響くのは祝福の歌か、葬送の歌か。
BEHIND THE SCENES : XXXVIII.
「吸魂鬼のキスが執行されるそうだよ」
「そうらしいわね」
そう言うと、リーマスは驚いたようにこちらを見た。
わたしの反応が薄いので驚いたのだろう。
「なんだか、どんどん状況が悪くなっていくわね」
「同感だよ。本当に…この事件は収拾がつくのか不安になる」
リーマスはハリーの守護霊特別訓練の準備を再開する。
彼は杖を構えて「下がって」とわたしに言うと、キャビネットに向き直る。
ボガートが、まね妖怪が居るのだ。
わたしは学期のかなり最初のほうに醜態を曝してしまったので、
この魔法生物に対するリーマスのわたしへの信頼度はかなり低い。
今はきっとリリーには変身しないだろうなと思う。漠然と、だけれど。
きっと今のわたしには、シリウスの姿のほうが効果があるだろう。
甘い言葉を囁かれても傾倒しない自信はあるが、気の滅入り方は半端じゃないはずだ。
「知ってる?吸魂鬼のフードの下には、何があるのか」
「いいや、知ってる魔法使いがいるとは思えないよ」
「あら、じゃあ認識を改めたほうがいいわ。
目の前にいるじゃない、その死の接吻からギリギリで逃れた魔女が、ね」
リーマスは杖を上げていた手を下ろした。
「初耳だよ?」と不機嫌そうに言う。
「言わなかったかしら?ほら、あの11月のクィディッチの日。
わたしがちょっとヘマやった時ね、あやうく奴らと熱烈なのを交わすところだったわ」
「それはまた…随分な言い方だね。
マクゴナガルに聞かれたらどうするんだい?」
「どうしましょう?」
わたしとリーマスは顔を見合わせて笑う。
「それで、」リーマスが言い添える。
「それで何があったんだい?フードの下は」
「そうねえ…とりあえず、強烈に臭かったわ。
硫黄みたいな、でもちょっと違うような…腐敗臭っていうやつ?
それ以外は空洞だった。きっとあれが口だったんじゃないかと今なら思えるわ」
「……そんなのとキスするなんてね…あいつも災難だなあ」
リーマスはしみじみと言う。
なんだかその口調がおかしくて、わたしはまた笑った。
「そうね。ホグワーツでいちばんの色男も、最後は腐敗臭のキスで幕を閉じるのよ。
あーあ……やだなあ。悔しい。結局そうするんなら、どうしてわたしたち呼ばれたのかしらね」
「」
「シリウスを生け捕りにするためじゃなかったの?
適度に情があって、一発殴れば気が済みそうだからっていうんじゃないの?
ほんと、嫌な奴だわ、ルシウス・マルフォイ。しばらくは大人しくすると思ったのに」
わたしはソファの上で、箒と一緒に膝を抱える。
ファイアボルトの美しい流線型が、かさりと腕の中で音を立てる。
まあ、この件にルシウス・マルフォイが絡んでいるという証拠はないけれど。
それでもこの急な決定には裏があるとしか思えない。
「大人ってやあね、リーマス」
「そうだね」
「わたし、ずっとこどもで居ればよかった」
リーマスは無言で杖を振り、まね妖怪をキャビネットからおびき寄せる。
さっと月の姿に変わるそれは「リディクラス」という短い呪文によってゴム鞠のように落ちた。
「子供産んじゃうとね、価値観変わるわよー。
わたし、それまでは殆どためらわずに殺してた。殺す必要がある時は、だけど。
でもあの子が生まれて、どんな相手だってこうやって母親に痛い思いさせたんだと思うと…
なんて言うのかしら、可愛いとか、生きててほしいとか、そんな風に思ってしまうわけよ」
「喜ばしい変化じゃないか」
「喜ばしい?本気でそう言ってる?」
リーマスはまた杖を振る。
堕ちた月は大きな箱に吸い込まれていく。
「それが喜ばしい変化なのだとしたら、わたしはシリウスを抱きしめてあげなきゃいけないわ。
あの人が何を言おうと、何をしようと、母親になった女の立場で愛してあげずにいられない。
だってあれだけ家族っていうのに飢えてた人だもの。ねえ、これは喜ばしいことなのかしら?」
「……………」
「………こたえてよ…」
リーマスは答えない。
その代わり、「じゃあ」と言葉が続く。
「じゃあ、わたしのことも愛してくれるのかい?
こんな風に…迫害されてきた、人狼だけど」
「リーマスのことは元から大好きよ」
「それは嬉しいね」
リーマスは着々と準備を整えていく。
わたしはぼうっとした視界でそれを見ていた。
「わたし、博愛主義に目覚めそう。
リーマスもスネイプもダンブルドア先生もひょっとするとトロールとかでさえ愛しいわ。
大好き大好き。みんな大好きよー。みんながわたしを好きかどうかは知らないけどね」
「、熱でもあるんじゃないのかい?」
リーマスがわたしの顔を覗き込んで、心配そうな表情をする。
「ちがうの」わたしは言う。「熱とかじゃ、ないの」
リーマスのその表情は学生時代からずっと変わらない。
まるで昔に戻ったような錯覚に襲われかけて、わたしは心臓が裂けそうになるのを感じた。
もう会えない人たちが、たくさん去来する。リリー、ジェームズ、シリウス、ピーター。
もう会えない、その頃のままでは、決して会えない人たち。
「……ハリーとね、話をしたのよ」
「うん」
「リリーたちの最後の声が聞こえるんだって聞いてね、
……わたし、どうすればいいのか…どう謝ればいいのか…わからなくて…」
リーマスはわたしの隣に腰を下ろす。
うん、と、小さく相槌を打つ声。
「わたしはハリーに何もしてあげられなかった。
ハリーが愛されて愛されて生まれてきたのを知ってるのに、何もしなかった。
出来ることはあったはずなのに、全部見なかったことにした」
「うん」
「なのにハリーはわたしを見て『ありがとう』って言ったの。
わたしが、自分が救われたいがために申し出たことに対して、ありがとうって。
ジェームズの姿で、リリーの瞳で、わたしに、ありがとう、って!」
「…」
自嘲気味に笑って言うと、リーマスは「うん」とは言わなかった。
黙ったままわたしの肩を抱く。ああだめだ、またわたしは彼を傷付けた。
「……今さら何しに来たんだ、って。
そうやって罵られたほうが楽だったのにな…」
「……………」
「リーマスもハリーも、……みんな、優しいんだもの。
わたしの根暗な部分、どうすればいいのよ……」
「じゃあ」とリーマスはわたしの髪を梳きながら言う。
「じゃあ、あいつに全部ぶつけてやればいいよ。
このバカ犬、って、そう言って大泣きしてやればいい。
がそうするのがきっと一番効くんじゃないかな」
「……そうかしら」
「そうだよ」
「だったらいいのにね」
リーマスはわたしを放した。
そろそろ、ハリーとの約束の時間なんだろう。
わたしとリーマスは立ち上がり、彼の事務室の出口を目指す。
リーマスは魔法史の教室へ、わたしはマクゴナガルの事務室へ、それぞれ向かわなければならない。
結局、箒には何の呪いもかけられていなかった。賭けはわたしの勝ちだ。
けれどわたしはそれを言わなかった。リーマスも言わなかった。
死ぬことよりも惨い現実を突きつけられて、飲みたい気分になんてなれるわけがない。
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そして彼は少年に訊ねる。
「本当に、そう思うかい?
魂を抜かれるような、そんな報いを当然とするような人間が、本当に居ると思うかい?」