誰かが入ってきた。音がした。わからない。だって目の前は忙しなくぼやけて、ぼやけて、私の視界を狭めてしまう。雲雀さんが、何か言ったの。ちゃんと聞こえた。そう、私はいつもそうだ。ちがうんだとどれだけ頭で考えても同一化してしまう。今のあなたと10年前のあなたを。同一化して、どちらにもどうしようもなく甘えてしまう。ほかの誰でもないあなたにだけ、私のすべてをさらけ出して甘えてしまう。あなたがね、どうしようもなく好きなんです。こんなところで実感してどうする。10年前だろうと今だろうと、いつのあなただって変わらず私の好きなあなたで。あなたの前では全部が溢れ出てしまうんです。隠せない、隠せない隠せない。ごめんなさい。欲ばかりの私で、ごめんなさい。


急に力強く引かれる腕と、みょうに高い体温に私は涙をぬぐうのも忘れた。気付けば私は誰かに抱きしめられていた。誰か、なんていうのは野暮だ。あえて私が誰かといったのは、どこかでそれが雲雀さんだと期待してしまっていたからだ。でも私を抱きしめたのは雲雀さんなんかじゃなく、透き通るような色をした髪を持つ少年だった。獄寺、さん。ぎゅうと力強く抱かれて、なぜだか私の涙はすうっと引いていった。ゆったりゆったり、心が冷静になっていくのを感じる。それは自然なものではなく、上から押さえつけるような何か。


どれくらいそうしていたんだろう。私の嗚咽がようやく止まってくれたころ、獄寺さんはさっきよりも強い力で私を抱き、首でも絞められているかのような苦しそうな声を、出した。


「なんで、雲雀なんだ」
「ごくでら、さん…?」
「雲雀なんて、やめちまえ…!」


続きを言おうとしたのがわかった。すうっと息を吸い込む音がして私は何かを構えたのに続きは一向に出てくる様子がなくて、困惑した。獄寺さんはきっと、勘違いしているんだ。こんな場面を見せてしまったからきっと、きっと雲雀さんが私に何かして、それで私が泣いていると思っているんだ。でもね獄寺さん、ちがうんです。雲雀さんは何にも悪くなくて、むしろ悪いのは全部全部わたしなんです。家族はと聞かれて、両親のことが頭をよぎった。両親の死、そしてひとつの可能性。今は、ここは十年前の世界。両親が死んでしまう前の世界。今は生きている両親。もしかしたら、会えるのではないかと期待した未来。私の甘い考えをすべて雲雀さんに押し付けてしまった。雲雀さん、あきれたかな。困ったかな。私は何ひとつ謝ることができていない。迷惑ばかりかけている。雲雀さんにも、獄寺さんにも。


獄寺さんの背中にそっと腕を回して、小さくごめんなさいとつぶやくと、獄寺さんは泣いている人みたいにびくり肩を震わせた。驚いていると、獄寺さんが舌打ちをする音が聞こえて、今度は驚く暇もなく突き飛ばされた。突き飛ばされたというには語弊があるだろうか。今まで強く抱かれていた獄寺さんの腕が急に離されて、私はその反動でベッドに倒れこんでしまった。獄寺さんはというと、私を放したあとすぐに保健室を飛び出していってしまったようだ。獄寺さんの苦しそうな顔が、頭から離れなかった。


でも私がいつまでも感傷に浸っていることができなかったのは、突然獄寺さんと入れ替わるように登場したツナさんのせいというかおかげというか。とにかく突然保健室に入ってきたツナさんは、いつもなら私に何か声をかけてくるはずなのにそれをすることもせずに背後ばかりを気にしていた。たまらなくなって声をかけたのは、私のほうからだ。


「あ、あの、ツナさん…?」
「え、あ、ごめん!ちゃん!えっと調子どう?」
「もう大丈夫です!ご心配をおかけしました。それよりも、どうかしたんです?」


ツナさんのちらちら見ている保健室の扉のほうを見てもどこも変わった様子はない。私が不思議そうに首をかしげると、ツナさんは苦笑いをして何かを心配しているような顔をした。獄寺くんが、そう言っただけで、なんとなく状況は理解できたような気がした。あんな顔をした獄寺さんの顔見て、たぶんツナさんは心配しているんだ。そりゃそうか。獄寺さんのあの追い詰まったような、苦しそうな切なそうな顔。全部全部、私が悪いんです。いっそ誰か私を責めてくれたらと思うのに、あいにくにも私の周りには優しすぎる人ばかりで、私を叱ったり責めたりするような人はいない。それが良くも悪くも私を追い詰めて、結局自分で自分を責めるしかなくなる。私はいろんな人に、守られすぎているのかな。今だって、獄寺さんのことがたくさんたくさん気になっているくせに私のそばにいてくださるツナさん。ごめんなさいっていうタイミングを、逃してしまった。


「それよりもちゃん、今日の夜って暇かな?」
「とっても暇です」
「山本の店で、ちゃんの歓迎会をやろうって言ってるんだけど!」
「わ!歓迎会だなんて、そんな…!」


私が両手と頭をぶんぶん振って申し訳ないという意思を表現していると、ガラガラ扉の開く音がしてため息をつきながら山本さんが入ってきた。そして私が声をかける前にツナさんと目を合わせて、首を小さく横に振った。なんとなく、獄寺さんのことかなあって思って、私までため息をついてうつむきたくなってしまった。ごめんなさい。そんな私に気付いたのか、山本さんはいつもの笑顔でベッドに近づいてきて声をかけてくれる。あったかいなって、思うんです。


「調子どうだ?」
「ご心配おかけしました、もうすっかり!歓迎会のこと、聞きました。私なんかのために、そんな」
「まあ深く考えんなって!俺らは単に盛り上がりたいだけってとこあるし、な!ツナ」
「うん、だから遠慮とかせずに、やりたいなって思ってるんだけど」


思わずうるっときてしまって、ぐっと唇を噛み締めたら二人ともぎょっとしたように驚いて途端にあわてだすものだから、こっちこそ驚いて三人でおどおどしてしまって、最後には大笑い。私は幸せものだなと、つくづく感じた。幸せすぎるのが、怖いくらい。











20080323