「なんでそうやって、誰もわたしを怒ってくれないの」



5分にも5秒にも感じられた静寂のあと、はゆっくり喋り始めた。
伏せ気味の顔に、ゆるいウェーブをかけた髪がぱさりと掛かる。



を、守ってた?……そうね、守ってたんでしょうね。
 だけどその理由は、『あの子が居ないとわたしが生きていけないから』。
 『あの子に何かあったらわたしが悲しいから』……結局は、自分のためなのに、」



久々に戻ったホグワーツでは、ダンブルドアが「戻ってきてくれて安心した」と言い。
12年ぶりに再会したリーマスは、動揺しながらも「帰ってきてくれただけでいい」と言い。
真相を知る前のハリーは、がシリウスの恋人だったことを知っていても「ありがとう」と言い。

逃げ出した張本人であるがどれだけ謝りたいと思っても、誰もそうさせてくれなかった。
しかも謝罪を受け入れてもらえないのならまだ納得も出来ようが、
彼らはみな一様に彼女が謝るべきじゃないと言って取りあってくれないのだ。

ひとりで娘を育てるのは大変だっただろう、と。
苦境を乗り越えた彼女はなんと素晴らしいのだろう、と。
納得のいかない美化をされるくらいなら、いっそ軽蔑されたほうがどれだけ楽に思えたことか。



「わたしはちっとも良い母親なんかじゃないし、きれいな人間じゃない。
 ……そうやって勝手なイメージで話を進めるのは、グリフィンドールの悪い癖よ」

「……その見事な根暗思考っぷりはレイブンクローの悪い癖だがな」



は小さい声で「ほっといて」と反論したが、それだけだった。
シリウスの手の中から、今度こその白い手がするりと抜けていく。
その行き着く先は彼女の額で、は頭を抱えるように両腕を胸の高さに持ち上げた。



「……美化して見ているわけじゃない。
 お前は頑張ってたんだって分かるから、だからそう言ってるだけだ。
 は十分きれいな人間だ。あの子をあんなにまっすぐ育てたじゃないか」

「…………きれいじゃない」



聞きたくない、というように耳を塞ごうとするの腕を掴み、
小さいけれどしっかりた口調で、「そんなことない、きれいだ」とシリウスは言った。
彼女が自分でそれを受け入れられないなら、何度でも言い聞かせようと思った。
いつものように、「ほんと、わたしすごいでしょ?」と、笑い飛ばして欲しかった。



「―――それが“美化して見てる”ってことだって、なんで分かんないの!」



は顔を上げ、シリウスの肩を強く押した。
いくらか持ち直したとはいえアズカバンでやつれた身体は軽く、
が彼の腹の上に馬乗りになるのはあまりにも簡単だった。

「なにするんだ」と、文句を言おうとしたその瞬間。
さっきまで掴んでいたはずの白い腕が彼の喉仏に触れ、ぐっ、と力を入れた。
当然、気道が絞まり、声になるはずだった空気は途中で詰まってしまう。



「知らないでしょう、わたしがどれだけこの手を汚したのか、
 酒場にいたゴロツキを何人引っ掛けたのか、どれだけお酒に溺れてたのか!
 あんたを殺してやりたいと思ったことさえあるんだって、知らないでしょう?
 ねえ、知らないでしょう?これでもまだわたしがきれいな人間だなんて言える?」

「――っ、」



やばいな、と思いつつ、シリウスはの手首を捕まえた。
しかしそれを押し戻すのではなく、自身の喉を締めるように押さえつける。
はその力の入り具合に気付くと途端に怯えた顔になり、指の力を抜いた。



「―――っなら、今からでも、殺せば、いい!
 俺は、そうされても、仕方が無いことを、した」

「…………ちょっと…やだ、離して、」

「だから、お前になら、殺されても、いい。
 それでお前の、気が、済むなら……俺の代わりに、ピーターを追ってくれるなら、」

「ば、ばか言わないで!何よそれ!
 せっかく命拾いしたのに、子どもたちが頑張ったっていうのに、どうしてそんなこと言うの!」



怒鳴るように言い、はシリウスの手から自分の手を引き抜いた。
シリウスは軽く咽たあと、「ほらな、」と呟く。



「――ほらな、お前はちゃんと前を見てる。
 きれいだとかきれいじゃないとか、本当はそんなことはもう乗り越えて歩いてるんだ。
 俺やリーマスの手前、乗り越えてしまった自分は悪い、みたいに錯覚してるだけだろう」

「……………錯覚だとして、なにがいけないの。
 反省したから、だから謝りたいし、許されたい。なのに開き直れって?」

「開き直れとかじゃなくて―――ああもう、相変わらず頑固だな、お前は」



ようやく身体を起こし、シリウスはと向き合う。
は逃げ出しはしなかったものの目線は逸らしていて、
シリウスは「こっち見ろって」と言いながら、両手で彼女の顔をつかまえた。



「俺の所為でたくさん迷惑かけて、泣かせて、苦労ばっかかけて、ごめん。
 だけど、それにも負けないで生きててくれて、ありがとう。
 を産んでくれて、また俺を信じてくれて、ありがとう。
 のそういう強さが、俺は好きだ。だからもう無理すんな、バカ」

「………………ばかにばかって言われた…」

「被害妄想もそこまでいくとバカだろう。俺ややリーマスがお前を好きだと思うのは、
 “そうやって色んなことに悩まされて傷付いてきただからこそ”なんだ。
 お前が昔リーマスに言ったこと、そっくりそのまま返してくれって、あいつからの伝言だ」

「……………あなたたち、ばかでしょ」

「なんだ、今さら気付いたのか?」



は泣きそうなような、笑いそうなような顔をした。



「………じゃあ、これで最後にするから、そしたらもうゴチャゴチャ考えないから、
 だから最後に1回だけ、わたしの“被害妄想”、聞いてくれる?」

「俺はそれを聞くために来たんだ。当然だろ」



小さく頷き、はそのままシリウスのほうへ凭れ掛かった。
瞼を下ろして、どこから話したものかと考える。
シリウスの指が彼女の髪をいじるのを感じながら、
まるであの満月の夜の、束の間の再会みたいだと思った。















が生まれたのは6月の寒い朝でね、予定日よりかなり早かった。
 あんまりにも小さくて、すぐに保育器に入れられて、わたしはそれを見てるしか出来なかった。
 でも原因は、が居ることにも気付かずに身体を酷使したわたしにあるの。
 あの子はだから、何か障害が残るかもしれないって、さんざん医者に言われてた」


「うん」


「今でこそ元気なものだけど、小さいころは病院通いが止められない子で……
 それでもわたしは幸せだった。だけが支えだった。だけどある日、気付いたのよ。
 リリーとジェームズとハリーの毎日も、きっとこういう幸せに満ちてたんだろうな、って」


「……うん」


「なのにそれが唐突に壊されて、リリーたちはどれだけ悲しくて悔しかったんだろう。
 母親と別れなくちゃならなくなったハリーのことを思うと……
 ハリーの状況をに置き換えて考えてみたりすると涙が止まらなかった。
 『なんでこうなったんだろう?』って考えると、『シリウスのせいだ』としか考えられなくなって、
 だから…いっそリリーたちの無念さと同じだけの苦しみを味わわせながら殺してしまおうかと、思った」


「…………………」


「でも駄目だった。そんなことでわたしが逮捕されたらがひとりになってしまう。
 あの子はわたしが居なきゃ死んでしまうし、わたしもあの子が居なきゃ生きる気力なんて湧かない。
 そうやってわたしは、リリーのこともハリーのこともシリウスのことも全部忘れることにした。
 ちょうど、わたしを拾ってくれたマグルの仕事を手伝い始めた時期だったから、それに打ち込むことしたの」


「…………うん、」


「その頃からずっと―――今に至るまで、悪酔いすると絶対見る夢がある。
 ハロウィーンの事件のあとから“大嵐”の間までに、わたしが手にかけた魔法使いたちが出てくるの。
 『よくも殺しやがって』『命を何だと思ってる』『お前にとっての娘と同じで、死喰い人にも家族が居たのに』。
 ……謝っても謝っても彼らは許してくれないし、だからといってわたしを憑き殺しもしてくれない」


「うん」


「わたしに、母親になる資格なんて無かったのよ。
 こんな血塗れの手で、あんなに純真ないきものに触っていいわけがない。
 がわたしを母親として求めてくれたから、かろうじて堕ちきってはしまわなかっただけ」


「うん」


「だから怖い。いつかが『あんたみたいな人間は母親じゃない』って言うんじゃないか、って。
 ハリーが『どうして僕だけあんな所に放り込まれたんだ』って言ってくるんじゃないか、って。
 そしたらわたしはどうすればいい?どう謝ればいい?そもそもわたしは、許されて良いわけがない」


「……うん、」


「あなたのことも、それと同じ。…………わたしは怖いのよ。
 『どうして最初から信じてくれなかった』『そしたら12年も無駄にすることはなかったのに』って、
 いつか思わないとも言い切れない。今だってそういう気持ちが全く無い、わけでは無いかもしれない」


「…………んー…」


「リーマスやダンブルドア校長は『いまさら何の用だ』って思ってるかもしれない。
 ――それじゃ駄目なのよね。分かってる。分かってるんだけど、どうしても考えてしまう。
 だって、わたしの贖罪はきっと、一生この“声”を忘れないでいることだと思うから」


















敢えて簡潔な相槌しか打たなかったシリウスは、どうしたものかと考えた。
「過去のことはもう全部忘れてしまえ」と言うのには、の話は重すぎた。
正直、ただの被害妄想かと思っていたのだが、これはある種のトラウマに近いのかもしれない。

リーマスもあまり語ろうとしない『ハロウィーンの事件後からの3ヶ月間』は、こうも過酷だったのか。
彼の胸に額を寄せてぽつぽつと喋るが、急にか弱い存在に思えた。
あんなにも威風堂々としていた彼女を、ここまで打ち砕くほどの、悪夢。
それはきっと、彼が吸魂鬼に襲われかけたときに視えた記憶のようなものだろう。



「………ごめん。やっぱ俺、何も知らなかったんだな」

「いいの、もう。これはわたしが付けるケジメだから。
 ……さっきは八つ当たりして、ごめんなさい」



は大きく息を吸い込んだ。
いまのシリウスのシャツからは、家で使っている洗剤のにおいがする。



「被害妄想ばっかりして、八つ当たりして、ごめんなさい。
 12年前、信じようともしなくてごめんなさい。
 それでもわたしを許してくれて、のこと軽蔑しないでくれて、ありがとう。
 ……………生きててくれて、ほんとに、ほんとに、良かった」

「………ん、」



シリウスは随分と細くなったの身体を腕の中に閉じ込めながら、目を閉じた。
その言葉が聴けただけで、この家に来たが意味があったと、思う。
いまは何時だろう、いっそこのまま眠ってしまおうか。
朝になってが起きる前に起きないと、リーマスに怒られそうだ。





「ねえ。お願いだから、ずっとここに居てなんて言わないから、
 だから、どこかで勝手に、ひとりで野垂れ死んだり、しないで」

「……死なない。約束する」

「嘘ついたら、死体だろうがなんだろうが、容赦なく蹴ってやるんだからね、」

「それはいやだ」










大 人 の 大 反 省 会 
(あやまるよりも、いまこのときに、感謝、を)




















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