聞いてもいい?
BEHIND THE SCENES : XXIII.
「気分はどうだい?」
「………とっても、さいこう」
頭の痛さをそう表現すると、リーマスは笑った。
わたしは体を起こして、改めて自分の状況を見つめた。
薬品棚と本棚に挟まれた、簡素なベッド。
「……ここ、どこ?」
「セブルスのところだよ」
「……は?」
なんで、わたしがスネイプのベッドで寝てるわけ?
わたしは記憶を辿る。
わたしは、そう、吸魂鬼の巡回を終わらせて、校長の部屋に行って…
スネイプにちょっと交替してもらって、仮眠を取って、それから…
それから…?
「それから…吸魂鬼が入ってきて……そうよ。
リーマス、大変!校長先生に言わなきゃ…」
「落ち着いて、。
多分、きみが思ってるよりも時間はもっと過ぎてるよ」
リーマスは落ち着いた声で言う。
「………そうなの?」
「そう。あれからもう何日経ったかなあ…
はずーっと寝てたから知らないだろうけどね」
ちくりと、嫌味のような言葉が放たれる。
ごめん、と呟くと、彼は諦めたように溜息をついた。
「…何があったんだい?」
「吸魂鬼を…確か、森に誘導して……競技場へ行ったら危険だと思って…
それで、しばらく戦って、そしたら音がして……音が、して、」
死神犬。
「……音がして?」
「音がして……リーマス、わたしきっと夢を見てたのよ。
その少し前からずっと嫌なことばっかり思い出してて、だからきっと、あれも…」
きっと、あれも、夢だった。
だって、あれが現実だったとしたら、どうしてわたしは生きているの?
リリーを、ジェームズを見殺しにしたように、どうしてわたしも見捨てなかったの?
「………わからない。もう、やだ。わからない。
なんで?どうして?どうしてわたし、生きてるの?
どうしてあの人、わたしを殺さなかったの?」
「……もしかして」
「わからない。夢だったのよ。そうよ、夢よ。なんて迷惑な夢かしら。
だって……何なの、なんで、なんで今さら、なんでわたしのこと呼ぶの?」
どうしてあんな風に、わたしを呼ぶの?
昔のように、あの頃のように、優しい声で、わたしの名前を。
夢だったんだ。現実であるはずがない。
わたしは自分に言い聞かせる。
さっきまで見ていたようなのと同じで、ただの悪夢だったんだ。
リーマスは、なにも言わない。
「生徒たちは………大丈夫、だった?」
わたしはリーマスに訊ねる。
生徒たちは、吸魂鬼の被害を受けなかっただろうかと。
わたしが倒れたあと、何が起きたのかを。
「十全、とは言わないまでも……まあ、あれだけで済んだのは不幸中の幸いだったかな」
「……だれが?」
「ハリーだよ」
リーマスは言った。
「箒から落ちたんだ。彼はどうも…他の生徒よりも影響を受けやすいらしい。
ついこの前まで医務室に入院していたんだ。
がセブルスの部屋に担ぎ込まれたのもその所為だよ」
「それ、大丈夫だったの?本当に?
どこかに傷が残ったりは……」
「していない。けれど、ハリー本人じゃなくて…彼の箒が粉々になってしまった」
暴れ柳にぶつかって、と彼は言い添える。
リーマスの顔は少し苦しそうだった。
あの柳が植えられたのが自分のためだということを、気に病んでいるのだろう。
「………どうにかならないの?」
「買い直すしか、ないだろうね」
なんてことだろう。
わたしが眠っている間に、状況は更に悪くなったようだ。
情けない、と思った。自分のことを。
なにが『実力は折り紙つき』だ。
なにが元・闇払いだ。情けない。
ついこの前、約束したのに。リリーとジェームズに。
ハリーは、は、子供たちだけは、守ってみせる、って。
情けない。本当に。
「……リーマス、聞いてもいい?」
どうぞ、と彼が言う。
わたしはしっかりと彼を見て、言う。
「わたし、どこで倒れてたの?
誰が……いつ、わたしを見つけたの?」
「森の入り口の……ハグリッドの小屋に近いところだったよ。
オレンジ色の猫がの……持ち物を咥えて、わたしのところに来たんだ。
いつ頃だったかな…もう日は暮れてたと思う」
それがどうかしたか、とリーマスは言う。
「………わたし、森の奥に居たはずよ。
それなりに深いところ…間違ってもハグリッドの方じゃないわ」
「……思い違いじゃないのかい?」
「リーマス」
声が震えた。
夢、だと、思いたい。
あの声は、あの指先は、わたしの夢だと。
「……どうして…わたしは生きてるの?」
「……………」
「わたしは森の奥に居たのに。まだ正午にもならない時に。
なのにどうして、日が暮れてから、森の入り口で見つかるのよ」
リーマスは、なにも言わない。
「きみは……疲れているんだよ。
ほら、もう休んだほうがいい」
「でもリーマス」
、と、リーマスはわたしの名前を呼んだ。
「もしそうなら……それが夢ではなかったとしたら、きみはどうするんだ?
きみが『思っていたほど吹っ切れていない』なら…あいつの方へ、行くのかい?
わたしやダンブルドアや……を置いて?」
「そんなこと出来るわけないでしょう!?」
そんなことは、しない。
を置いていくなんて、そんな、そんなことは。
「…………ごめん、忘れてくれ」
わたしは隠れるように、逃げるようにシーツの間に潜り込む。
枕からは、薬草の香りがした。
その香りに釣られてか、自分の奥底から記憶がじわじわと染み出してくるのを感じた。
あの人の姿を見たと思った瞬間に、吸魂鬼に掴まれた腕の感覚。
娘の声を聞きたいと切実に思った瞬間。杖を握っていた実感。
「………ねえリーマス、思い出してきたんだけど…
わたし手加減できなくて……吸魂鬼をね、何体か『処分』しちゃった気がするのよ。
あいつらって、魔法省の管轄よね?やっぱり損害賠償とか請求される?」
「……勝手に敷地内に侵入したら奴らの方に責がある。
それに、おまえが金を積んだところで買えるような代物ではないだろう」
スネイプが部屋に入ってきて、何かを言いかけたリーマスの言葉を遮った。
そしてわたしに、金色のゴブレットを差し出す。
体を起こしてスネイプからそれを受け取ると、ゴブレットはひどく熱かった。
熱い、と文句を言う代わりに無言でスネイプを見ると、彼は鼻で笑った。
きっと煎じたてなのだろう。匂いまでがきつい。いい気味だと思っているに違いない。
「…まるでわたしが貧乏みたいな言い方しないでよね…」
「ほう、教授は金が腐るほど余っているのだな。
ならばその金をそこの人狼に呉れてやればどうだね」
「怒るわよ」
「死にかけの病人に凄まれて怯えるのは鶏ぐらいだ」
「そうね、あなたは蝙蝠だもの」
リーマスが深く息を吐く。
「セブルス、病人相手に大人げないよ。
も。あんまり怒ると熱が上がるよ」
わたしはゴブレットを傾けて、一気に呷る。
喉が焼けていく感覚は、痛さが少し心地良い。
空になったゴブレットを受け取ると、スネイプは部屋を出て行った。
わたしは皺になってしまったシーツを伸ばしていく。
じわり、じわり、と、喉の熱が全身に広がる。
「………ねえ、スネイプに、ありがとって、言っといてくれる?」
「うん……伝えておく」
「リーマスも。……ありがとう。心配ばっかりかけて、ごめんなさい」
ミントのような、鼻に抜けるような匂いを感じながら、わたしは言う。
リーマスは何も言わずに、その細い指で、わたしの髪を梳く。
わたしは目を閉じた。
リリーに誓ったように、しっかりと現実を見つめるならば。
見えない振りをするのをやめて、過去と向き合うのならば。
この出来事に対する答えを導くために、はっきりさせておかなければならないことが、ある。
シリウスはわたしの名前を呼んだ。あの頃と同じ声で。少し掠れた声で。
シリウスはわたしの額に触れた。あの頃と同じように。あの細長い指で。
ねえシリウス、わたしのこと、愛してた?
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(わたしは、愛してたよ)