あ、そういえばあんまり気にしてなかったけど、初めて男の子の家に泊まってしまった!と赤くなったのは一瞬だけで、十年後の世界では雲雀さんのお部屋にお邪魔していたんだからそうでもないかなと思って自分で自分を笑ってみる。それにしても、今朝はなぜだか獄寺さんの機嫌が悪かったな。顔が赤かったから、もしかしたら風邪をうつしちゃったのかもしれない。というかそもそも私は風邪なのかな?それともご飯、おいしくなかったとか。両親が家事なんてできる人ではなかったかわりに身についた料理やら掃除やらのスキルがこんなところで役に立つとは!と張り切っていたのに、相手の口に合わなくては意味がない。やっぱり、お邪魔になるんじゃなかったかなあ。獄寺さんのお布団も占領しちゃったし。あ、それも原因で怒ってるのかも。考え出したらきりがなさそうだ。このままおいてもらうってことは、やっぱり無理そうかな。ほかにどなたかの家に泊めてもらうのも、なんだか申し訳なく感じてくる。もういっそ野宿で過ごしてみようかな。今が冬じゃなくてよかった。さすがに寒い中で野宿は死んでしまいそうな気がするし。ふと、あとどのくらいここにいられるのかが頭をよぎった。私の目標ラインである雲雀さんとは出会うことができた。たとえば今未来へ戻ったとして、やはりどこか変化が生じてしまうんだろうか。でも私がこれ以上ここにいても雲雀さんをどうこうできるとも考えにくい。だって、私はあの人を前にしてしまうと切なくなって悲しくなって、涙をこらえるのに精一杯になってしまう。未来のあなたが恋しくて。わたし、これからどうすればいいのかな。


何かをしなくてはならない気がするのに、何をすればいいのかわからない。それって結局なにもわかってないってことじゃない。そう、私は何もわかってない。雲雀さんのことだって、何にも知らない。雲雀さん、この十年で何があったの?この十年であなたを変える大きな出来事が起きたの?私がその役目を担っていると考えるのは、自意識過剰だろうか。もし、ここにいられるのがほんのわずかな時間であるとすれば、私はこんなところでこんなことをしている場合ではないのでは?こんな、体育の授業をまじめに受けているなんて。いや、まじめというには語弊があるかな。持久走なのに、考え事をしながらたらたら走ってる。だからといって、何をすればいいのかもわからないのに授業を抜け出すのも気が引ける。真剣に考えなきゃいけないような、でも真剣に考えたって答えは出ないような。くあ、と大きな欠伸が出た。そういえば昨日の夜も眠れなかったな。保健室で寝てしまったせいもあるだろうけど、何より、何より雲雀さんの隣でないことを体も心も悲しんでいるんだ。うわ、なんかこんな言い方いやらしいかな。早く、早くあなたに会いたいです、雲雀さん。頭がふわふわして、呼吸が乱れる。久しぶりの持久走のせいかな。なんだかつら、い。


ひゅんという音がして、私の前をボールがすごい勢いで通り過ぎていった。ちょ、い、いま私の鼻の頭かすめた。思わずあとずさると反動でしりもちをついてしまった。危ないな!と思って飛んできた方向をみると、男子がサッカーをやっていたのか驚いたように獄寺さんに注目している。そしてその獄寺さんはというと、私のほうへずかずかとすごく怖い顔をしてせまってくる。間違いない、ボールこっちへわざと!蹴ったのこの人だ。私は逃げるのも忘れて、ぼんやりボールをなくして困っている男子のほうを見ていた。


「ばっかやろう!てめぇ、ちったー俺の言うこと聞きやがれ!」
「獄寺さんのばかあ!危ないじゃないですか!ね、ね、狙いましたね!」
「お前が悪いんだろうが!」


胸倉をつかまれてゆさゆさ揺さぶられると、コーヒーカップへ乗ったあとのような頭がぐらんぐらんする感じを体験した。なぜこんなにも獄寺さんが怒っているのかというと、昨日の夜に熱を出した私を心配してくださって今日は学校を休めと言ってくださったのに、私はその親切をお断りして家を出てきたわけです。そうしたら獄寺さんがしょうがないというように、「せめて体育の授業は休めよ」と私の頭をぽんぽんと叩いて言いました。それを私は守らなかったわけですが言わせてもらえば、あのとき私「はい」なんて言ってませんから!約束破ったうちには入らないもんね。だから私は悪くなくて、むしろボールを蹴った獄寺さんが悪いわけで。揺さぶられながらそんなことを考えていたら、鼻の先がひりひりと痛んだ。また怪我が増えちゃったじゃないか、獄寺さんのばか。わかってます、私が悪いの。獄寺さんは確実に私のことを心配してくださっている。わかっているのに、なぜだか反抗したくなる。あれ、もしかしてこれが世に言う反抗期?


女の子の驚くみたいな悲鳴とか、獄寺さんの緊迫したような顔が目に入ったと思ったらそこで頭ががくんと落ちてしまった。あれ、また力が入らない。するりと魂が体から抜け出すみたいに、私はしゅるんと意識を失ってしまった。最近のわたし、こんなんばっかり。


目を開ける前に、ああここは保健室なんだと理解した。消毒薬のにおいと、ちょっと硬いベッドに薄い布団の感触。昨日味わったばかりのものばかり。今は何時間目くらいだろう。そもそもどうして私は倒れてしまったのかな。熱はもう下がっているはずだし、怪我だってもう傷口がふさがっているはずだし。額に手をやったら、硬い布の感触がした。丁寧に包帯がまいてあるみたいだ。誰がやってくれたんだろう、先生?目を開けると、私の顔をのぞきこむひとつの顔をみつけた。驚いたのは一瞬だけ、しかも驚いた顔なんて絶対表面にはでないようにこらえてみた。私は自然とため息をついていた。


「あなたは、保健室に住んでいるんですか」
「ごめんだね」


雲雀さんが顔を引っ込めると、ベッドがぎいと軋んだ。どうして私の眠っているベッドに腰掛けているんだろう。どうしてこの人はここにいるんだろう。私は何度となくこの人に失礼な態度を取ってしまっているというのに。くるりと顔がゆっくり動いて私のほうをみると、無表情でただ口だけを動かす。


「傷自体は深くないのになかなか傷口がふさがらない。君は白血球が異常に少なかったりするの?」
「いえ。あれ、この包帯あなたがやってくださったんですか」


答えないし。でも、たぶんそうなんだろう。どうしてかはわからないけど、この包帯はこの人が巻いてくれて私のそばにずっとついてくれていた。どうして?そんな理由、あなたにはないはずなのに。わからなくて、理由はほかにもあるけどそれもわからなくて、涙が出そうになるのをこらえて顔をゆがめると鼻の辺りが引っ張られて変な感じがした。さわってみると、さっきボールが鼻を掠めたところに絆創膏が張ってある。荒々しい手つきで張られたのか所々しわくちゃになってしまっている。これ、雲雀さんがやったとは思えないかな。この人結構几帳面みたいだから。となると、獄寺さんがやってくださったんだろうか。そう考えるとなんだかちょっと笑えて、ますますあの人は変わらないなーなんて思ってしまったり。十年後の獄寺さんはもっと大人の余裕みたいなのがあったけど、この時代の獄寺さんはそれがまだないみたいなところがおもしろい。でも、根本的なところは変わってないんだ。山本さんなんてまるっきり変わってないし。人を安心させる笑顔とか、大きな手のぬくもり。変わらない。この時代は、ちゃんと未来につながっている。


「なに笑ってるの」


この人は、どうなんだろうか。ちがうちがうと決め付けてしまっている節はないだろうか。だって、私はまだこの時代の雲雀さんのことを何も知らない。それに十年後の雲雀さんと、まったく似ても似つかないというわけでもない。外面の話ではなく。だって、昨日今日知り合ったばかりの名前も知らない無礼な女の怪我を手当てしてくれた。自分が怪我をさせたということに責任を感じている?ううん、そういうことでこの包帯を丁寧に巻いてくれたわけじゃないと思う。ただ、なんとなくほっとけなくてとか、小汚いのが目に付いたからとかそんな理由だと思う。でもその中には確かにやさしさを感じて、そのどこか不器用な優しさが十年後の誰かさんと結びついて私は思わず、目に涙を浮かべた。











20080301