その日は、朝から風が吹いていた。
午後になり、だんだん風は強くなっていた。
夕日町応援団員田中一は、今日の鍵当番だった。
「(ガチャ、ガチャ)押忍!失礼します!」
誰もいない団室に入るのにも挨拶をする、真面目な田中ならではだ。
田中は今日を楽しみにしていた。
練習開始まであと1時間もあるのに、もう団室に来てしまったのだ。
「昨日は遅くなったから、急いで帰ったんだった。ちょっと、片付けでもしてよ。」
そうつぶやくと、落ちているお菓子の箱を手に取り、部屋隅のゴミ箱に捨てた。
「ゴミは、ゴミ箱にっと。」
と、その時団室のドアが開いた。
「あっ、早かっ・・・たん・・・、あれ?」
ドアの音に反応して振り向くと同時に話しかけたが、
そこに立っていたのは、田中の想像していた人物ではなかった。
「あれ?って、何だよ、俺が早く来ちゃ変か?」
よっぽど気の抜けた顔になっていたのだろう、
少しムッとした顔の夕日町応援団リーダーの一本木龍太が立っていた。
「押忍!い、いえ、変ではありません。」
「それにしちゃ、なんか引っかかる言い方だったぜ。」
「そんなことは・・・。」
一本木はいつもの椅子にだるそうに座った。
「ふ、ん。ま、いっか。
んで、何で田中はこんなに早いんだ?」
「今日は鍵当番なので。
一本木さんこそ、いつも遅刻ギリギリなのに、今日はどうされたんですか?」
田中は一本木の近くの椅子に座った。
「いつもギリギリはないだろ。ほら、今日、風が強いだろ?
こんな日は俺がセットした髪じゃあすぐ崩れんだよ。斉藤にやってもらうと、どんな風でも平気なんだぜ。」
一本木は「すげーよな、斉藤って。」といいながら、崩れかけた頭をグシャっと掻いた。
「はい、すごいです、斉藤さんは。」
そう返事をする田中は、なぜか誇らしく、そしてはにかんでいた。
ふと、一本木が田中の顔を見つめる。
「おい、田中。お前・・・。」
「な、何でしょう・・・?」
一本木に見つめられ、少し後ずさる田中。
その頃、金髪のモヒカンを強風から守りながら、鈴木一徹が団室の前にやってきた。
夕日町応援団の中でも、ひときわ目立つこの髪形は、鈴木の自慢のものだった。
「ちっきしょー、なんて風だ。せっかくのセットが台無しだぜ。」
急いで団室に入って、髪をいじりたかったが、ドアノブを握ったまま立ち竦んでしまった。
「・・・ぉおっ?」
中からは
「なあ、田中。やらせてくれよ、このとーり!」
「や、やですよ。絶対に嫌です!」
というやり取りの後、ガタガタと椅子の倒れる音がした。
「リーダーと田中か?あいつら、何やってんだよ・・・。」
鈴木はゴクッと音を立てて唾を飲み込み、ドアの前にそっと座り込んだ。
窓から覗いてみようかとも思ったが、それはどうかと思い、ドアに耳を当てて、中の様子を聞くことにした。
「おい、鈴木、そんなところで何やってんだ?」
買い物袋を提げた斉藤敦士が声を掛けた。
「シー、シー。大きな声を立てるなよ。」
鈴木は人差し指を口に当て、ささやき声で答えた。
斉藤は団室の買い置きのおやつを買って来ていた。
団員の練習後の空腹は、いつも斉藤の用意するもので満たされていたのだ。
鈴木が手招きをするので、買い物袋の音を立てないように、静かに隣に座った。
「それで、いったい何なんだ?」
鈴木のように小さな声で聞いてみた。
「この中にリーダーと田中が居るんだよ。」
「田中は今日、鍵当番だからな。リーダーは・・・、早いな、いつもより。」
「あ、鍵当番は田中だったのか。そっか、じゃ、それを狙ってリーダーは・・・。」
腕組みをして一人納得しモヒカンを揺らした。
「斉藤、ドアに耳を当ててみろよ。」
ニヤッと笑い、ドアを指差した。
斉藤が言われるまま、ドアに耳を当てた。
すると、
「ワー、やめてくださいぃぃ!(ガタン、ガタン)」
「いいじゃねーか、俺とお前の仲だろ。痛くないようにするからさ。」
「うわっ!!」
そんな会話がドアに耳を当てなくとも聞こえる様な大きな声で聞こえてきた。
「!?」
田中の叫び声に反応するかのように、斉藤は団室のドアを開けて叫んだ。
「田中!」
「お、おい、斉藤、邪魔すんなよ。」
鈴木の制止の声なんて聞こえていなかった。
団室の中では、田中が一本木にテーブルの上に押し倒されていた。
一本木は田中の上に跨り、膝で田中の両腕の動きを封じていた。
顔は右向きに押さえつけられており、一本木の右手は田中の頬を触っていた。
「斉藤さん!!!」
やっと助けが来たと、涙目の田中。
「何やってんだ!」
と斉藤が叫ぶと同時に一本木が叫んだ。
「隙ありぃぃぃ!」
プチッ
「いったーい!」
田中の声が団室内に響き渡った。
何が起こったのか、いや、この状況は何なのか、訳のわからない斉藤と鈴木。
「やっぱり痛かったじゃないですか。だから俺は言ったんですよ、これは触らないほうがいいって。」
田中がプンプン怒りながら体を起こした。
「すまん、悪かった。でも、そんなに抵抗してなかったら、痛くなかったと思うんだがな。」
乱れた髪の一本木は、両手を顔の前に合わせて謝っていた。
「どうやっても痛いんですよ。・・・・・・。あーーー、血も出てるー!」
左頬を触って、田中が叫んだ。
「斉藤さん、一本木さんったら酷いんですよ。俺は絶対に嫌だって言ったのに」
「二人で何やってたんだ・・・?」
田中の言葉を遮って、斉藤が訊ねた。
「何って・・・、なあ、田中。」
「なあって!一本木さんが俺のニキビを潰したんですよ、勝手に!」
一本木をキッと睨みながら言った。
「ニキビ・・・、ニキビ・・・、そうか、ニキビか。ハハハ!」
田中の言葉に斉藤は大笑いした。
「斉藤さん、笑い事じゃないんですよ、血まで出ちゃって、これ。」
「笑って悪かったな、田中。」
斉藤は田中の頭をポンと叩いて「後で薬を塗ってやろう。」と微笑んだ。
そして、一本木には
「ニキビは無理やり潰すものではありませんよ、リーダー。もう、こういうことは止めてください。」
と厳しい顔で注意した。
「わかったよ、そんな顔するなよ、斉藤。でもな、ニキビを見るとつい、なぁ。」
一本木は悪びれもせず、鈴木の顔を覗き込み、「お前はニキビねーの?」と、逃げる鈴木を追いかけていた。
「斉藤さん、すみません。」
斉藤は田中の頬に薬を塗ってやった。
「痕が残るとみっともないからな。・・・・・・よし。」
「ほんとだったら、今日はボタン付けを教わるはずだったのに。また別の日にお願いします。」
田中は立ち上がって、お辞儀をした。
「ああ、そうだな。今度からはニキビに気を付けておいたほうがいいな。」
この少年は自分が守ってやりたい、そう思う斉藤の顔は穏やかに微笑んでいた。
この後、斉藤は龍太の髪をセットしてあげるんです。
斉藤は器用なので。お裁縫も、お料理も、髪のセットも、なんでも来いの人なんです。
一ちゃんは斉藤にこういうことを時々教わっていたんですねー。
微笑ましいなぁ、団室の中で厳つい顔をした器用な男と真面目な坊主の少年がお裁縫講座をしてるなんて。
ゆっくりと、じっくりと、恋を進めていって欲しいな。