その日は雨が降っていた。











  BEHIND THE SCENES : XXII.












先日のロジエールとの決闘の為に、闇払い一課の大黒柱であるアラスター・ムーディーは入院していた。
その決闘で、ロジエールは死んだ。アラスターの顔面の肉を冥土の土産として持って行ったけれど。

そして直属の上司が入院してしまったせいで、わたしには報告書という仕事が残された。
わたしは状況を逐一思い出しながら羽ペンを動かしていく。


ロジエール、エイブリー、カルカロフ、これで何人の闇の魔法使いが逮捕され、あるいは死亡しただろう。
彼らは闇の帝王の凋落後、狂ったように各地でゲリラを展開していた。
まるで、そうすることで帝王が再び戻ってくることができると信じているかのように。

しかしそれももう終わりに近い。
残っているのは、家名や財力で難を逃れるであろう一党ばかりだった。


しばらくして完成したそれの描写は、鮮鋭を極めていた。わたしは満足して報告書をざっと読み返す。
これを読んだ当局上層部が、現場の熾烈さに閉口して二度と口出ししないようになることを願わずにいられない。

わたしは羽ペンを放り投げた。そのまま首を右に倒し、肩の筋肉をほぐす。
斜めになった視界で見える壁掛けの時計は、時刻がいつも30分ずれていることで有名だった。
今度は左に首を傾けながら自分の腕時計を見ると、午前2時を回っていた。

省内には、誰も居ない。

わたしはほうっと息をついた。人気のない深夜の魔法省は美しい。
昼間のような喧騒もなく、擬似ではあるけれど銀色の月光は様々な魔法器具を照らす。


自宅に戻らなくなって、これで3ヶ月。

あの頃には中秋であったはずの季節は、もう今では晩冬を迎えようとしている。
早いものだ。時の流れというのは、どうしてこんなにも不規則なのだろう。

人々は当たり前のような顔をして、ポッター家の犠牲によって訪れた平安を享受する。
彼らは一体何が楽しくて笑っているのだろう。一体何が嬉しくて生きているのだろう。

わたしには判らない。



―――"南東支部より本部へ出動要請。
     沼沢地方の廃屋にて闇の魔法使いの気配ありとのこと。
     闇払いの出動を頼む"――――――



闇払いの待機所を出て、酒場でも行こうかと思った矢先。
壁際に設えてある蓄音機から出動要請が響いた。

わたしは蓄音機の傍まで行き、受話器を取り上げた。
これはマグルのゴミ捨て場から拾ってきた『電話』という装置を模しているそうだ。



「こちら本部。要請を受理した。これより向かう」



受話器を戻す。



「……おまえさん、ひとりで行くつもりかね?」

「そうよ、マダム。こんな時間に局長を起こして、嫌味を言われるのは嫌だもの」

「あたしゃ反対だよ。ひとりで任務に行くのは規則違反じゃないか」



蓄音機の横に架けられた肖像画の中で、老婆がわたしに言った。



「じゃあ誰を呼べばいいのよ?アラスターは入院中。
 シャックルボルトは出張。ロングボトム夫妻に至っては正気ですら無い」

「そうだけどさ。魔法警察機動部隊から誰か借りてくればいいじゃないか」

「マダム、わたしが先月の検挙率トップだって、忘れたの?」



マダムはそれでも不満そうにしていたが、ようやく黙った。
闇の魔法使いたちはもう少ない。魔法界はひとつの節目を迎えようとしている。

わたしはフードを被り、目を閉じてその場で姿くらましをした。
そう、ヴォルデモート卿の時代は終わったのだ。
















沼沢地方(フェンズ)

それはマグルでも知っている『霊験豊かな土地』のひとつ。
数多くの妖精・妖怪の類がこの地で生まれ、認識され、語り継がれてきた。
それは時に魔法使いの役目であり、それは時にジプシーたちの役目でもあった。
今でも、マグルたちは鬼火を見る。この沼の上で、果てなく続く河の上で。


ぬかるむ畦道の畔に姿現ししたとき、風が猛烈な勢いでわたしを襲った。
沼地は嵐に襲われていたのだ。ロンドンでは少し雨が降っているくらいだったのに。

軽く舌打ちして、わたしは廃屋を探し始める。
こんな沼地に建っている建物は少ないので、すぐに見つかるだろうと思われた。



ほどなくして、それは見つかる。

橙色の蝋燭の光が、板の隙間から漏れていた。
複数の人間が動き回る気配と、そして、ひそひそとした話し声。

わたしはローブの身頃を合わせなおし、しっかりと杖を握った。
白樺で形作られたその灰色の杖はざらりとした感触がして、しっかりと掌に吸い付く。
わたしと杖とはずっと一緒だった。魔法省に就職が決まってから、ずっと。そして、今夜も。

わたしは頭を軽く振って、纏わりつく記憶を追い払う。
杖を買いに行ったとき、わたしは彼と一緒だった。

彼、つまり、シリウス・ブラックと。


もう止めよう。そんなことを考えている場合じゃない。
わたしは決めたのだ。あの男のことは二度と考えまいと。
11月2日の朝、酒場で出会った見知らぬ男の腕の中で迎えた、その朝に。


がごん!と、取って付けたような貧相な木の扉を蹴破り、わたしは小屋の中へ入る。



「魔法省よ!大人しく捕まるのならば良し。
 抵抗する場合は、命の保障は無いものと――――」



そして、息を呑んだ。



「これはこれは、ミス・
 我々は正に貴女の話をしていたところですよ」



外から見る限りでは小さくて貧相だったその廃屋は、内部が魔法で拡張され、小奇麗に整えられていた。
そして侵入したわたしを取り囲む、黒いマント、骸骨の仮面、口元から覗くしてやったりという笑み。

罠だった、と気付くのに時間はかからなかった。
わたしは小さく舌打ちをして、フードを取り払う。



「……たかが見習いの闇払いを気にかけてもらえて、光栄だわ。
 それで?大臣を買収するためのガリオンを集めているわけではないのでしょう?」

「きみは相変わらず手厳しい。もう少し状況を見たらどうかね?
 この数、まさかきみでも勝てるなどとは思うまい、?」

「それはわたしが判断することよ――――ルシウス・マルフォイ!」



わたしは杖を抜き、口には出さないで魔法を発動させる。
同時に奴らも杖を構え、一斉にわたし目掛けて緑や赤の閃光を投げつけてきた。

素早く足を動かしながら、1秒たりとも同じ場所に踏みとどまらないようにしながら、
わたしはざっと奴らの数を数えた。いち、に、さん。その間にも戦うことは忘れない。


奴らは頭数ばかりを揃えていたようで、ひとりひとりの実力は大したことなかった。
5人ほど捕縛してから、わたしはそう思った。弱い。あまりにも手ごたえがない。

この中では一番の実力者であろうマルフォイは、室内の一番奥で傍観していた。
わたしはマルフォイに狙いを定めながら、ひとり、またひとりと失神させていく。

これが闇払いの、中々に厄介な点だった。出来る限り、命は奪わないように。
わたしたちは闇の者ではないのだから、立ち塞がるからといって殺してはいけない。
それは、実際に決闘したこともない上層部が定めたルール。

アラスターが大臣になればいいのに、とわたしは思う。
そうすればもっと殺傷能力の高い呪文も許可してくれるだろう。
命のやり取りをするのに、相手側だけ『死の呪文』を唱えられるのではフェアじゃない。



「……………それであなたは何と言ったかしら?
 この数、いくらわたしでも敵うまいと?それとも、さすがのあなたも観念したかしら?」



更に幾人かを麻痺させ、わたしはマルフォイを正面に見据えた。
残るは、ヴォルデモート卿の最高幹部であったこの男と、
捕まった仲間を見て怖気づいて震えている背の高い痩せた男だけになった。

マルフォイはにやにやと笑っていた。
わたしはその胸糞の悪い顔に杖の照準をぴたりと合わせる。



「お見事、お見事……さすがは―――"嵐の女"。
 シリウス・ブラックの寵愛を受けただけはあるようですな」

「黙りなさい、マルフォイ。
 二度とわたしにその名前を聞かせないで」



しかしマルフォイはそれを歯牙にもかけず、残るもうひとりの男に語りかけた。



「きみは当然知っているだろうね、シリウス・ブラックのことを。
 10年以上も仲間を欺き続けたその豪胆さ。グリフィンドールに組分けられただけはある」

「黙れと言ってるのよ」

「そしてね、きみ。そこの女性はそのブラックに選ばれたのだよ。
 生涯の伴侶とするつもりだったのだろうねぇ、見たまえ、彼女の実力を。
 まったく、これ以上にお似合いのカップルがいるとは思えようか?」

「マルフォイ!!」



処罰をも覚悟したわたしが『アバダ――』と唱え始めたとき、

マルフォイは勝ち誇ったような笑いを浮かべ、そしてもうひとりの男をどん!と突き飛ばした。
男はよろめいて悲鳴をあげながら私の方へ倒れてきた。
骸骨の仮面が落ち、男の恐怖に彩られた顔がわたしの視界を覆い隠す。

邪魔!と叫び、わたしは男を蹴飛ばした。
わたしの望みはただひとつ、あの男を、マルフォイを、縊り殺すことだけ。
だから退いて、邪魔よ、邪魔、邪魔!


そして刹那。


地面を揺るがすようなズドンという音がわたしの耳に届く前に、
わたしの目の前は真っ白い光で一杯になった。

え?と思ったときには遅かった。

突然の爆風で、体がふわりと宙に浮いた。
もがく暇もなく、わたしは廃屋の出口まで飛ばされる。

がつん、と体中にぶつかるのは脆くなった建物の木材たちだろう。
それらは剥がれ、砕け、そしてわたしに降り注ぐ。


したたかに頭をぶつけながら、ようやくわたしの体は地面に転がり落ちた。
オランダ人たちが必死に水を掻き出したのにも関わらず、この地方の土は柔らかい。
嵐のせいで泥のようになった地面に背中を預けながら、わたしは肋骨を抱えるようにして横たわっていた。

雨が降っていた。
そして強い風が吹いていた。

煌々と燃える、廃屋だった建物。
わたしが気絶させ、捕縛した死喰い人たちはどうなったのだろう?
同じように爆発に巻き込まれても、身動きが出来なければ受け身すら取れない。

じくりとした痛みが体中を電気のように奔る。
いまにも消えていきそうな感覚を必死で掴むと、足首が奇妙な方向に曲がっていることがわかった。
けほっと息を吐き出すと、鉄のような苦味が口内にじわりと広がる。



「御機嫌よう、



マルフォイの声が聞こえた。

わたしは追いかけようとして、体を起こそうとして、それが出来ないことに気付く。
どんなに動かそうとしても、動けと念じても、わたしの腕や足はぴくりともしない。
それどころか瞼までが段々と落ちてきて、次第に視界が狭まってゆく。


ああ、死ぬのかな、と思った。


それは好都合だ。
リリーがいなくなってしまってからずっと、そうなればいいと思っていたんだから。

そうなればいい、それでリリーに会えればいい。
どうせなら出来るだけ早くその時がくればいい。

そう思って、わたしは3ヶ月間ずっと任務に当たってきた。
皮肉にも、わたしが死を願えば願うほど、わたしが生き残った回数は増えた。


どこか、わたしの記憶の存在しないどこかの世界へ逃げたくて、夜の酒場へ入り浸った。
男でも、酒でも、何でもいい。何でもいいから、わたしの頭の中を真っ白にして欲しかった。

あの頃の夢を見ることが怖くて、夢の中でさえ彼の顔を見るのが怖くて、わたしは眠ることを止めた。
食べては吐く日々が続いたあとは、節操もなく手当たり次第に口に物を運ぶ日々が続いた。


それでもわたしは生きていた。
だけど、それももう終わる。



ほんとうに?



霞んだ、いやに赤みがかった視界で、わたしは手中の杖を眺めた。
ぽっきりと折れてしまったそれは、先端から魔力の芯が覗いていた。
残りの半分はどこに行ってしまったんだろう?どこか、泥の中に埋まっているんだろうか?


ごきげんよう、


。その名前が魔法省の闇払い本部で検挙率ランキングのトップに躍ることはもう無い。
彼の名前、シリウス・ブラック、その名前と一緒にひそひそと囁かれることも、もう無くなるだろう。

わたしは体を横に倒し、腹部を抱えたまま目を閉じた。
これで終わり。やっと、終わり。長かった。もう疲れた。


だけどわたしを呼ぶ、この声は誰のものだろう?
リリー?ジェームズ?リーマス?

違う。そうじゃなくて。
この声は、きっと――――――
















「ママ!」



目を開いて最初に見えたのは、まるでわたしのような顔。

あなたは、だれ?
あなたは、わたし?



「待ってて、いまスネイプ先生呼んでくるから……」





そうだ、ちがう、この子は、だ。



「かお、見せて、」



喉が痛くて、声がかすれた。
それでもはきちんと聞き取って、わたしの傍へ寄ってくる。

わたしは腕を伸ばしてのすべすべした頬に指を触れさせた。



「ごめんね」



ごめんね、

あなたはずっとわたしの傍に居てくれたのに。
あの3ヶ月、死にたい死にたいと言っていたわたしの中で、ずっとわたしを励ましてくれていたのに。

わたしはちっともそれに気付こうとしなかった。
あなたはずっと、わたしの中で、生きていたいと訴えていたのに。







「ごめんね」







なのにどうしてわたしの耳に残っているのは、あの人の声なんだろう。



















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フェンズの、土地的な特徴はノンフィクションですよ。