夢であれば良かった。











  BEHIND THE SCENES : XXI.











を見ていないか」



私の部屋を訪ねるなり、セブルスはそう言った。

見てないよ、と私は応える。
昨晩の疲労が尾を引いているせいで、視界はぼんやりとしていた。

なぜ彼はそんなことを聞くんだろうと、霞んだ頭で考える。
ポケットから古ぼけた腕時計を引っ張り出して覗きこむと、
いつもならが吸魂鬼たちと夜の警備を始めるくらいの時間だった。



「警備をしているんじゃないのかな?」

「…………………」



セブルスは答えない。



「まさか、何かあったのかい?」

「………吸魂鬼が試合中の競技場へ侵入した」



苦虫を噛み潰したような表情で、セブルスは言った。

そんなまさか!

私の心臓が跳ねた。
だってあれほどは、吸魂鬼が暴走しはしないだろうかと、気にかけていたのに?
心配だからいっそ徹夜で見回りしてやるわ、と言っていたのに?



は…一体何を……」

「わからん」



嘘だ、嘘だ、と心の中で必死に叫ぶ自分を感じる。

それはどういう意味だ?
、君はそのとき何をしていた?どこにいた?
まさか、まさか吸魂鬼たちが生徒を襲うのを傍観していたのか?



「我輩と交替したのを境に、行方が知れん」

「まさか……そんな、」



それともまさか、今までの君は亡霊だったのだろうか?
本当は君はあの『大嵐』の夜に死んでしまっているのだろうか?



「兎に角、を見かけたら校長室へ行くよう言っておけ」



私とがグルで、あいつの手引きをしているんじゃないのかと、
そう疑っている声だった。そう疑っている表情だった。

セブルスはそのままさっと向きを変えて、出て行ってしまう。

ひとりになった部屋の中で、私は立ち尽くした。
何も考えられない。考えたくもない。



10分もそうしていただろうか、
ふと扉をガリガリ引っ掻く音で我に返った。

私は慌てて取っ手に飛びつき、扉を開ける。
が帰ってきたんじゃないかと、そう思った。

だけどそんなはずはなくて。
そこに居たのはオレンジ色の毛をした猫だった。



「……きみは…」



雨のせいだろう、毛を体にぴったりと張り付かせた姿は、お世辞にも可愛くない。
猫はそんな私の考えを読み取ってか、批難するように私を見た。

この子はなぜここへ来たのだろう。

暖を取るためだろうかと考え、私は猫を招き入れた。
猫は我が物顔で部屋に入ってくる。


きらりと、その猫の首のあたりで、ランプの光が反射した。



「……首輪でもしているのかい?」



私は猫を抱き上げた。

首輪をしているのなら、その猫の名前がわかるだろう。
それにもしかしたら飼い主の名前も。
マグルの世界では、猫が家出をした時に備えてそうするのだと聞いたことがある。



ぶらん、とそこに垂れ下がっていたのは見覚えのある懐中時計だった。



見覚えのある、懐中時計。
あの時彼は、クリスマスプレゼントとしてそれを贈るんだと、自慢げに話していた。
包装が巧く出来ないと言って焦っていた。きちんと届けるようにと、フクロウに何度も念を押していた。



「……どこで、これを?」



にゃぁと猫が言う。
残念ながら猫語は理解できない。満月のときなら分かったかもしれないが。

これは、この『時計』は、本当に彼女のものだろうか?



「―――先生、ルーピン先生!です!
 開けてください、ママが!早く行かなきゃママが!」



時計を手に取って呆然と眺めていたとき、扉を激しく叩く音と、声が聞こえた。
の声だった。

ママが、ママが、と繰り返す幼い声は、泣いているかのように震えていた。
一瞬、の声と聞き間違えて、そんなはずはないと自分に言い聞かせる。

ちがう。そんなはずはない。
私たちはもう、子供ではない。


私は扉に歩み寄って、それを開けた。



「先生!」

「……君は『アンドロニカス』さんのはずだろう?
 あまり大きな声で『ママ』と呼ぶものじゃない」



それどころじゃない、といった表情で、少女は私を見る。

けれど私は彼女を見ることが出来ない。
まるでが立っているかのような錯覚が私を襲う。
まるでの亡霊が立っているかのような。



「先生、お加減が悪いのにごめなさい!でも先生しか居なくて…
 ロミルダが、友達が言ったんです、ママが、吸魂鬼と戦って、
 それでロミルダたちを逃がしてくれたって、」



私は耳を疑った。



「ハリーが箒から落ちるちょっと前のことなんです。
 そのすぐ後に競技場に吸魂鬼が入ってきたんです。
 だから先生、早く行かなきゃママが――――」



そこで、は言葉を切った。
その驚いたような視線は私の手元に注がれていた。

私はようやく我に帰り、自分が何を持っているのか思い出した。



、この『時計』は………」



は小さく頷いた。
彼女の大きな目に溜まった涙が、一粒零れ落ちた。



「先生、それ、………どこで?」

「分からないんだ。私じゃなくて、この猫が……」



私は足に擦り寄ってきた猫を抱き上げた。

クルックシャンクス!という少女の声が響く。
つまり、それが猫の名前だろう。



「クルックシャンクス、どこで見つけたの?
 ママがそこに居たの?まだそこに居るの?」



猫は何も言わずに身を捩り、私の手の中から逃げ出した。
そして私ととをちょっと振り返り、尻尾をピンと立てたまま扉の方へ歩んでいく。

付いて来い、という意味なのだろうか?



「……わかった、付いて行こう。は城の中に居なさい。
 スネイプ先生とマクゴナガル先生にこの事を話しておいてくれるね?」



自分も行く、と言いたそうな顔をしている少女に、先手を打つ。
もしかしたらまだ吸魂鬼が残っているかもしれない場所に、
年端も行かない子供を連れて行くわけにはいかない。

は少し不満そうな顔をしたけれど、すぐに頷いた。
頼んだよ、と言い、私はの『時計』をに渡した。

は『時計』をぎゅっと抱きしめ、何度も頷いた。
私はローブも何も取り替えずに、夜の校庭へ飛び出す。















「クルックシャンクス、本当にこっちかい?」



猫の不満そうな顔が私を振り向く。

の話では、が女子生徒を庇ったのは競技場にほど近い所だったはず。
それなのにこの猫は、私をハグリッドの小屋の方へ誘導する。
はこっちの方まで逃れてきたのだろうか?


そのまま歩き続け、やがて森の中へ入った。
私はローブから杖を出し、構えたまま歩く。

そこでふと猫は立ち止まり、にゃあと鳴いた。

ルーモス、と小声で唱え、私は猫の方に明かりを向ける。
猫は一際大きな樹の根元で私を見ていた。



「……、居るかい?」



呼びかけてみるが、返事はない。

私は猫のほうへ近付く。
そしてもう一度呼びかけてみようとしたところで、それに気付いた。


木の根は太く、地面から盛り上がっていて。
そしてその根と根の間の窪みで、が目を閉じて樹に凭れかかっていた。


、と、もう一度声をかける。
それでもはぴくりともしない。

彼女の傍にしゃがんで、口元に手を当ててみると、
ひどく熱の篭った吐息が途切れ途切れに感じられた。
まさかと思い額にも手をやると、そこは案の定、常温より熱いくらいだと言えた。
こんなに冷え込む森の中に居れば仕方の無いことだろう。

しかし、髪やローブはあまり濡れていなかった。
というよりも、既に乾いた後だった。大きな樹が傘の役割をしたのだろう。

私はを抱き上げて、元来た道を引き返した。
猫はすぐ後ろをとことこと付いてくる。


不自然なほどあっさり片付いた、という印象を覚えた。


猫はずぶ濡れで私の部屋へやって来たのに、なぜは濡れていないのか?
なぜ狙ったかのように大樹の下に居たのか?

意識のない人間を抱えるのに、こんなにあっさりと出来たのはなぜだ?
一度抱きかかえられてから降ろされたような、
再び誰かが抱き上げるのを見越したような姿勢だったのは、なぜだ?



考えてはいけない。



私は小さく首を振り、その疑問を吹き飛ばした。
導き出されるだろう解答は、現実であってほしくない。















!」



城に戻ると、マクゴナガルの悲鳴のような声が響いた。

玄関ホールには他にもセブルスとダンブルドアが居た。
私に抱えられているを見ると、それぞれが足早に近寄ってくる。



「ルーピン、はどこに……」

「禁じられた森です。入り口の近くでしたが」



マクゴナガルは声を詰まらせた。
私がダンブルドアを見ると、ダンブルドアはしっかりと頷いた。



「どこで休ませますか?」

「それを話しておったのじゃ……医務室にはポッター少年が入院しておる。
 ポッピーも生徒の世話で忙しかろうし、何より生徒の目に晒される場所で
 ゆっくりと休めようはずがない……が、の部屋にはベッドが無いのも現実じゃ」



私たちは溜息をついた。

だからあれほど、長椅子じゃなくてベッドを置くべきだと言ったのに。
は笑って「大丈夫でしょ」と言うだけだったのだ。全然大丈夫じゃない。



「…人の出入りが少なく、容態に応じてすぐに適切な処置を出来る環境が必要でしょう」

「そうですね……それに、夜通し看ていられる人も」



私とマクゴナガルは、ちらちらと彼を窺いながら話をする。
ダンブルドアは微笑んでその光景を見ていた。

そして、彼は諦めた。



「……我輩の研究室へ連れていけば良かろう」



そう言えば満足か、とでもいうように、セブルスは私たちを睨みつけた。
満足だ、とでもいうように、私たちはその視線を微笑んで受け止めた。



「ただし、貴様が運べ」

「はいはい、わかってます……よ…?」



蝋燭に照らされたの白い首筋に、黒い線が一本走っていた。
糸くずか何かだろうと思って、私はそれを摘み上げる。



「どうした」

「いや……何でもないよ」



本当に何でもないから、と繰り返しながら、私はその、黒い獣の毛を、捨てた。



















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