閑話。











  BEHIND THE SCENES : XXV.











暇だわ、と呟くと、目の前に未採点のレポートが降ってきた。

わたしはそのレポートの山の発生源を見遣った。
スネイプはこめかみの血管を浮き上がらせてわたしを睨んでいた。



「暇とは随分な発言だな、

「だってわたし、要するにただの風邪なんでしょ?
 なのにこんな重病人みたいにベッドに張り付けて…」



レポートの上に、今度はゴブレットが振り下ろされた。



「人体の限界まで発熱しておいて、よくもそんな口が利けたものだな!」

「……え、そんなに?」



わたしはゴブレットの中身を飲み干して、スネイプに訊ねる。
人体の限界、ということは43度以上の熱だったということか。



「だからお前に蛋白質の再生を促す薬が処方されているのだ、馬鹿者め」



なるほど、とわたしは言う。

まさか医務室に死に掛けの患者を置いておくことも出来ず、
専門知識のある(と言うより、ありそうな)スネイプのところに追いやられたわけだ。
生徒が怪我をしても、それより重態の患者がいればそっちを看なければならないから。



「……ご迷惑、おかけして…」

「詫びる意思があるのなら、そのレポートを採点しておけ」



はいはい、とわたしは言う。
スネイプが杖を振り、赤いインク瓶と羽ペンがレポートの傍に着地した。

わたしはベッドの背もたれに寄りかかりながら、羽ペンの先を瓶に浸し、一枚目を取る。



「スネイプ、わたしの杖はどこ?」

「知らん。ローブのポケットだろう」

「じゃあ、ローブはどこ?」

「知らん。副校長が持っているのではないか」



さっさと仕事をしろ、と言うと、スネイプは自分の仕事机に向かった。

わたしはレポートにざっと目を通し、「A」の評価を書き込む。
もしスネイプに提出したレポートに「A」以上の評価がついて戻ってきたとなれば、
生徒たちの間に『スネイプがおかしくなった』という噂が立つかもしれない。面白そうだ。



「スネイプ、今日は何曜日?」

「11月13日水曜日18時過ぎだ」



わたしはまだ曜日しか聞いていないのに、スネイプは早口で答えた。
曜日の次は日にちと時間を立て続けに聞いてやろうと思っていたのがバレたらしい。

唇をとがらせ、ちぇ、と言うと、スネイプは鼻で笑った。嫌味な男だ。

採点したレポートを傍らに置き、次のレポートを取る。
しかしその拍子にシーツが捩れ、採点したレポートが床に落ちてしまった。



「あ―――いいわ、大丈夫。自分で拾えるから」



スネイプがそれを取ろうと立ち上がろうとしたのを、わたしは押し留める。
ベッドから落ちないようにして身を屈め、腕を伸ばした。
けれどレポートは意外と遠くまで滑っていたようで、微妙に届かない。

あきらめて、わたしは脚をベッドから横滑りに下ろす。



、お前は立つな」

「でもこれくらいだし…」



立ち上がったスネイプに向けて、平気でしょ、と続けようとした声は出てこなかった。

――カクリ、と。
2歩進んだところで、膝が折れた。

わ、と小さく声を上げながら、わたしは咄嗟にしがみつく。



「……体組織が崩れるほどの高熱を出したあとでまともに歩けるわけが無いだろう…
 その歳になってまで、なぜわからんのだ」

「うっかり油断して…」

「たわけが」



しがみつかれたスネイプは心底呆れたように溜息を吐いた。

わたしは驚いた。
ここまで体力が落ちていたなんて、という意味ではない。



「ショックだわ……まさかスネイプに支えられる日が来るなんて…」

「我輩は自分と同年の輩を介護する日が来るとは思わなかった」



介護って言わないでよ、とわたしは言うが、スネイプには無視された。

その時、スネイプの事務室の扉がノックされ、返事を待たずに開けられた。
わたしはレポートを拾い上げ、ベッドに戻る。



「仲が良くて結構なことじゃのう」

「校長先生」



銀色の、長い髭を揺らしながら入ってきたのは、ダンブルドア先生だった。
わたしは慌てて、再び立ち上がる。視界の隅ではスネイプが嫌そうにわたしを見ていた。

先生は座るように手で示し、自らも来客用のソファに座った。



「わたし、先生に謝らなくてはならないですね。
 せっかくわたしを見込んで下さったのに……この様です。
 情けないばかりか、迷惑までかけてしまって……」

「良いのじゃ、
 きみはわしに前もって十分すぎるほと忠告をしてくれたであろう」



でも、とわたしが続けようとすると、先生は片手をあげてそれを遮った。



、わしはそれを話しにきたのではない。
 きみに渡さねばならんものがあってのう」



ダンブルドア先生はポケットから、小さな白い封筒を取り出した。
わたしはそれを受け取ろうとしたのだが、先にスネイプに取られてしまった。

何するんだ、という批判を込めて睨んだけれど、スネイプは封筒を見ていて気付かない。



「なぜお前にルシウス・マルフォイから手紙が届くんだ」

「………うそ、マルフォイ?」



スネイプはわたしに封筒を投げるようにして寄越した。

わたしはそれを受け取り、開封する。
家紋を象った紅い蝋を剥がした後は、見たくもないので床に投げ捨てる。


それは、殿、という、前回と変わらない書き出しだった。




  親愛なる殿

  息子より良きお返事と共に貴女の御負傷をお聞きいたしました。
  貴女が一日でも早く復帰されることを妻共々に祈っております。
  また快諾して頂けました会食でありますが、御身を慮り、
  12月25日に当家で毎年主催致しますパーティと合同に致したい所存であります。
  当日はロンドンまで送迎を遣わしますので、どうぞご出席ください。

                           ルシウス・マルフォイ





はあ、とわたしは深く息を吐く。
スネイプが興味深そうに見ていたので、封筒ごとその手紙を放り投げた。



「………ほう、快諾したのか」

「脅されたに決まってるでしょ。解ってるくせに」



読み終わると、スネイプは封筒をダンブルドア先生に差し出した。
先生は特に読もうとはしなかった。恐らく、既に知っている話なのだろう。

わたしはダンブルドア先生に視線を向ける。
どうにかして、これから逃れる術はないだろうか。



「先生……わたし、非常に気が向かないんですが…」

「勿論わしとて、賛成出来かねる話じゃ」



先生はキッパリと言いきった。当然、といえば当然なのかもしれない。
マルフォイの、心を入れ替えた元・死喰い人、なんて肩書きはただの建前だ。

いつだって、きっと今だって心はヴォルデモート卿にあるに違いない。
いや、ヴォルデモート卿に、というよりは、自らの保身に、と言うべきか。



「これはわしの勝手な思いつきじゃが……セブルスが同伴するのはどうじゃ?」

「――――何を仰いますか、校長……」



スネイプは眉間に皺を寄せて言った。
けれど、案外良い打開策のように思える。

かつての朋友であったスネイプが一緒なら、マルフォイだってそんなに大胆なことは出来ないかもしれない。
もし上手く立振舞えば、魔法省の上役たちを味方につけることだって出来るかもしれない。



「……わたしからもお願い、スネイプ。
 娘のためだと思って…協力、してくれないかしら?」

「…………」

「……お礼はするから……採点とか、何でも、するから!お願い!」



縋るようにして言うと、スネイプは僅かに怯んだ。
まさかわたしがそこまで言うとは思わなかったのだろう。

だけどわたしにも譲れない、守るべき子がいるのだ。形振り構ってる場合じゃない。



「……よかろう。そうまでして我輩に負荷をかけたいのだな…
 その代わり、お前の休暇は無いものと思え!わかったな!」

「わ、わかった……わかったから!」



わたしは何度も何度も頷いた。

確かに学生時代はそう言ったのに約束を破ったこともあったけれど、
今回は場合が場合なのでそんなことをするつもりはない。が、中々信用してもらえない。



「それではセブルス、頼んだぞ」



ダンブルドア先生が立ち上がって、スネイプに言う。
スネイプはそっぽを向いて、ふんっと鼻を鳴らした。



、養生するんじゃぞ。
 わしはきみに失望などしておらん。また以前のように働いて貰いたい」

「あの……はい。ありがとうございます」



相当怒っているらしいスネイプに構わず、先生は事務室を出て行った。

スネイプ、と声をかけても、彼は無言で仕事机に向かった。
ああダメだ、高価な薬草を100キログラムくらい献上しないと機嫌が直らなさそうだ。



「ありがとう、スネイプ」



あなたも大変ね、という言葉は言わないでおくことにした。




















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