「魁ちゃん、ただいまー。」
神田が勢いよく、アパートのドアを開けた。
「遅くなっちゃった、ゴメンね。」
靴を脱いでいると、奥から百目鬼が
「お帰り、葵。」
と言いながら、玄関まで神田を出迎えに来た。
そう、ここは百目鬼の部屋。
今日は2人の記念日である。
2月14日、聖バレンタインデー、
3年前の今日、2人は始まったのだった。
夕日町応援団のチアガールズになって初めてのバレンタインデーに、
神田は百目鬼にチョコレートを渡した。
日頃お世話になっている団長へ、というわけではなく、
愛する男性、百目鬼魁へ。
返事は全く期待していなかった。
年齢もずいぶん離れているようだし、相手にされるわけない、
いや、団長にはもう彼女がいるかも・・・。
しかし、予想に反して、百目鬼から返ってきた言葉は
「俺も葵を愛している。」
というものだった。
厳つい顔をほころばせつつ、抱きついてきた神田に少し驚き、
そして、やさしく神田を包み返した。
2人でいる時の百目鬼は、応援中や団室での団長とは違い、
穏やかに笑い、神田の我儘も上手にかわしていた。
他の団員には特に秘密にしていたわけではないが、
わざわざ話すこともないだろうと、黙っていたのだが、
3月には団員全員が知っていた。
「そんなの、誰が見たって分かるわよ。」
と、アンナは得意気だった。
付き合い始めて3回目のバレンタインデーが近付いた頃、
「去年のバレンタインデーは、買ったチョコレートを団長にあげたの?」
練習が一通り終えたときに、雨宮がきいてきた。
「うん、そうだけど、どうしたの?」
「手作りチョコっていうのもいいらしいわよ、愛情が伝わるんだって。」
「へぇー、そうなの。手作りかぁ、葵にも出来るかなぁ?」
「本見て作れば出来るわよ。
だって、団長の部屋に行って手料理とか作ってんでしょ、このー。」
雨宮が肘で神田をつつく。
「ううん、まだ作ってあげたことないの。
でも、手作りチョコもいいかも。」
「うん、うん、今年は手作りチョコに決まりだね。」
「帰りに本屋に付き合って、お願ーい。」
神田は顔の前に両手を合わせ、にっこりと笑った。
もう明日はバレンタインデーという日、
「葵、チョコは美味く作れたの?」
チョコについて何も言ってこない神田を心配した雨宮がきいてきた。
「もっちろーん、と言いたいとこなんだけど、失敗続きでさ。
昨日、何とか作れたってとこ。」
「なんだ、よかった。葵ったら何も言わないんだもん、心配しちゃった。」
神田があっけらかんとしているので、雨宮もそう言って笑っていたが。
失敗続き・・・?
どうして?
あの本は確か『誰にでも出来る!初めてのバレンタインチョコ』ってタイトルで、
中身は板チョコを溶かして型に流してってことが、
一つの手順ごと写真付きでそれはそれは詳しく解説してあったはず。
どうやったら失敗するのか、雨宮には理解できなかった。
さて、当日になり、神田は早目に団室に来ると、
団員一人ひとりに手作りチョコを渡していた。
「いつもありがと。」
義理だと分かっていても、にっこりと笑いながら
かわいらしくラッピングされた小さな包みを渡されると悪い気はしない。
「へぇー、神田の手作りチョコかぁ、いっただきー。」
渡されたばかりのチョコを一本木が食べようとすると、
「何言ってんのよ、最初に食べるのは団長なんだから。
家に帰って食べなさいよ。」
と、腕組みをしている雨宮に睨まれていた。
ねー、と、チア3人は顔を合わせていた。
応援練習が終わり、神田と百目鬼は近くの公園を歩いていた。
「魁ちゃん、はい、チョコレート。」
百目鬼に渡された包みは、団員たちに渡されたものとは
大きさも、ラッピングの質も違っていた。
「今年はね葵の手作りなんだよ。がんばっちゃった。」
「葵の手作りかぁ、ありがとう。早速食べてみよう。」
2人は近くのベンチに座った。
大きな手で丁寧にリボンを解き、包みを開けると、
ちょっと不恰好な大きなハートのチョコレートが出てきた。
ガブリとかぶりつき、甘いチョコレート独特の香りが口の中に・・・・・・。
しなかったのだ。
あまり甘くないのは、ビターチョコを使ったのかもしれない、
しかし、そうはいっても、見た目はチョコレートだが、
いや、果たして、これはチョコなのか!?
「どう?魁ちゃん、美味しい?」
神田は目を輝かせて百目鬼の反応を待っている。
恋人の初めての手作りの食べ物に、まずいと言っていいものか、
百目鬼は考えに考えた。
「手作りらしいチョコだな。愛が詰まりすぎてるくらいだ。」
「ホント?葵の愛が詰まってるのが分かる?」
喜んでいる神田の顔を見ながら、そっと、チョコレートを箱に戻した。
「葵、今日は早く帰らなければいけないんだろ?」
「あ、そうだったー。もう、こんな日に早く帰って来いだなんて、
パパもママも娘の幸せを考えてよね。」
頬を膨らませながら、立ち上がった。
「そんな事言うもんじゃないぞ。これは帰ってゆっくり食べるよ。
葵、本当にありがとう。」
百目鬼の優しい笑顔に、神田も微笑み、じゃーねー、と去っていった。
翌日、団室では神田のチョコが話題になっていた。
神田が団室に入ると、雨宮が飛んできた。
「葵!あのチョコ何よ!どうやったらあんな味になるの!?」
皆、家に帰ってあのチョコレートを食べたらしい。
そして、殺人級の不味さに驚き、
葵、ゴメン、と呟きながら葬り去られたのだった。
小さいからと一口で食べてしまった一本木にいたっては、
今日は神田と口を聞く気はないらしい。
「え?あんな味って、愛情をいろいろと・・・。
本に書いてあったんだよ、“いろいろとアレンジしてもいいですね”って。」
そう答えられて、雨宮はどっと肩が重くなった。
「ねえ、味見ってしたの?」
「それがさぁ、葵の分までは足らなかったの。だから味見は出来なかったの。」
神田はきょとんとしている。
悪気は全くないのだ。
愛情をたっぷりとアレンジしたのだから。
「こんなこと聞くのも野暮なんだけどさ、
団長はその愛情たっぷりのチョコ食べたの?」
「うん、食べてたよ。葵の愛が詰まってるって言ってくれたよ。」
雨宮の問いに、満面の笑みで答える。
「斉藤ちゃーん、お願い、特訓して。団長とみんなの健康と幸せのために。」
もう、自分の手には負えないと、
離れたところで苦笑いをしながら聞いていた斉藤に泣き付いた。
「今年はね、斉藤ちゃんに教えてもらったチョコだよ。」
はい、と渡された包みは、去年ほど大きくはなかった。
「ありがとう、葵。」
百目鬼は包みを開け、チョコレートを眺めた。
「美味そうなチョコだな。」
「そうでしょ、そうでしょ。早く食べてみて。」
ニコニコと笑っている神田を目の前にしては、躊躇ってはいられない。
去年のとは違う、今年は斉藤仕込のチョコだ、
と自分に言い聞かせ、かぶりついた。
上品なチョコの味と香りが口に広がった。
「うん、美味い。腕を上げたなあ、葵。」
百目鬼に褒められ、上機嫌の神田。
「がんばっちゃったよー。斉藤ちゃんが言ってたの。
愛情は入れすぎると、よくないこともあるんだって。」
「そうなのか。」
「うん、でもね、去年のチョコ、魁ちゃん全部食べたでしょ、そう言ったとたん、
パパったら魁ちゃんちのお泊り、OKしてくれたんだよね。
だから、よくないことってなかったと思うんだけど。」
あのチョコが不味かったとは、誰も神田には言っていない。
誰も言えなかったのだ、百目鬼が完食してしまったのだから。
「そうだな。」
そう言い、優しく微笑んだ。
今年は2人とも心からの笑顔のバレンタイン。
明日は斉藤を褒めてやろう、
そして、こっそり用意していた胃薬は、葵の目に留まる前に処分しなくては、
そう、心の中で呟いた百目鬼だった。
全く駄目だったころの、と言うか、料理なんてやったことなかった頃の葵ちゃんの、
苦い体験と言うか、本人は全く気が付いていないという・・・。
団長は偉いんです。葵ちゃんを心から愛してるんです。
だから、どんなものでも食べられるんです、胃薬は準備しちゃったけどね。
やっぱり、ラブラブです、この2人は。