「獄寺さん」


私が口を開いたら、くわえたストローがぽろりと落ちて地面まで真っ逆さま。あわててそれを拾っているうちに、獄寺さんは私の向かいに 腰掛けて煙草をふかしだす。目の下には隈、頭と衣服は崩れていて徹夜明けだと言わんばかりだ。ふわっと煙が風に誘われるように流れて いく。なんだか雲雀さんに似ているなと思った。流れが読めなくて、ふわふわ浮かんでいるようで。なんだか、私は雲雀さんのことばかり 考えている気がして少し気恥ずかしいのに、それが自然に思えて仕方ないのはなぜだろう。


「お久しぶり、ですね」
「そうだな」


会ってない期間はそんなに長くないというのに、何ヶ月もの間会っていなかったかのように懐かしく感じるのはなぜだろう。獄寺さん、そ ういえば前にわたし獄寺さんに聞いたことあったな。雲雀さんに彼女はいるのか、雲雀さんは結婚しているのか。結婚はしていない。彼女 は、今はいないと言った。あのときの「今」と、今日このときの「今」はちがう。今は、いるんだろうか。


「獄寺さん、前に言いましたよね。今は雲雀さんに彼女はいない。今は雲雀さんの片思いだって」
「あぁ…」
「どういう意味ですか?」
「…もうすぐわかるだろ」


胸がどきりとした。もうすぐ、わかる。それはどういう意味だろうか。もうすぐ雲雀さんが結婚されるからわかるだろうという意味だろう か。雲雀さんから、紹介される日がくるかもしれない。結婚相手を紹介されたら、私はどんな顔して向き合えばいいんだろう。どうって、 普通にすればいい。お世話になった雲雀さんが結婚して、幸せになるというのなら私は精一杯祝福すべきなのだろう。どうして、なんで こんなにも胸が苦しくなるんだろう。いつしか自分の中で、雲雀さんの結婚の話が確定してきている。雲雀さんは結婚してしまうんだと 思ってしまっている。だって、それ以外に考えられない。今のうちに覚悟しておかないと。覚悟って、なんのだろうか。ゆらゆら揺れる、 煙草の煙を見ていたら、 なんだか涙が浮かんできた。


「どんな、人ですか。雲雀さんの好きな人、は」


獄寺さんが難しそうな顔をして、わしゃわしゃと頭をかいた。煙草を灰皿に押し付けてふうっと吐き出した煙はあっという間に消えてしま った。どんな、どんなと繰り返す獄寺さんはこうしてみると、だいぶ若く見える。何歳くらいなんだろうな。いつもは大人っぽい顔をして いるくせに、こんなときはなんだか親近感を覚えてしまう。そっと目を伏せると、目がごろごろと痛んだ。


「いつも怪我してる、変な女だったよ」


ぷいと顔をそむける顔が、いつもに増して幼くみえた。いつも鈍感な私だけど、こんなときばかりは勘が働いてしまった。わかってしまっ た、獄寺さんは、獄寺さんはきっと。


「その人のことが、好きだったんですね」


ぴくりと目尻を震わせて、だけど何も言わない獄寺さんが、はじめて可愛くみえた。仏頂面して答えないのが何よりの証。好きだったの か、獄寺さん。なんだか大笑いしてしまいたくなった。泣きながら、笑って笑って全部わすれてしまいたくなった。


相変わらず、眠れなくて、冴えたままの目を閉じていることにも飽きて天井をぼんやりみつめてどのくらい経っただろうか。静かな寝室に は何の音もしない。雲雀さんの微かな寝息でさえ、今日は聞こえてこない。雲雀さんの結婚、どのくらいあとかな。式はどこかで挙げたり するんだろうか。私は、どうなるのかな。誰かちがう人の部屋にまわされるんだろうか。雲雀さんはここから出て行ってしまったりするん だろうか。寂しいな、寂しい?寂しいというよりも、悲しい。むなしい、切ない。胸がじくじくと痛む。悲しい感情ばかりがもやもや渦を 巻いて離れない。気持ち悪い。


「僕がいなくても、眠れるようにならなくちゃね」


小さくつぶやかれた言葉は、消えることなく私の耳に届いて、じーんと頭の中に繰り返されるその言葉の意味を理解するのに、少しかか った。僕が、いなくても。それは、もうすぐ一緒に眠れなくなるからという意味、ですか。雲雀さん、ひどいな。私をいくつだと思ってい るんですか。雲雀さんがいなくたってちゃんと眠れます。ちゃんとやっていけます。雲雀さんが結婚してしまったとしても、私は。結婚な んかしてほしくない。なんで、なんで言えなかったんだろう。その理由はとっくに知っていた。言葉を口に出してしまえば、どこかでその 事実を受け止めることになると思っていた。そして、雲雀さんがそれを認めてしまえばもう、逃げることなんてできない。ちがうかもとい う希望を得られない。希望?私は雲雀さんに結婚なんてしてほしくない。そう、だって、私は雲雀さんが、好きだから。好きなんだ。好 き、好き。今更、なんだ。気付いてしまった。私は雲雀さんが好きなんだ。気付けば涙がどうしようもなくあふれて、同じくらい好きだと いう気持ちがあふれているようで、私は後悔するしかなかった。どうして気付いてしまったんだ。どうして好きになんてなってしまったん だ。叶わない。こんなの、困らせるだけなのに。


「どうしたの」


驚いたように起き上がって、私をのぞきこんでくる雲雀さんの姿は涙でゆがんでよく見えない。雲雀さん、雲雀さんごめんなさい。でも、 でももう止められない。好きだと気付いてしまったら、それを止める術を私は知りません。ごめんなさい。でも、ただ、お願いです。嫌い にだけはならないで。雲雀さん、ごめんなさい。


「ひばりさん、けっこんしないで」


小さく小さく、呻くようにつぶやかれた声は、雲雀さんに届いてしまっただろうか。腕で目を覆うと、視界は真っ暗になってもう何も見え ない。ゆがんでいる雲雀さんの顔だって見えない。雲雀さんに聞こえていませんように。雲雀さんは優しいから、私の言葉を聞いて困って しまったらかわいそうだ。どうして素直に雲雀さんの幸せを願ってあげられないんだろう。大好きな雲雀さんが幸せだと思うのなら、それ でいいはずじゃないか。それなのに、どうして。好きだから、大好きだからこそ、だ。私はひどいやつだ。ずるいやつだ。醜い嫉妬やら 独占欲やらで、雲雀さんを、困らせることになる。


「結婚?」


不思議そうにつぶやかれた言葉に、私は思わず身構えた。どうして君がそれを知っているの。そう、続いたらどうしよう。どうして僕が 結婚することを知っているの。恐い、言わないで。聞きたくない。ぐっと歯を食いしばったら、涙がさっきよりもあふれてもう、とにかく かっこ悪い。もういやだ、逃げ出したい。そっと抱き寄せられたかと思えば、そのままぎゅっと温かいものが私を包む。何って、もちろん 雲雀さんで、私は驚いて思わず泣き止んでしまった。それでもまだ、雲雀さんの顔はゆがんでる。


「予定はないけど」
「で、も、指輪を、買いに」
「あれは仕事だよ。綱吉に新調するように言われて」


呆気に取られて、息をするのも忘れた。なのに嗚咽だけは止まってくれなくて、目を丸くしたままひっくひっくと震えている私はなんて かっこ悪いんだろう。じゃあ、結婚しないの?雲雀さんは、結婚しない。わかったとたん、また涙があふれかえってくる。止めなきゃと 思うのに、だめだと思うほど止まってくれない。雲雀さんにあきれられてしまうかもしれないと思うのに、それでも止まってくれない憎い 涙。すると、背中を控えめに撫ぜる手があった。そんなことをされたらいよいよ止まらなくて、私が泣き疲れてうつらうつらしだした頃に はもう空は白んでいた。それでも私が泣き止むまで背中を撫でる手を止めないでいてくれた雲雀さんの優しさを噛み締めて、自分を恥ずか しく思った。雲雀さん、今日もお仕事あるはずなのに、今からじゃまともに寝られないだろうに。私からボスに頼み込んで、今日くらい お仕事をなくしてもらうわけにはいかないんだろうか。薄らんでいく意識のなかで、ぼんやりそんなことを考えていると、やわらかく 微笑む声が聞こえた。


「じゃあ僕は、がいいよと言うまで結婚しない。約束するよ」


じゃあ雲雀さんは、一生独身になってしまうな。ぼんやりそう考えて、私は意識を手放した。











20070904