廊下に等間隔に備え付けられた窓から外を見てみれば、小鳥が幸せそうにさえずり、地面に落ちた葉をつついている。雲は穏やかに流れ、 今日もとてもいい天気だ。洗濯物がよく乾きそうだ。こうやってみていると、やっぱり地下だなんて信じられなくて。雲雀さんの言って いたことが信じられなくなる。でも確かに、あのお屋敷からエレベーターで下ってきたのは確かで。窓のふちに手をつけて、ガラス越しに 空高くを見上げてみた。ここが地下だというのなら、空の上に地面が見えるような気がしたから。でも、やっぱりあるのは空で、やっぱり 地下だなんて思えなくて、どういうことなんだかさっぱりわからなかった。ここは地下?それとも、地上?


ただ空ばかり見上げているのにも飽きて、広い廊下の壁にもたれかかって、二人が出てくるのを待っていると、壁が細かく揺れて、雲雀さ んの部屋からどごんっていう鈍い音がして、とにかくびっくりした。ここの建物の中はどこも壁とか扉が厚くて、その壁が揺れて軋んだく らいの衝撃が、あったんだ。雲雀さんの部屋から。びっくりしてかけこむべきか、迷ってうろうろしていたら、二つか三つ隣の扉が突然開 いて、頭がぼさぼさでシャツのボタンが全開の獄寺さんが飛び出してきた。


「どうした!今の音」
「中から音がしたんですけど、あの、雲雀さんと骸さんが」
「あ!?骸だと…!」


獄寺さんの全開のシャツと首にぶら下がっただけのネクタイという格好に少し恥ずかしくなりながら、そんなこといってられないと自分 でも理解できていない説明をすると、獄寺さんは骸さんの名前に飛び上がった。そして険しい顔を見せたかと思うとすぐに雲雀さんの部屋 の扉に飛びついた。私が開けようか迷っていた扉を、躊躇なく一息に開けてしまう獄寺さんが大きく見えた。ノックもせずに開け放つと中 から白い煙のような、霧のようなものが廊下へ流れ込んできた。ひんやりとするその白いものにふれると、頭がふわっとした。でも、部屋 の中からどうして?目を凝らせば、トンファーを構えた雲雀さんと、優雅にソファに腰掛けている骸さんの姿が見えた。なに?白い霧が少 しずつ薄くなって、部屋の中が鮮明に見渡せるようになってきて、部屋の中の異常がひとつずつ目に見えてきた。壁にある大きなへこみ。 床が何ヶ所か抜けていて、ガラスのテーブルはひっくり返ってところどころにガラスが飛び散っていた。ひどい、ありさまだ。 おや、と響きのある声をだして、骸さんがゆっくりと立ち上がる。妖艶なその微笑みは、昨日の記憶を呼び戻させる。昨日よりは少ない 恐怖を小脇に抱えて私は部屋の中へ踏み入れた。


「おやおや、女性を待たせていることもお忘れでしたか?雲雀恭弥く」
「黙れ。殺すよ」
「先ほどから、君はその言葉を何度僕に吐きました?八度ですよ。聞き飽きるというものです」
「饒舌で馬鹿な男は、何度言ってもその意味をつかみきれていないようだ」
「殺したいのならお好きにどうぞ。殺せるものなら、僕を」


雲雀さんが顔をしかめたかと思えば、トンファーが振り上げられて骸さんにすばやくぶつけられた。と思ったら、骸さんはふっと白い煙 みたいなものになって、いなくなっていた。白い霧がまた少しだけ濃くなって、頭がまたふわっとした。なんだろ、これ。するりと肩を 伝うものがあって、服の上からだっていうのに素肌にふれたときみたいにひやっとして、魂をつかまれたみたいだと思った。冷や汗が驚く ほど急に、どっとふきだして、一瞬で動けなくなった。


「おやおや、顔色が悪いですよ。


なまえ、名前を、呼ばれた。とたんに体中から力が抜けて、意識が飛びそうになった。どうして?汗がとまらない。だけど冷たい。体中 が、頭のてっぺんからつま先まで、血が通ってないみたいに冷たい。こわいというよりも、言葉にできない感情だった。気持ち悪い、吐き気がする。悲しい、苦しい、 頭が真っ白になる。ああ、だめ、飛ぶ。ぶつん、と、テレビを消すみたいに意識が途絶えた。


頭が痛む。きんきん痛む。冷たい氷を頭に当てられているみたいだ。このまま死んでしまうんじゃないかと思うくらい、体中が冷えきって いて、とたんに泣きたくなった。だけどいつもみたいに目頭が熱くなることはなくて、いつまでも、どこもかしこも冷たくて痛いままだ った。そんな痛みもだんだん引いてきて、今は気を失っているはずなのに、夢の中でも気を失いそうだった。夢?夢より深い、深い、もの を見ているようだ。


見たものは、一番みたくない、思い出したくない、記憶の糸。ぐるんぐるんに回る車の中で、吐き気を感じている暇はない。耳をふさいで も聞こえる激しい銃声と、両親の、か細くなってしまった息。車の外は真っ白で、硝煙のにおいが満ち溢れたその場所は、地獄のようだ と思った。





ねえ、ねえ呼ばないで。やめて、やめてやめてやめて。名前を呼ばないで、お母さん、お母さん。謝らないで。何も言わないで。いかない で。お母さん、呼ばないで。私の名前を。真っ青なその顔は今まで一度も見たことがなくて、それでも微笑むお母さんの顔が、悲しくて、 こわくて。叫びたい衝動にかられるくせに、声がでなくて、全身から血の気が引いていく。たすけて、誰か。


手のひらがあったかくなって、その温度が全身にゆっくりゆっくりまわっていくのがわかる。なんだろう。手が、あったかいな。でもなん となくわかる、この温もり。こおってしまったみたいに固まっていたまぶたが動いて、まだ重いそれをゆっくり持ち上げた。薄暗い天井、 手は握られていて、視線を横に流してみると、雲雀さんが心配そうにこっちをのぞきこんでいた。いつも表情のつかみにくい、雲雀さんが わかりやすいくらい、心配している顔。雲雀さんの顔をみたとき、ほら、って思った。手を握ってくれている人、誰だかわかっていたよ。 雲雀さんだって。当たったことがうれしくて、雲雀さんが握っていてくれたということがうれしくて、自然と頬があがってしまう。私が 目を開けているのに気付いたのか、私の手を握る手の力が少し強くなった。





あ、なまえで呼んだ。なぜか嫌悪感を覚えることは、なかった。











20070627