがとうございます、裁判長」と一礼する。
「ホグワーツ魔法魔術学校長アルバス・ダンブルドアの名代として発言させて頂きます。
ダンブルドアは学期開始以前に、被告代理が授業計画案を持ち寄った際、
危険を伴う魔法生物を題材にする場合は生徒たちに周知徹底するよう指導したと証言しています」
「続けてください」
「原告側は被告代理人の職務義務違反だと申されたいのでありましょうが、どうかお考え下さい、
それはダンブルドアが新任教師の教育を怠ったという指摘に他なりません。
もしそれが事実であれば、我が校は世界に誇るほどの高い教育水準を備え得るでしょうか?」
陪審員たちがバツの悪い顔をして、互いに囁きあう。
ルシウス・マルフォイは仮面のように表情を変化させないまま、・を見た。
ハグリッドの追い縋るような視線をも受け止めながら、彼女は堂々と喋り続ける。
「委員会は、ルビウス・ハグリッドに責は無いとするダンブルドアの証言を既に受け入れている筈です。
この裁判はヒッポグリフの攻撃性についての査問を行う場であり、ハグリッドを問責する場ではありません。
裁判長、我々個人の価値観が異なるように、ヒッポグリフの価値観もまた我々とは異なるものでしょう。
他人の軽口に激昂することもあるであろう人間が、なぜ激昂したヒッポグリフを責められますか?」
「さ、裁判長、の言う通りで!
むかしの裁判にもおんなしような事件があったんで、俺はその資料をここに――ん、どこだ…?」
ハグリッドは毛の長いジャケットのポケットを探る。
焦れば焦るほど探し物は見つからないもので、彼のポケットからは色々なものが零れてくる。
砂なのかビスケットのカスなのか、裁判長を始めとした魔法省側の出席者は眉を顰めて不快感を露にする。
・は「いま言うの?」と言わんばかりに溜息をつき、席に着いた。
もう結末は見えたようなものだ。ルシウス・マルフォイは口の端に笑みを浮かべる。
「え、えー、1312年カンブリア州での、日付は5月の24、いや…23日?
この事件ではヒッポグリフは無罪で、そりゃなんでかと言うとヒッポグリフは悪くねえからで、」
「………被告代理人、」
「も、もうちょい言わせてくだせえ!
そんで今回のバックビークをその事件みてえにして考えると、バックビークは何も悪くねえっていう、」
フッと気付かれない程度に鼻で哂い、ルシウス・マルフォイは立ち上がった。
まだ何か喋ろうとしているハグリッドが彼のほうを見るが、彼はそれを見ない。
彼が見るのは、マグル式の礼服に身を包んだ・。
「裁判長、被告代理人の主張は一貫しておらず、真意が掴めません。
我々は此れを進捗妨害と見做し、直ちに評決に移ることを要求します」
「原告の要求を受理します。被告代理人、もう結構ですので資料を仕舞いなさい。
陪審員は挙手を願います――ヒッポグリフを無罪にする者?」
陪審員たちがちらりと視線を合わせ、2人だけが挙手をする。
続いて「有罪とする者?」では残りの全員が手を挙げた。
カン!と、槌の音。
「評決の結果、危険生物処理委員会は当該ヒッポグリフを有罪と見做します。
原告の要求を受け入れ、ヒッポグリフは直ちに処分を行うものと――」
「裁判長、異議を申し立てます。
司法の長ともあろう方が、控訴裁判をお忘れですか?」
・が同じように立ち上がり、静かに裁判長を見据える。
裁判長は助けを求めるように、一度だけルシウス・マルフォイに視線を遣った。
ルシウス・マルフォイは頷いた。
まあいい、控訴があろうと無かろうと結果は決まっているのだ。
あの醜い生き物の寿命がわずかばかり延びたところで、結局は死ぬ運命。
「有罪判決がされた際、アルバス・ダンブルドアは控訴裁判の保証人となることに同意しております。
裁判長、この場での処刑は、如何様にも早計であると申し上げる他ございません。
一度ホグワーツに連れ帰るのが適当な処遇だと見受けられ、また弁護側はそれを主張する次第です」
「―――では、陪審員に再度の挙手を願います。弁護側の主張に反対の者?」
手を上げる陪審員は、居なかった。
「……よろしい、ヒッポグリフを一度ホグワーツに連れ帰ることを許可します。
これにて『ヒッポグリフによるホグワーツ生傷害事件』第2審の閉廷を宣言します」
裁判長は立ち上がり、陪審員たちもそれに倣って法廷を出て行く。
・は放心しているハグリッドに駆け寄り、その肩に手を置いた。
ルシウス・マルフォイは出口へ向かいながら、一瞥を呉れる。
「見事な弁舌でありますな」
「――そちらこそ、相変わらずの手腕でしたわ」
2人は静かに睨み合い、どちらからともなく視線を外した。
ルシウス・マルフォイの革靴がカツカツと音を立てる。
処刑の日までを、数え上げるように。
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逆裁未経験の自分がくやしい