長い、長い、道。歩く、歩く、僕。どこまでも続いているのではないかと錯覚するほど長いこの廊下は、歩きなれているはずなのに まったく知らない道を歩いているような、変な感覚。白い壁と白い床。僕の頭の中までも真っ白にさせるようだった。 実際、何も考えられない。ただ歩く。行く先は決まっている?かつんこつん、僕の靴音が響く。僕はどこへ向かっているんだろう。 その腕に世界で一番大切な女の子を抱えて。


「どこへ行くんですか、雲雀さん」


聞きたくない声だ。僕の鼓膜を震えさせ、僕の頭に響くその声は、頭が真っ白だった僕に急に現実を思い出させる。 壁にもたれかかっている男、綱吉はこちらを一度見て、また向かい側の壁をみつめた。いつの間にか僕は足を止めていて、 を抱える腕に力を入れていた。全部無意識。綱吉の前だと、僕はいつもうまくいかない。 綱吉が成長したことでファミリーの連中はさぞ喜んでいることだろうけど、僕からしてみれば、迷惑な話だ。 都合が悪い。こいつは苦手だ。なんでもかんでも見透かしてしまいそうなその、冷たい目が、嫌いだ。 ちがう、綱吉の目は冷たくなんかない。むしろ温かいくらいだ。それが、僕にしてみれば砂を吐きたくなるくらい甘くて、 煩わしい。何を考えているのかわからないその顔が、大嫌いだ。


「邪魔をするなら、殺してでも進む」
「俺を殺せますか」
「ああ」
「雲雀さん、あなたが死を望むのなら、俺が今ここで殺してあげたっていい。だけどちゃんはどうですか」


死ぬことを、望んでいるでしょうか。静かな廊下に響く声はどこか冷たく、身震いをしてしまうほどだった。全部、わかっているんじゃないか。これから僕がしようとしていること。 僕にはを生かしたという罪がある。僕がを生かしてしまったがために今は思い悩んでいて、つらく悲しい思いをしている。 これは全部僕の罪であり、罰を受けるべきである。罪への償いとは言わない。でも、そんなにつらいのなら、、僕が殺してあげる。 そして僕は自ら罰を下す。僕も死ぬから、もう寂しくない。一緒だよ。綱吉が口を開くのがわかる。聞きたくない。 逃げてしまえばいいのに。この広い廊下は、人が一人壁にもたれかかっているからといって僕が通れなくなるほど狭くはない。 むしろ全然余裕があるはずなのに、僕は足を止めて綱吉の横顔を見ているんだからおかしな話だ。今僕がここで綱吉の前を 通り過ぎて歩いていったって綱吉は追ってなんてこない。そんな、気がする。


「シェイクスピアを気取るつもりですか」


シェイクスピア。ロミオを気取るだって?結ばれない愛のために心中するっていう、くだらないあの喜劇の話かい? 僕たちは恋人でもなんでもない。少なくとも、の中ではそうじゃない。僕たちの愛を誰かが阻んだから死ぬんじゃない。 が望むから、僕が殺してあげるんだ。そしてのいない世界をうらんで僕も罪を受ける。ロミオとジュリエットよりも、 簡単な話だ。喜劇の中の喜劇だ。僕らはピエロ。神に踊らされる狂った道化師。この世界はひどくて冷たくて、にはつらすぎる 世の中だ。だから開放してあげなくちゃ、僕が、僕が。ごめんね、


「雲雀さん、少しだけ時間をもらえませんか」
「時間」
ちゃんが、目を覚まして、一番最初に何を言うか。それを聞いてから、心中するかを選んでみてはどうですか」
「一緒だよ」
「雲雀さんが決めていい」
「僕は」
ちゃんが一番に何を言ったか。それを聞いてもやはり死を選ぶというのなら、俺はもう止めませんし何も言いません」
「馬鹿馬鹿しい」
「そのチャンスももらえないのなら、今ここで俺があなたを殺します」


無理矢理な男だ。綱吉は普段こんな支離滅裂なことを言わない。つまり、それだけ切羽詰まっているということだろうか。 僕を、いや、を殺したくはないと考えているんだろうか。そのためにこんなわけのわからないことで時間を稼ごうと しているのか。聞いてやる義理はない。僕は僕の道を進めばいい。それなのに、最後の言葉でもう一度動けなくなってしまった。 綱吉の目は本気だ。ここで言うことを聞かなければ、首を横に振れば、次の瞬間僕は必ず殺されるだろう。 なんて強引な。綱吉のせいで、僕は、止まらなければならなくなった。


「あなたが思うほど、世界は残酷ではありませんよ。雲雀さん」


悲しそうに、寂しそうに微笑んだ綱吉の顔を、僕は一生忘れることはできないだろう。


本当は、そんなの全部言い訳なのかもしれない。僕が動けなくなったのは、僕の意思が揺らいだからだろう。 今でも戸惑っている。を殺すことを。くだらないと毒づきながら、本当はどこかでこのチャンスを信じてみたかったのかもしれない。 僕にを殺させるだって?あまり、自信がない。だからといって、が目を覚まして一番にいう言葉はもうわかっている。 僕の予想があたったら、もう僕は迷わないだろう。を殺してしまうだろう。が言う言葉は、こう。「お父さんとお母さんをかえして」 が今でも両親を夢見るのであれば、僕は躊躇することなく君を殺すことができる。君を両親と同じところへ送ってあげられる。 君が望むなら、僕はどんなことでもしよう。決意した。綱吉にはある意味感謝しなくてはならないのかもしれない。 を殺す戸惑いが少しずつ、薄れはじめている。


青白い顔で横たわるの姿は、死んでいる人間のようで少し頭がひんやりした。死んでいるんじゃないかと不安になるものの、 胸が微かに上下していることに安心したり。これから殺そうという人間の安否を心配していてどうする。自分の中で自分を笑ってみた。 に早く起きてほしいと思っているのかもしれない。に二度と起きてほしくないと願っているのかもしれない。 起きて、その声で言葉を聞いて、早く楽にしてやりたいと思っていると思う。 だけど起きて、が苦しそうに、つらそうに顔をゆがめるのを見たくないとも思っている。 この沈黙が、僕を追い詰める。


風がさわさわと窓から入り、カーテンを揺らす。が寝かせられたのはあの窓ひとつない小さな部屋ではない。 大きな窓のある病室を与えられた。十分に逃げられるこの空間。窓を飛び出せばたやすく逃げられてしまう。それを覚悟で この部屋を与えられたのか、それとも僕が逃げない自信があったのかはわからない。でも今はとりあえず、この部屋で あったことに感謝しよう。窓から入る風が僕にふれて、少しだけ気を落ち着かせることができている。 聞こえもしない、音がした。まぶたを開ける音。視線を窓からに戻すと、のまぶたは震えて今にも開きそうだった。 僕は息を呑む。


「ひばり、さ」


とろんとした、少し腫れた目でこっちを見つめる。目がだんだん潤ってきて、は顔をゆがめて涙を流した。 ほら、綱吉。結果は変わらなかった。僕と一緒にし


「助けてくれて、ありがとうございました」


僕が予想していたどの言葉にも当てはまらないその、一言は、僕の頭の中で何度も何度も繰り返される。 助けてくれて、ありがとうございました。生きていることに感謝する言葉。涙を流しながら苦笑するその姿は、もう、見えない。


「君はこの世界を、憎んではいないのか」
「愛しています」


もう、の顔は見えない。だって視界がぼんやりしている。頬に伝う何か。ああ、いつの間にか僕は泣いていて、それを認識する までに結構な時間を要した。大声出して笑いたいような気がした。でも、笑いたくないのは本当で。今はただ泣いていたい気持ちで いっぱいだ。なぜ泣いているのかとか、もうそんなこと全部わからないけど、この世界が愛おしく感じた。を生んで育て、 今僕の前で微笑むこの小さな女の子を生かしてくれたこの世界を。慈悲深いこの世界を。ああ、まったく綱吉の言うとおりだ。 世界はとても優しいよ。優しくて温かくて、だからこそ僕には居心地が悪かったんだ。残酷なのは僕のほうだ。 勝手な自己完結でを殺そうとした。望みもしないことをしようとした。止めてくれてありがとう。殺さなくてよかった。 殺さなかったから、は僕に感謝の言葉をつぶやいて、僕は涙を流している。泣いたのなんて、はじめてかもしれない。 はじめてかもなんて思うのは絶対におかしいはずなのに、人生のうち泣かないなんてことは絶対にありえないはずなのに、 僕は今生まれて、はじめて産声をあげる赤ん坊のような気持ちだった。とってもおかしな話だ。 生きていて、よかった。











20070415