すこし、話しましょう。











  BEHIND THE SCENES : XXVI.











わたしが朝食兼昼食をいただいて、厨房から出たときだった。
目の前には、笑顔のダンブルドア先生。



「すまんが、ホグズミードへ行ってくれんか、

「構いませんが…理由を聞いてもいいですか?」



大したことではない、とダンブルドア先生は言う。



「実はコーネリウスが来ることになっておってのう。
 ホグズミードまで迎えの馬車を出すつもりなんじゃ」

「それでわたしは……」

「三本の箒まで、コーネリウスを迎えに行ってもらいたい」



つまり、迎えの迎えか。
今日は学期の最期の週末。休暇はすぐ目の前に迫っていた。
ここでホグズミードへ行ったって、明日の仕事に差し支えるほどではないだろう。

わかりました、とわたしは言う。

ホグズミード。叫びの屋敷以外で最後にそこへ行ったのは、いつだっただろうか。
部屋に戻ってマフラーをして、わたしは玄関前に急ぐ。

馬車に乗り込みながら、懐かしさを感じずにはいられなかった。















馬車をホグズミードの村の外れに止めさせ、わたしは客車部分から飛び降りた。
着地と同時に、足がすっぽりと雪に埋まる。

真っ白の絨毯のようなそれをさくさくと踏みしめながら、わたしは酒場を目指した。





酒場の扉を開けると、温かい空気が顔に吹き付けた。
ほっと息を吐き、店内をぐるっと見回す。
すると隅の方に、ハグリッドのひときわ巨大な体が見えた。

あそこだ。わたしは確信した。



「ええ、ええ、もちろん!まるで影と形のようにいつでも一緒で…
 あの2人にはよく笑わされましたわ、シリウス・ブラックとジェームズ・ポッター!」



ロスメルタの聞き覚えのある声がして、わたしは足を止めた。

シリウス・ブラックとジェームズ・ポッター。
その名前がふたつ並ぶということは、教授方は昔話に花を咲かせているに違いない。

困った。わたしは溜息をつく。
どうにも出て行きにくい状況のようだ。



「その通りです、ロスメルタ。ブラックとポッターはいたずらの首謀者で……
 2人ともずば抜けて賢い子供でしたが、低学年の頃は特に、手を焼かされたものですよ」

「あら、まるで高学年になれば落ち着いたような言い方ですわね」



ロスメルタがくすくす笑う。

わたしは少し、意外に感じた。
マクゴナガル先生が、こんなに穏やかに彼の事を口に出すとは思わなかったのだ。
もっと、怒りや悲しみを交えた話し方で、彼のことを断罪するのだと思っていた。



「落ち着いた、というのは少し違うかもしれませんが。
 まったく、と交際していなければ、どうなっていたことか。
 ロスメルタ、のことは覚えていますか?」

……でしょう?忘れられるものですか!
 シリウス・ブラック本人から紹介されたことだってありますわよ。
 何度か女の子を連れていたのは見ましたけれど、だけは違うタイプでしたわねえ」



お願いロスメルタ、それ以上言わないで。そう願いながら、わたしは再び脚を動かし始める。
ロスメルタがこれ以上わたしの記憶から勝手に思い出を引っ張り始める前に、黙らせたかった。



「たしか、彼の方から惚れ込んだとか聞きましたわ」

「そのようですね。実際、われわれ教師が何度言っても聞かなかったブラックが、
 が少し顔を顰めただけであっさりと言うことを聞く、ということは日常的でしたから」

「まあ!そうでしたの。それで彼女はいま、どこに?」

「それがね、ロスメルタ、なんとホグワーツに居るんだよ。
 ブラックに対抗できる人材というのは非常に…稀、というか、限られているからね」



ファッジが、咳払いをした。わたしは出来るだけ早く、脚を動かした。
娘とリーマスのために来ただけで、シリウスと戦うためじゃない!と、叫びそうになるのを我慢する。



「―――お取り込み中でしたかしら、大臣?」



まだ何か言いたそうなファッジを遮る。
大臣の言葉を遮るなんて、公務員なら厳罰ものかもしれない。

しかしファッジは、わたしが闇払いだった頃には『魔法惨事部』の部長であった人物で、
それが大臣になったと言われてもあまりピンと来ないのだから仕方がない。(という事にしておく)



「まあ!ホグワーツに帰ってきていたなら教えてくれたってよかったじゃない。
 あなたが突然仕事に来なくなってしまったって色んなお客様から聞いて、わたしとっても心配していたのよ!」



ロスメルタが言った。
ごめんなさい、とわたしは謝る。

謝りながら、魔法省の噂の広がる速度を恨めしく思った。
省内の情報をこんな酒場で漏らすなんて、闇払いなら即刻クビだ。
きっと事務専門の役人がうっかり喋ってしまったのだろう。



「そっちの話はまた今度、ね。大臣、何のお話をされていたんです?」

「その…なんだね、シリウス・ブラックについて、というか。
 ブラックに関する一連の事件のあらましを、だな…あー、整理していたんだ」



わかっていた事ではあるけれど、『ブラック』と『事件』という単語が並ぶと、どうしても体が反応してしまう。
わたしは指先が勝手に痙攣するような動きを意識の端で捉えた。


ご一緒していいですか、とわたしは訊ねた。
実はわたしは、シリウスが事件を起こすに至った経緯を、あまり知らないからだ。


なぜならわたしは彼が事件を起こしたとき、別の仕事でアイルランドに赴いていたのだ。
明け方、帰路の途中でリリーたちの事件を聞き、慌ててゴドリックの谷に駆けつけた。

そこには瓦礫の山を背景にして、ピクリともしないリリーとジェームズと、無言で俯くリーマスが居た。
わたしとリーマスは目を合わせなかった。なぜ、とも。誰が、とも。お互いに、何も言わなかった。

わたしたちは知っていた。シリウスが『秘密の守人』だった、ということを。
ただわたしはリリーを眺めていた。そんな記憶しか残っていない。気付けば朝になっていた。

きっと、この時点でわたしは少し壊れていたのだと思う。

朝日が昇り、わたしが思ったのは『ああ、仕事に行かなくちゃ』ということだった。
わたしはリーマスに何も言わずに、その場で姿くらましをして魔法省へ行った。

当然のことながら、省内は前夜の事件の話題でもちきりだった。
幾人かの同僚は、わたしとポッター家の関係を知っていたので、声をかけてくれた。
けれどわたしは挨拶すら返さずに、闇払いの待機所へ向かった。

そこで何をしたかといえば、ハリーの行方を尋ねるでもなく、報告書の作成だった。
それもヴォルデモート卿とは関係のない、アイルランドでの暴動についての。

昼ごろ、だっただろうか。
シリウス・ブラック逮捕の一報が飛び込んできた。

それを知らせてくれたのは同僚のシャックルボルトだった。
彼は息を切らせ、会うチャンスは今しか無い、と言った。

なぜ、と思った。
なぜわたしが、シリウスに会わなければいけないのか、と。

そもそもなぜ彼が逮捕されたのか、ということは考えなかった。
脳が、全身が、それを拒否していた。

どこかへ行かなければいけない気がした。
けれど、どこへ行けばいいのかわからなかった。

逮捕されたというシリウスのところだろうか?
それは違う気がした。何が違うのかは解らないが。

立ち上がり、フラフラと歩き出したわたしを止める人は、居なかった。
きっと下手に慰めてとばっちりを喰うのを恐れていたのだろう。

どこか、ここじゃない、どこかへ行かなくちゃ。
逃げろ、と、頭の中で声がした。逃げろ。逃げなければ、お前まで捕まってしまうから。
その声に従うように、わたしはロンドンの街中の小さな酒場へ逃げ込んだ。

そこではヴォルデモート卿の失脚を祝って、酒が無料で配られていた。
魔法使いたちは、浴びるようにそれを飲んでいた。
わたしはカウンターの一番端の男のグラスを無理やり奪って、一気に飲み干した。

頭の奥が焼け付く感覚。
おかわり、おかわり、おかわり、と続けていくうちに、当然、わたしの意識はなくなっていく。

ヤケ酒をしている女は、この上なくガードが緩いもの。
酒場に入り浸る類の男はそれを知っているので、わたしに近寄り始める。
わたしは、自分が何をしているのか、それすらもわかっていなかった。

次にハッキリと『自分』を意識して目覚めたのは、もう空が白むころだった。

見覚えのない部屋と、慣れない肌触りの布団。
鬱陶しいと思ったのはわたしの体に絡まる男の腕だった。

ああ、わたし、こいつと寝たんだ。頭の中は冷静だった。
リリーとジェームズが死んで、24時間も経たないうちに。
自分の恋人である男が大量殺人で逮捕されて、何時間も経たないうちに。

あは、と唇から空気が零れた。
わたしも、シリウスも、何も変わらないじゃないか。
結局、リリーたちを裏切ってしまったんだから。

涙は出なかった。
出るのはただ、乾いた笑い声。



「あいつはハリーを渡せと抜かした、名付け親の自分が育てるっちゅうて!
 そんでも、俺はダンブルドアからの言いつけで、ハリーは親戚ん家に連れてかにゃなんねえって言った。
 そしたらあいつめ、自分にはもう必要ないだろう、って俺にバイクを寄越したんだ!
 そん時に気付くべきだったんだ、あいつはトンズラしようとしてるんだって!」



ハグリッドは吼えるように言った。

初めて知る、親友の死に直面したときのシリウスの行動は、わたしよりはるかにまともなものだった。
そうね、わたしの知っているあなただったら、ハリーを引き取ろうとしたでしょうね。
名付け親だから。そんなものは言い訳で。ただ、ハリーのことが大切で仕方がないのよね。

あなたは、どんな思いでハグリッドにバイクを渡したんだろう、シリウス。
本当に魔法省から逃れるために、自分のトレードマークを捨てたかっただけなのかしら。



「俺がハリーを渡してたら、ハリーは一体どうなってた?
 きっと海のド真ん中で、バイクから、ポイ!だ、あの裏切り者め!
 あいつは心の底から腐りきっとるんだ、心の底から『あの人』に忠誠を―――」

「―――でも、」




でもね、シリウス。




「でも彼は、闇の印を刻んではいなかったわ。
 腕にも、脚にも、胸にも…背中にも。――体中、どこにもね」




あなたの体が、他のどんな男よりも綺麗だった、って。
そう思ってしまうのは、まだわたしが壊れている所為なのかしら。



















 ← XXV   0.   XXVII →