知りたいのに知られない事と、知りたくなかったのに知った事と。











  BEHIND THE SCENES : XXVIII.











禁じられた森での隠遁生活中ではあるが、シリウス・ブラックはかなりの情報を持っていた。
彼が知っている、ということを知れば、きっと魔法省は驚きで腰を抜かすことだろう。

たとえばそれはグリフィンドールが首の皮一枚でクィディッチ杯の優勝争いに喰らいついていることや、
彼の大事な大事な名付け子の箒が暴れ柳にぶつかって大破してしまったことなどだ。

それらの情報はすべて、オレンジ色の毛玉のような猫がもたらしたものだ。
猫は彼が森に棲みつくようになってからの協力者だった。
あるときは食料を持ってきたし、あるときは別の協力者(協力猫?)を連れて来たりした。

しかしハロウィンの夜以降、と名乗るその猫は彼の前に姿を見せなかった。
そのハロウィンの夜にしても彼は猫が自分の名前を呼んでいた声しか聞いていない。
叫びの屋敷まで辿りついたところで、と思われる人物に連行されてしまったのだ。


そんなことはいい。
薄情かもしれないが、信頼しきれない相手ならば居ない方が楽だ。


シリウス・ブラックは身を伏せ、思考していた。
冬に入った今では、身ひとつで生活していくのは少し辛い。

ほぼ一ヶ月前、彼はたしかにその姿を目撃された。
その相手は誰であろう、だ。

クルックシャンクスから聞いた話では、彼女はその後一ヶ月ほど姿を見せなかったようだ。
おそらくは長時間雨に打たれていたために、体調を崩したのだろう。

彼は覚悟していた。

すぐに、とは言わないまでも、いずれ彼女が彼のことをダンブルドアに話すだろう。
森に潜伏していることが明らかになれば、捜査の手が伸びることは必至だ。
そうなればもはや逃げ切ることはできないかもしれない。

自分の保身を優先するのなら、彼女を助けるようなことはするべきでなかったのだ。
極論を言えば、彼は彼女を見殺しにするべきだった。

それでも、をそのままにしておくことが出来なかった。
親友夫婦を救えなかった後悔からか、それとも単に惚れた弱みか。

彼は覚悟していた。
彼女に捕まるのなら、彼の思い描く『終わり方』としてはまあ悪い方ではない。
それがどうだ。捜査が行われる気配は、微塵もない。
それどころか彼が森に潜んでいることが学校中に広まったわけでもない。

いや、もうひとつある。
どの手配書を見ても、どの記事を読んでも、彼が動物もどきであることには一切触れられていない。
そのおかげで、黒い犬の姿をしていても、死神犬と恐れられはしても通報はされなかった。


これらは一体どういうことだろう。
やリーマス・ルーピンは魔法省に対して情報を隠しているということだろうか。
だとしたら、なぜ?そんなことは、彼を庇う以外に何のメリットもないはずだ。

解らないことだらけだ。彼は目を閉じた。
ただハッキリしているのは、彼の使命、ピーターの捕獲。
そして彼の名付け子を救い出すこと。



(シリウス)



彼は目を開けた。
いつものオレンジ色の猫が来ていた。



(ああ、お前か。……頼んでいたことは、やってくれたか?)



猫は鳴いた。肯定の意味だ。
そして猫は、彼の前に羊皮紙の切れ端を置いた。
ところどころに猫の牙で穴が開き、インクが滲んでいた。

礼を言い、彼はそれを引き寄せた。
『ファイアボルト入金確認通知』とあるそれを読み、彼は満足そうに頷く。

それは、13年分をひとまとめにした彼の名付け子へのプレゼントだ。
ハリーの箒が大破したと聞き、それしかない、と彼は確信した。

ハリーは差出人不明の箒なんかに乗ってくれるだろうか、
そもそもマクゴナガルかその辺が箒を取り上げたりはしないだろうか。
不安要素は驚くほどたくさんあったが、ハリーの喜ぶ顔が見たかった。

次の試合は、もう一度競技場まで足を伸ばしてみよう。
もしかしたらハリーの勇姿を見ることができるかもしれない。

そのアイデアは彼の精神を高揚させた。
辛い逃亡生活のうちで、士気を保っていられるのはこうした想いの積み重ねのおかげだった。



(なにも問題はなかったか?)

(……ゴブリン、こっち、にらんでた)



クルックシャンクスは忌まわしそうに言った。
逃亡中の指名手配犯の金庫の鍵を持った猫が現れたら、警戒されて当然だろう。
しかしそこでクルックシャンクスが捕獲されなかったのは、ひとえに小鬼たちの魔法界への無関心さの賜だ。

箒の注文書では、名義人はハリーになっている。
銀行にはクルックシャンクスが出向いた。
箒の送り主が彼であることをカモフラージュする作戦はうまく行きそうだ。

この調子で、にもプレゼントを贈ってみたらどうだろうか。
その場合は何が良いだろう。彼が彼女に贈りたいのは、きちんとした指輪、ただそれだけだ。
しかしそれを渡すのなら、彼の無実が確定したあと、彼女を迎えに行ってからのほうが好ましい。
そうなるとへのプレゼントは今は諦めたほうがいいのだろうか?


用件が済むと、猫は城のほうへ戻って行った。
引き続き、ネズミの捕獲作戦を展開していくのだろう。
彼は入り口の近くまで見送り、寝床にしている隠れ家に戻ろうとした。

そのとき、黒いローブが視界の隅で翻った。

彼は身を隠し、窺った。それは少女のようだった。
亜麻色の髪を躍らせながら、何かを探しているかのようにキョロキョロとせわしなく視線を奔らせる。

ペットが逃げたのだろうか。彼は思った。
まさか自分を探しに来たわけではあるまい、と。


しかし数十分ほど少女を尾行し、いよいよ森の深部にまで辿りついたとき、
少女は座り込んで呟いた。



「どこに居るのよ……シリウス・ブラック」



彼の心臓が、跳ねた。

どこか懐かしいような幼い声で紡がれた声を、彼は決して聞き逃しはしなかった。
少女は彼を探していたのだ。ここに彼が居る、と、ハッキリした確信を持って。

彼は人の姿に戻り、ポケットの中からナイフを取り出した。
そして静かに、少女へ近寄る。

この少女は何者だろうか?なぜ彼のことを知っているのだろうか?
上級生が独自の見解に基づいて彼を探しにきたのであったら、まだ理解できた。
しかし少女の背中が近付くにつれ、彼はその小柄さに目を疑った。これでは、まだ低学年だろう。



「――――動くな」



彼は最後の数歩の間合いを詰め、少女の項にナイフを宛がった。
少女はびくりと体を震わせたが、叫ぶようなことはしなかった。
彼は少し感心した。まだ子供なのに、たいした度胸だ。
ナイフを支える指にすこしだけ力を入れ、彼は続けて言った。



「なぜ此処に、わたしを捜しに来た。どうやって知った?
 目的は何だ?…………答えてもらおう」



少女はすぐには答えなかった。
どの質問から答えるべきなのか、それとも正直に答えるべきなのか、どちらで悩んでいるのかは解らない。



「……………



しばらく躊躇って、少女は言った。
それはどの質問の答えでもなかった。



――――わたしの、名前」



何を言っているんだ。彼は思った。
というのは、そうだ、クルックシャンクスが連れて来た猫の名前だったはずだ。

少女はそんな彼に追い討ちをかけるように、自身のローブから『時計』を取り出した。
不審な動きをしたらすぐにナイフを使うはずだったのに、一瞬混乱したせいで反応出来なかったのだ。

少女が取り出して見せたのは彼がに贈ったはずのものだった。
いや、贈ったのと同じ種類のものだった。まったくの同じもの、ではないかもしれない。
そうに違いない。偶然同じ種類のものを手に入れただけに違いない。
彼は暴れる心臓をなんとか抑えようとしながら、少女に訊ねた。



「その時計、は、」

「ママがくれたの」



答えると同時に、少女は立ち上がった。
そしてくるりと振り返る。


彼は息を呑んだ。


が立っていた。
まだ彼と知り合う前の、幼い頃の、。彼にはそう思えた。

『ママがくれたの』と、少女は言った。





「ママの名前は、





彼の手から、ナイフが滑り落ちていった。
風が、限界まで伸びた彼の髪を揺らした。

ずっと想い焦がれていた女の娘だと名乗る少女を見つめながら、胸に重い物が圧し掛かるような重圧を感じた。
指輪がないからといってが独身なのだと勘違いした自分が、おかしかった。
そうだ、あの女は変わり者だったじゃないか。結婚指輪は要らないと言ったのかもしれないじゃないか。

笑いたいような、泣きたいような、奇妙な感情が渦巻いた。





(――――――俺は、)





プレゼント作戦は、中止だ。
彼女には、もう別の家族が居るのだ。





(――――――とんだ馬鹿野郎だ、)





、きみは、幸せに、なったのか?



















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