きっかけはくだらない言い争いだったと思う。
いつものようにくだらないことで喧嘩した。
いつもなら引くような所で引かなくて、今回の喧嘩は異様に長引いた。
その日はひどく忙しい日々の間に作られた会談の日だった。
これが終わってからもまだ仕事が残っていることを知っていたから俺は妙にイライラしていた。
だから、俺は叫んでしまったのだ。
「お前の顔なんて見たくねぇんだよ!消えろ!いなくなっちまえ!」
どうしてそんなことを叫んだのかは知らない。
けれども吐き捨てるようにそう言っていたのは確かだった。
その言葉が口から出た途端に彼の雰囲気が変わった。
目の前のふざけた顔から一瞬にして表情が消えた。
ただ俺だけを見てくる。
その視線が怖くて思わず逸らしてしまった。
いつもの軽口の一つだ。
会いたくない、なんて偶に言うではないか。
それなのに、今日のこの反応はなんなのだろう。
胸が騒いだ。
うるさいほどに心臓が高鳴った。
嫌な予感がする。
だからこそ、俺はその部屋を出ていこうとした。
扉に手を掛けた、その瞬間だったと思う。
大きな右手が俺の目を塞ぐ。
左手が急に腰に回ってきて温かな体が密着する。
なんだ、これは。
どういう状況でこうなった。
叫ぼうとして、言葉が落ちてきたのを耳が拾い上げる。
「本当に、嫌か?」
びくっと背がはねた。
滅多にない真剣な低い声。
きっとベットの中でもこんな声を出すことはないだろう。
そんな、声。
どくんどくんと心臓がうるさくて、体に感じる体温がなければ夢とでも思いたか
ったほど。
「嫌ならもう諦める。お前の前には現れないよ」
それが本当にできるはずなどない。
人間と違って何年も生き続けなくてはならない俺達にそれは無理な話だ。
俺達が会いたくないと思っても上司に言われれば会わなければいけない。
そう、わかっている。
今ここで認めたとして会わなくなるなんてありえない、と。
けれど認めて良いのか。
それを肯定しても良いのか。
「本気なら、俺は、」
その声は、長年一緒にいるけれど、初めて聞く類のものだ。
こんな弱々しい声、戦争で負けたときにすら聞いたことがない。
革命が起こったときも、戦争で負けたときも、財政破綻しそうだったときも。
いつだってお前はそんな弱々しい声を出さなかったじゃないか。
それが、何故今。
「ふ、らんす……」
「どうなんだ」
低い真剣な声。
その声に逃げられないのだと知った。
ごくりと息を飲む。
嫌いか好きかで言われたら好きではないという曖昧な部分に属する彼。
けれど、大嫌いで二度と会いたくないかと言われればそうではない。
昔からずっと知っている。
腐れ縁、と称するこの関係を気に入っているのは確かだった。
それは肌を重ねるようになっても同じ事。
付かず離れずのこの位置を好いていたのも事実。
なんと言えばいい。
どうすればいい。
俺は、なんと返事をすればこの気持ちを全て伝えられるのか。
「お、れは」
「選ぶのはお前だ。好きにしてくれていい」
それでお前を恨んだりなんかはしない。
彼は苦笑するようにそう言った。
ずるい、と頭の中に言葉が浮かんだ。
そうやって逃げ場所を作っておいてくれることが。
負担にならないようにとさりげない気遣いをしてくれるところが。
そんなところがどれだけ俺を助けてくれたのか。
思いきり振り返って彼に向き直る。
目元を覆っていた手が外れて光がいきなり視界に飛び込んでくる。
それと同時に目に入るのは金と青だ。
ふわりと風に揺れる金の髪と、少し驚いたように見開く青と。
「いぎ、」
「うるせぇよ。なにがなんだかわかんねぇことばっかり言いやがって……」
ぐいと襟を掴んで引き寄せた。
そのまま唇を合わせる。
何を言っても伝わらないなら、これが一番手っ取り早いと思った。
言葉では伝えきれない。
抱き締めるだけじゃ足りない。
全てを許すには素直になりきれないから。
大人とは思えない、ただ合わせるだけの子供のキスを。
「ふざけんな、馬鹿」
唇から離してそう呟いた。
ぎゅっと襟を掴んだまま顔を下げる。
目が熱くて、頬に流れる涙がうっとおしくて、見られたくなくて。
「わけわかんねぇよ、馬鹿……」
ぐっと手に力を入れた。
さっきより離れてしまった体温が寂しい。
けれど自分から手を伸ばすなんて恥ずかしくてできなかった。
すると、上から小さな笑いが降ってきた。
「そう、だよな。お前、馬鹿だもんな」
「て、めぇ……」
言葉に顔を上げると、目の前には笑顔の彼。
一瞬言葉を忘れて呆けている隙に、口付けられる。
先程の子供の物とは違う、大人のソレ。
呼吸を奪われて酸素を得ようとするのもむずかしいソレに新しい涙が流れる。
充分に堪能された後にようやく唇が離れる。
文句を言おうとして、やめた。
何故かその顔が笑っていて、しかも妙にすっきりとしていたから。
けれど、そんな俺を見て彼は大げさなほどに肩をすくめた。
「しっかし、お前がそこまで俺と離れたくないとはな」
「なっ!」
怒りで顔が真っ赤に染まる。
それを見て彼は嬉しそうに笑った。
前言撤回。
やっぱり文句を言ってやる!
「てめぇ、ふざけんな!」
「あ?そういうことだろ?」
「違う!いい方に解釈するな!死ね!!」
「いい方って何考えてるんだ?」
「っ!うるせぇ!このワイン野郎!!」



今はまだ、この距離のままで。
もう少しだけは。



Present from*香凪さま

BACK 
TOP NEXT