どうしてこんなことに、なってんだ。俺の前を軽い足取りで弾むように歩いている上機嫌な女を一瞥して、はあとため息をついた。空には星が瞬いて、嫌味なくらいいい雰囲気だ。って、俺なにを考えてんだ。こんな女といい雰囲気になったって、うれしくなんかねーだろ…。あーあ、逃げちまおうかな。こいつは俺の家知らねぇから、ここで俺を見失ったら絶対に俺の家なんてみつけられるはずがない。そうなりゃ今度こそ十代目の家にお世話になるなり、ほかの友達の家に行くなりすんだろ。…するのか?あんだけ怒って、もう顔も見たくないであろう俺に頼ろうと思うくらい十代目のお世話になることを拒んだ。これ以上の迷惑はかけられねぇと思ったんだろう。それをここへきて、俺を見失ったからといってはいそうですかと十代目のお宅に転がり込むようなやつにも思えねぇ。こいつの、十代目への従順さや信頼している気持ちは今日だけで十分に知ることができた。十代目のご迷惑になるくらいならいっそ野宿でもしようと思うんじゃないのか。今日転校してきたやつが、さっそく泊まりも許せる友達をつくっていたとは思えない。


こんなこと考えてっからだめなんだろうな、そう思うのにいまさらもう遅い。しょうがねぇなと心がこいつを受け入れる気満々だ。最近物騒だって言うしよ、女一人夜道を歩かせたり野宿させたりするわけにはいかねぇだろ。男としてもかっこ悪いし、何より俺自身心配でしょうがなくなると思う。こうなりゃいっそ、山本の家にでも乗り込むか。あ、でもあいつん家って親父と山本の二人暮しか。男三人と女が一つ屋根の下ってのも、どうなんだ。いや考えすぎかもしんねぇけど、どっちを選ぶべきなのか俺にはわからねぇ。だああ!もういい、好きにしやがれ。こうなりゃ面倒ごと全部引き受けてやらー!


「みてみて、獄寺さん!星がきれい!」
「おーい、上ばっか見てねぇで前みやがれ。電柱ぶつかっぞー」
「うおわあ!」


ほらみろ、言わんこっちゃねー。今日だけで何回頭ぶつけりゃ気が済むんだよ。そんなに強くぶつかっていないのに、今日屋上でぶつけたとこか雲雀に殴られたとこにあたったのか、額を押さえてその場に座り込んでいる。ほっといてその横を通り過ぎていくと、後ろから「ええ!お、置いてかないで!」という大きな声が聞こえてきて俺は今日何度目かのため息をついて立ち止まった。あえて振り返らずに、10秒からのカウントダウンを大きな声ではじめると、後ろからあせったようにかけてくる足音が聞こえてきた。俺は「ごー」という口の形を直して隣に並ぶ女に目をやると、へらっと笑って俺の顔を見返してくる。そんな笑顔に見惚れたのは一瞬だけだ。次の瞬間、女の頭からあごにかけて伝う赤い線にぎょっとして何も考えられなくなった。その線はまぎれもなく血で、たぶん雲雀に殴られたときにできた傷が開いたんだと思う。あほだ、こいつあほだ!


「ぎゃっ、血だ」
「ばっかやろー気をつけろ!」


もちろんハンカチなんてこじゃれたもん持ってなくて、手ぶらのこいつももちろん持っていそうにもなくて、きょとんとしている女の額に急いで自分のシャツの袖を当てた。額をシャツ越しに押さえてやりながら、少し高めなその体温が気になった。こいつ、もしかして熱あんじゃねーのか。汚れちゃいますよと言いながらあわてて俺の手をつかんで自分の額から離す女に目を細めると、それに抵抗してさらに強い力で額にシャツを押し付けてみた。なんだこの押し問答は。こんな公共の面前で、これじゃまるでばかみたいな恥ずかしいカップルじゃねぇか。ぼーっとしていたら、小さな悲鳴が聞こえ出した。


「い、いい、痛いです獄寺さん!あんまり強くしないで…!」
「!わ、悪い…!」


あわてて手を離すと、目に涙を浮かべた女が困ったように笑ってうなずいた。血はなんとか止まったみたいで、代わりに頬に残る血を今度はやさしくぬぐってやって、それから女の手を引いて歩き出した。ああ、なんだろう、変な気分になる。ぽわぽわしてふわふわして、とにかくあほみたいな効果音の似合うような気分だ。心がどこにあんのか、今ならわかる気がした。そこがぽかぽかしだすんだよ。握った手が熱いのは女に熱があるせいか、それとも別の理由があんのかわかんねぇ。でもなぜだか、離したくなくて、俺は戸惑っているであろう女を無視して手をひきながら前を歩き続けた。女は何も言わない。俺も何も、言わなかった。


自分の家へと続く一本道を歩きながらぼんやりと思い出したのは、今夜の夕食のことだった。もういい時間帯だ。なんか買ってくかと思い、途中にあったコンビニに入っていくと若い男の店員に白い目で見られた。そこでやっと、まだ手をつなぎっぱなしだったことに気付いて急いで離してひとり弁当のコーナーへ行くのに、女はなぜだかついてこなかった。弁当を選んでいる間にちらりとレジをみると、慌ててレジで会計を済ませている女をみつけて、なんで何にも言わねぇで勝手に買い物してんだよーと思ってかごに目をやって驚いた。下着やら歯ブラシやら、必要であろう物を俺に見つからないように急いで買っていたらしい。…そりゃ俺に声なんてかけられねぇわな。ぜんぜん気にしてなかったけど、そういや下着の替えなんて持ってるわけもないのか。見なかったことにして、適当な弁当を自分のかごに入れているとレジを済ませた女がちょこちょこ寄ってきて俺のかごをのぞきこんだ。


「え、お弁当?」
「んだよ、文句あんのか」
「栄養偏っちゃいますよ。作りましょうよ」
「お前つくれんのか?」
「いいですよ!お世話になるお礼にご飯は私が作ります」


冗談で言ったのにこいつは本気で飯を作ってくれるらしく、俺のかごの中から弁当を元の場所に戻してから、色んな材料をかごに詰めてレジへと急いでいた。コンビニって意外になんでもそろってるもんだな。感心しながら店を出て女を待つと、満面の笑顔で出てきて俺に手を差し出した。最初はなんだかわかんなくてその手に俺の持っていたコンビニの袋を乗せると不満そうな顔をしてそれを反対の手に持っていたコンビニ袋とあわせて持ち、また俺に手を差し出してくる。もう手に持つものなんて何もなくて、お手をするような要領でその小さな手の上に俺の手を乗せると正解!というように俺の手をぎゅっと握って前を歩き出した。ああ、これがしたかったのか。なんだかさっき自分がしたことをされて、急激にさっきの自分が恥ずかしく思えてきた。恥ずかしさを抑えるように口元に手をやると、女の手にぶら下がる大きなビニール袋二つが目に入った。


「おい」
「はーい」
「荷物よこせ」
「自分が渡したくせに」
「気が変わった。両方返せ」


俺はちゃんと両方って言ったのに、片方だけを俺に渡して満足したように鼻歌を歌いだした女に、もうこれ以上何も言えなかった。











20080210