雲雀と名乗ったその人は、私のことをと呼んだ。眠りに落ちる前に聞いた声は夢だったんだろうか。優しげな声で、と呼んだ、あの声は夢だったんだろうか。と呼ぶ声は夢のように感じた声よりも優しげではなく、どこか寂しげに感じた。私が悲しいんじゃない。雲雀さんが悲しそうに聞こえたのだ。だから顔を見上げてみたら、そこには貼り付けたような無表情の顔があって、他人行儀に思えるその表情が今度は私を寂しくさせた。もしかして、嫌われているんだろうか。眠る前はとても優しく感じた。温かく感じたというのに、今は何も感じない。夢だったんだろうか、すべて。思い込みであったのなら、なんて恥ずかしい。夢だとすれば、どうしてあんな夢を見たんだろうか。この人に私は何か感情を抱いているんだろうか。心の内側がむずかゆいような、心地良いとは言いがたい気持ちになった。もどかしいというか、なんというか。変なの、私の心はぽっかりとどこかへ行っているような気がしたのに、この人の前だとくすぐられている感じだ。


すーっと、音もなく扉が開いた。自動扉だったんだろうか、扉がゆっくりと開いてすぐに男の人が見えた。両手はポケットにつっこまれていて、扉を開けた素振りはない。男の人は体を少し傾かせると扉の縁にもたれかかった。その目は鋭く、にらんでいるようだった。でもその視線は私に向けられているというには少しずれていて、どちらかというと、雲雀という人に向けられているようだった。雲雀さんのほうを見たら扉のとこにいる男の人を同じく鋭い目で見ていた。扉のところにいる男の人はちらりと一度私のほうを見て、また雲雀さんのほうに視線を戻してから口を開いた。


「何の、用?」
「交代だ」
「意味がわからない」
「十代目のご命令だよ。お前にゃ世話役は任せられねーと」
「話はさっき済ませたはずだよ」
「お前が一方的に終わらせたんだろうが」
「とにかくもう結論は出ている」
「ああ、お前がここを出て行くっていう結論がな」


二人の間に火花が散っているようだと思った。ばちばちっと本当に火花が散っていたらそれはそれで問題だけど、見えない言葉の争いが行われているように見えた。雲雀さんが顔をしかめて、さっきよりも鋭い目でにらみつける。えっと、二人をよく知らない私でもわかること。二人の仲が良いということは、きっとない。雲雀さんがぷいと視線をそらした。それを見て男の人はため息をついて、私のほうへ視線を向けた。二人の共通点は黒いスーツと、二人ともとてもかっこいいというところ。かっこいいの種類はちがうけれど、見つめられたら女の子はみんな赤くなってしまうんじゃないかってくらいかっこいい。私は赤くなる暇がなかった。だって、私の視界は急に真っ暗になったんだから。雲雀さんの手が私の目を覆っていた。


「君は嫌だ」
「誰なら良いってんだよ。あ?」
「誰でも嫌だ」
「命令だっつってんだろう。出ろ」
、目を開けたら怒るから」
「え、ひば」


私の額より下から手が退いて、思わず目を開けそうになった。私が雲雀さんと最後まで言い終えるのを待たずして、扉がすーっと開く音がした。わずかだけど扉が開閉するときに音がするみたいだ。目を使わずに耳だけに集中してみたらやっとわかった。でも、雲雀さんがいう言葉にそのまま従っている私って。怒られるのは嫌だけど、どうして怒られるのかもわからない。とりあえず、私はそのまま動けなくなってしまった。扉のところにいた男の人はどうしただろうか。雲雀さんと一緒に出て行ってしまったんだろうか。えっと、とりあえず目を開けてもいいだろうか。一人きりの部屋で目を閉じてびくびくしている自分を想像してみたら、なんだかとても間抜けで一人恥ずかしくなった。それでも目を開ける勇気が出ない。律儀に守る必要があるのかないのかはわからないけど、守っておくだけ損はない、よね?目を閉じてあれこれ考えていたら、大きなため息をつく声が聞こえた。な、なんだ人いたんじゃないか。扉のほうからカツカツと靴音が聞こえて、私の隣までくるとガタンと椅子に座るような大きな音が聞こえた。えっと、雲雀さん、だろうか。


「俺がわかるか」
「わ、わかりません」
「…初対面、だよな」
「え、あ、と」
「いや、考えなくていい。俺は獄寺隼人」
「獄寺、さん」


満足したように、ふんと鼻を鳴らす音が聞こえて、私は一瞬びくっとしてしまった。目を閉じていると相手の行動を耳でしか探れなくて、とても不便だ。目を閉じたまま、獄寺、さんがいると思われる方向へ顔を向けてみた。もちろん見えやしない。だけどなんとなく、そっぽを向いて話しているのは失礼な気がしてしまう。雲雀さんもおかしな命令をして去っていってしまったものだ。初対面の人とこんなふうに残されて、気まずいじゃないか。あ、でもこう考えると、雲雀さんも初対面なのにこんなに不安になることはなかった。私が目を閉じているからだろうか。おい、低い声で話しかけられて私はついびっくりして背筋が伸びてしまう。返事をしたら声が裏返って、とても恥ずかしかった。


「なに律儀に守ってんだ。目ぇ開けろよ」
「いや、でも、怒るって。雲雀さんが」
「野郎の言ったことなんて気にすんな」
「は、はぁ…」


そう言われたものの、少し迷う。お、怒られるだろうか。迷ってから、ゆっくりと目を開けてみたら、視界に白い光が入ってきた。白い壁はやたらと光を反射して、なんだかちかちかする。初めて獄寺さんと目が合った。そうしたら、仏頂面というかしかめっつらというか、とにかく無愛想そうな顔を急に崩して、困ったように笑った。そんな幼い顔も、できるんじゃないですか。さっきまで鋭い目でにらんだ顔しか見ていなかったから、そのギャップがさらにかっこよさを引き出していた。目を開けて、ちょっと得するものを見た。











20070405