魔女のたまごであるという点を除けば去年と何も変わりはない夏休みの一日。
・はもそりと起き上がり、手元の時計で時間を確認し、起床することを決めた。
パジャマ代わりのTシャツと短パンで階段を下りる。
眠気で頭も目もすっきりしないので、壁に手をつきながらまるで老人か病人のように進む。
さて起き抜けといえども12歳の育ち盛りの少女は空腹を感じるわけであるので、
毎朝の習慣である新聞運びのついでにキッチンへ向かう。
朝食は何にしようかとあくび交じりに考えたところで、あり得ない光景に足を止めた。
いつもなら熟睡しているであろうがキッチンに立っていた。
え、なんだ、天変地異の前触れかなにかか?
実は魔女であったは、と一緒につい先日まで教師と生徒として魔法使いの学校に居たのだ。
そこでの過去やらの父親らしき人物やらについて新事実が次々と発覚したのだがそれは置いておいて。
が本職の女優に復帰したのはつい昨日のことである。
ボスであるレニーの事務所でこってりと絞られたらしく、ぐったりした顔で帰宅したのは夜も遅い時間だった。
だから今朝も、昼近くまで起きてこないだろうとは予想を立てていた。
それがどうした、非常に眠そうな顔ではあるが、フライパンを動かす手は寝ぼけているとは思えない。
「マ、ママ?どうしたのこんなに早く起きてくるなんて」
「あら、起きたの。朝の挨拶は“おはようございますお母様”でしょう?」
「初耳なんだけどそんなルール」
そんな会話の間にもは手を休めない。
がキッチンのテーブルを見ると、既にもう何皿か料理が出来上がっていた。
いったい何時から作りはじめて、何人分を何食分作るつもりなのだろうか?
はライスをぱらぱらに炒めた料理を皿に移す。
豪快なその手つきのせいでライスが皿から溢れるが、は躊躇することなくそれを拾い食いする。
は呆れ果ててそんな母親の姿を見守った。
「それ、なんていう料理?」
「チャーハンっていう中国のライス料理よ。昔はアジアかぶれでねえ…」
は適当に相槌を打った。
アジアの文化が好きだったというのは初耳だが、よく考えてみればは箸の使い方も上手かった。
は今度は大きな鍋を取り出し、水を張る。
そこへコンソメやら野菜やらを次々に放り込み、コンロにセットすると大きく伸びをした。
「じゃあわたし、二度寝してくるわ」
「え、この料理は?食べるんじゃないの?」
「食べたいなら食べてていいわよ」
ヒラヒラと手を振り、は2階へ向かおうとする。
何だかよくわかないがそれもいつものことだと、はいつも通りに深く考えることを放棄した。
は料理の山からポテトのサラダらしきものを小皿に取り分け、
パンを保存しているバスケットからクロワッサンを数個選ぶ。
数メートル離れたテレビを点けようとがリモコンで苦戦し始めたとき、
は不意に戻ってきてに声をかけた。
「そうだ、。お昼くらいにはくたびれたおじさんと黒いでっかい犬が来ると思うから、
来たら“そこの料理でも食べてなさい”って言っておいてくれる?」
「うんわかっ―――て、はぁ!?」
聞き流そうとしたは、思わずリモコンを放り投げてしまった。
ごとりと音がしたのにも構わず、は「おやすみー」と自室へ戻って行く。
くたびれたおじさんが誰かは分からないが、黒いでっかい犬には心当たりがあった。
ちょうど1年ほど前にも、その犬について同じような光景で言及されたのだ。
その時は『黒いでっかい犬が居ても近寄るな』だったが、今回は家に入れてもいいらしい。
というよりも、黒いでっかい犬がの予想通りなどだとしたら、くたびれたおじさんにも心当たりがあるではないか。
の脳裏にはツギハギのローブを着て、若白髪で、柔和な笑顔の人物が浮かび上がる。
いやいやちょっと待て。
それってアリなのか。
なぜなら彼らは――彼らのうちの1人は、指名手配犯なのである。
♪
はソファに寝転び、魔法学校の教科書を読み返しながらその時を待っていた。
1年の間に、教科書にある呪文からない呪文まで、ありとあらゆる呪文を練習した。
少しは魔女らしくなったかとも思うが、相変わらず家では完全にマグルの生活をしている。
復習しながら食べているのはマグルのスーパーで買ったアイスクリーム(業務用お得パック)だし、
生ぬるい風をの身体に吹き付けているのは電気で動く扇風機だ。
休暇中に魔法を使ってはいけないというのもあるが、この家にいると不思議と魔法を使おうとは思わない。
ただしもちろん魔法を使いたい気分になるときもある。
例えばうっかりグラスを割ってしまった時は、マグル式に接着剤で破片同士をくっつけるわけにはいかない。
それでも、魔法を使わざるを得ない状況以外は、特に魔法が必要だとは思わないのだ。
物を落としたなら、しゃがんで拾えばいい。料理が冷めたら、レンジを使えばいいじゃないか。
は本を閉じ、テレビをつけた。
はまだ起きてこない。お昼のニュースが始まる。
『――今日の最高気温は28度、前日に比べれば少し暑いくらいでしょう。
イングランド東部では夕方からにわか雨の予報がでています。ウェールズでは―――』
ピンポーン
き た 。
はがばっと身体を起こし、玄関へ向かった。
背伸びをして、覗き穴から来客を見る。
違うかもしれない、郵便かもしれない、お隣のアグネスおばさんかもしれない――
しかしその魚眼レンズから見えたのは、恐る恐る呼び鈴を観察している若白髪の人物だった。
急に音が鳴ったので驚いたのだろうと思い、はじれったいほど愉快な気分になった。
ついこの前までは先生だった彼と同一人物であるとは思えない姿だったのだ。
「ルーピン先生!」
は扉を開けて、古ぼけたシャツ姿のリーマス・ルーピンに飛びついた。
驚きながらも、彼はの身体を支えて「やあ久しぶりだね」と笑う。
「先生、元気でした?ちゃんと食べてますか?
お昼ごはん、ママがいーっぱい作って準備してあるんですよ!」
「が?それは嬉しいなあ」
「ちょっとつまみ食いしたんですけど、いつもより張り切ってる味付けなんです。
しょっぱくないし、野菜の大きさもちょうどいいし!」
は早口でしゃべりながら、リーマスを家の中へと引っ張って行こうとする。
彼は大きな荷物を片手に持ち替えながら「ちょっといいかな」とを制止した。
「あの――、から聞いているとは思うんだけど、
私だけじゃなくて……これ、も、居るんだ」
リーマスの背後から、こちらの機嫌を伺うように、黒い大きな犬がを見上げていた。
大人しくお座りの姿勢ではいるものの、辛抱できないというようにそわそわしている。
はリーマスにくっつきながらその犬を見て、くすりと笑った。
「―――おかえり、シリウス」
のその言葉に、犬は嬉しそうに「わん!」と吠えた。
尻尾を振りながら玄関に飛び込んでくるその姿に、実は中身がおっさんであろうとは誰が思うだろうか。
シリウスはを押し倒すかのように飛びついてくる。
これが人間の姿での行動だったら、ちらりと視界に入っただけでに瞬殺されていただろう。
リーマスは「やれやれ」と苦笑を零し、玄関の扉を閉めた。
♪
「コーニッシュ・パスティじゃないか!
こっちはナシゴレン…じゃないな、中華か?」
「チャーハンっていうんだって」
キッチンに通されたリーマスと(人の姿に戻った)シリウスは、
テーブルの上にラップをかけられてずらりと並んだ皿に目を丸くして驚いた。
先に驚きから復活したのはシリウスで、彼はラップの上から料理を突きながら感心した声を上げる。
リーマスもそのすぐ後には「豪華だねえ」と感嘆の声を漏らした。
は自分で作ったかのように胸を張り、料理の解説をする。
鍋には大量のスープだってあるのだ。
「チャーハン!やっぱり中華か。
作ったのはだろう?あいつ、よく憶えてたな…」
『どういう意味だろう?』と首を傾げるに、リーマスがこっそり耳打ちする。
(「シリウスは中華料理にハマッた時期があって、にもよく食べさせてたんだよ」)
(「へえーなるほど。だからママはチャイニーズレストラン好きなんだ」)
お腹がすいて我慢できない子供のようなシリウスだったが、
リーマスから昔話を聞いているのほうをくるりと振り向き、不思議そうな顔をした。
「は仕事か?」
「ううん、寝てる。3時間前くらいに二度寝するって言ってたからそろそろ起きてくるとは思うけど…」
シリウスは呆れた顔で「もう昼だぞ?」と言う。
だって時計くらい読めるので今が昼であることくらい当然分かっている。
そしてが仕事で疲れているのに3人分の昼食を用意しておいたことも分かっているので、
はシリウスの脛を軽く蹴っ飛ばすことで『ママの悪口言うな!』と抗議する。
シリウスは少し慌てたように「すまん、悪かった!」と言う。
リーマスはそんな光景を微笑ましく見守りながら口を開いた。
「許してあげてくれないかな、。
シリウスはただの顔が見たかったのにがっかりしたんだと思うよ」
「ふーん……じゃあママ起こしてきてよ。
せっかくだからみんなでお昼食べたほうが楽しいし」
「わたしはお皿温めておくから」と言い添えると、シリウスは数瞬視線を泳がせ、「わかった」と言う。
はレンジにパスティの皿を入れながら、彼の背中に向けて言った。
「2階の左!右はわたしの部屋だから入ったら怒るよ!」
「わ、わかった、任せろ」
はレンジのボタンを押して、溜息をついた。
リーマスは次の皿を両手に持っての隣にスタンバイし、くすくす笑う。
いまいち信用に欠けるのはシリウスが指名手配犯だからというわけではないはずだ。
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