は、普通の女だった。それはあの、折原臨也がつまらないという理由でマークを怠るほどの普通さだった。どんな人間にも、個性というものが存在する。人と足並みはずれるのが怖いと思う反面、人とは違った自分を愛するものである。しかし、彼女は絵に描いたように普通で、それはまるで漫画やゲームに出てくるような、モブキャラと呼ばれる存在そのものだった。 折原臨也が彼女に不気味なものを感じ取ったのは、高校3年生になってからだ。学校中の生徒の個人情報をまとめていた彼が、3年になるまでそれに気付かなかったのは、彼女の異常なまでの普通への執着から来るものだった。彼女の普通は徹底していた。容姿、持ち物まではいい。3年になるまでの2年間、すべての試験の、すべての科目の点数がちょうど平均点だったのである。偶然と呼ぶには数が多すぎた。なにせ、定期テストはもちろん、抜き打ちも含めた小テストや体育の50メートル走にしたって、何から何まで平均に沿っていたのだ。折原臨也は自身の顔が楽しそうに歪むのを感じながら、心に浮かんだ言葉を隠せずにいた。 「楽しみだなあ、楽しみだな楽しみだなあ!」 翌日から折原臨也の主な標的はに絞られた。観察してみると更に面白くないことがわかった。彼女の一日の行動は、何から何まで面白くないのだ。普通すぎる。個性というものがどこにも見受けられないのだ。言葉を変えると、他人と被っていない点がなさすぎるのである。持ち物は必ず誰かと被っており、しかしそれに気付く人間が一人もいなかったのは、被る生徒というのが全校生徒という単位であったためだ。そのくらいなら偶然で済ませてしまえそうだったが、彼女は例外だ。面白くなさすぎるのだ。それが、面白い。 しかし、彼女が唯一普通でない反応を見せたときがあった。それもほんの一瞬のことである。折原臨也がいつものように、平和島静雄にちょっかいをかけ、可愛い喧嘩をしている時だ。それを見る普通の生徒の反応といえば、自分は関わりたくない、というように顔を歪め、しかしどこかでその非日常を喜び、笑みを浮かべてしまうものだ。の反応もそれと同じであったが、一瞬だけ、その顔が崩れたのである。一瞬、その目からは何の感情も消え去り、冷え切った目で静雄を見下ろしていたのである。彼女が個性を見せた瞬間であった。 折原臨也が彼女との接触を決意したのは、3年の春のことだったが、それが叶ったのは7月に入ってだった。これは彼にとって、異常な事態であった。 「やっと、会えたね」 まるで離れ離れになっていた想い人に再会した、物語の主人公のようなセリフである。しかし実際の彼の顔には、それとは似ても似つかぬ凶悪な笑みが貼り付けられていた。普段の折原臨也ならば、ここでは人畜無害な笑みを装っていたはずである。なぜ今日に限ってそれを発揮しなかったかと言えば、必要がないと判断したためである。しかし理由はそれだけではなかった。3ヶ月ものお預けを喰らい、彼は人並みに怒っていたのである。更に言えば、そんな事態でさえ、彼は楽しんでいたのである。 「な、何ですか、わ、わ、わたし」 たまらない。折原臨也は思わず口にしてしまいそうになった。ここへきてまで、彼女は俺に普通を装うのである。あくまでも、普通の生徒がするような反応をつくって見せるのである。一貫したその態度に、折原臨也はある種の興奮を覚えてしまう。 「ああ、そういうの必要ないから。もうわかってるんでしょう?俺が君に接触してきたってことは」 「時間をとめます」 一瞬、誰が発した声かわからなかった。しかしこの教室には折原臨也としか存在していない。つまり、答えは明確だった。しかし、すぐその答えを導き出すことができなかった理由は、彼女の声があまりに普段とかけ離れていたためである。凛とした一言には、確かに個性や意思が含まれていた。 「勘違いしていただきたくないので訂正しますが、今回のこの接触はあなたの功績ではありません」 声にも表情にも、視線にさえ、なんの感情もこもっていないようだった。まるでロボットのように、起伏なく抑揚なく話すのである。これは本当に、俺の愛すべき『人間』か。思わず折原臨也が疑いたくなるほどに。 「この3ヶ月、あまりに鬱陶しかったので、今日は仕方なくあなたに接触されて差し上げることにしたんです」 「すごく、上から物を言うんだね」 それは折原臨也自身も気付いていることだった。この3ヶ月、徹底して自分を避けていた彼女のガードが、ある日突然緩んだのである。罠とも考えたが、この機を逃すにはあまりに3ヶ月が長く感じられた。 「じゃあなぜ、俺に接触したくなかったのかな?」 「『普通』の生徒はあなたと接触することはありません。あなたの興味をひくことなんて、ありえないのです」 「しかし、君は俺の興味をひいてしまった。俺に見つかった時点で君の負けだろう?」 「隠れていたわけではないので、負けた覚えはありませんが」 「じゃあ、どうやって俺を避けた?」 「あなたのその自意識過剰は改善すべきでしょう」 「否定はできないが、それは俺の実力に伴うものだ」 「世間ではそれを自意識過剰と言います。先ほどの答えがまだでしたね。そうですね、あなたにわかりやすく言わせていただくと、あなたよりも私の実力が上回っていたから、でしょうか」 彼女はあくまで人間だった。その発言の一つ一つに、対峙する人間に対する負の感情が込められていたためだ。この女は、俺に憤っているんだ。本気で鬱陶しいとさえ思っているのだろう。それはなぜか。理由は明確である。俺が『普通』ではないから。折原臨也は口角を上げた。 「あなたのそう言うところが、私をひどく苛つかせてくださいます」 折原臨也はポケットに忍ばせたナイフに手を伸ばした。 「あなたはひどく、『普通』ですよ」 彼の望むものは、なぜだか彼女の手の内にあった。まるで彼に見せびらかすように掲げたそれは、本来の主人を笑うかのように光に照らされてぎらぎらと輝いてみえた。 「あなたの持つ、情報でさえも、『誰か』が上回っているという可能性を、考えたことは?」 「確かにあるが、同じ高校生に期待したことはなかったかなあ」 一見して不利な場面でも、折原臨也の目は輝きを失うことはなかった。それは自身のナイフよりも、鋭く危ない光を宿して。 「期待、以上だよ」 彼と彼女の間を一歩で埋めると、すばやく顔を近づけた。それはまるで、キスをねだる恋人のようなしぐさだった。しかし彼女の表情は揺らがない。あくまでも無表情のまま、彼を視線のうちから外さない。 「君がそこまでして『普通』を愛するのはなぜだい?それはつまり、裏を返せば自分が普通じゃないと思っているからじゃないのかな。それはまるで、ロボットが人間になりたくて、心を求めてもがくようじゃないか。ああ、浅ましい。ロボットが人間様になれるわけないのにね。身の程をしれっての」 顔を歪めて、目の前で高笑いする彼はひどく滑稽だ。しかし、彼女の心には何も響かない。まるで、本当にロボットが人間を見つめているようだ。 「でも、気付いてた?そんな空想を思い描くのも、ただの、『普通』の、人間だってことにね。つまり、君もただの、普通の、つまらない、人間だってことさ。自分は他の人間とは違う、『普通』じゃない、だなんて、とんだ中二病じゃないか。君こそその自意識過剰を改善すべきじゃないかなあ」 これは、挑発だ。そして、彼女もそれに気付いていた。彼は彼女の無表情を崩し、そのうちに秘められた『何か』が見たかったのである。彼の予想はこうである。激情した彼女はその手にある、彼から奪ったナイフで切りつけてくる。彼はそれを華麗にかわし、そのまま去ればよかったのである。しかし、やはり彼女はいい意味で彼を裏切る。彼女はそんな彼の思考でさえも読んでいるかのように、手に持つ彼のナイフを丁寧に折りたたみ、柄の部分をこちらに向けて返してきたのである。 「お返しします」 「なぜ?」 「あなたがこんなものを持っていても、私には何の脅威にもなり得ません」 「じゃあ、どうして奪ったのさ」 「『お借り』したんです。そうしたほうが、私があなたを上回っていることを理解しやすいかと」 「お気遣い、どーも」 ここへきて、初めて人間らしい行動にでた。ため息をついたのである。無表情のまま、眉一つ動かさず。しかし面倒であるという雰囲気が伝わってくる。なんとも器用なものである。 「私がロボットだと言えば、信じてくださいますか」 「いいや?」 「それは残念です」 「君はロボットなんかじゃない。それなのになぜ、そんなふうに装っているんだい?」 「簡単に言えば、あなたに嫌われたいからです。私が『人間』である限り、無条件であなたは私を愛してくださるでしょう。それがひどく、嫌なのです」 これはまた、面白い。俺に対するこれが、の本性なのだと思っていたが、そうでもないらしい。彼女はこの姿でさえ、俺を偽っていたというのだ。俺に愛されたくないがために、俺の忌み嫌う『化け物』に成りすましていた、と。なんて、なんて愛おしいんだ。 「これだから、これだから『人間』を愛さずにはいられない!なんて面白いんだ!俺を喜ばせてくれるんだ!、たまらないよ!」 彼女は顔を歪ませた。初めて、ロボットのような、能面のような顔が崩れたのである。それをもちろん折原臨也は見逃さず、彼の機嫌は頂点まで達した。 「時間を戻します」 最後にそう告げると、彼女の顔は先ほどの、『普通』の顔に戻っていた。おびえるような影の灯った瞳に、彼はぞくぞくするのを止められなかった。彼女が態度を改めた意味はすぐにわかった。彼らのいる教室に沿う廊下に、一般生徒が通りかかったのである。彼女はあくまで、不運にも折原臨也に出くわしてしまった一般女子生徒を演じたかったのである。 「まあ、いいや。俺の用事は済んだし。大変楽しませてくれたことに、感謝の意を表したっていいくらいだ」 「い、う、は…」 そのどもるような吃音が、彼女の言いたい言葉の頭文字であることは、なぜかすぐに理解できた。「いらない、うるさい、早く行け」彼女はおびえた顔を浮かべながら、うちでは怒りの炎を燃やしているのである。ここで彼女の正体を他の生徒にあばいてしまってもいい。しかし、それでは俺の望む、楽しい結果は得られないだろう。彼女は徹底してこの姿を崩す気はない。ただ、俺はある一人の女子生徒を気まぐれに選び、虚言を吐いていると思われるのだろう。それに、彼女の実力を見てしまった今では、生徒に広める、という目論みからして成功しそうにない。ここは彼女の言うとおり、退いたほうがいいらしい。 「わかったよ。次はどんな君を見せてくれるのか、楽しみにしているよ。『普通』のさん」 彼女は小さく、横に首を振った。拒絶を示すそれは、折原臨也の心に、愛の告白をされたかのように響いていた。ああ、たまらない!たまらないよ! 普通の彼女 // 120321 |