その女は目立っていた。頭が赤かったり、身長がとても高かったりしたわけではない。身体的特徴という点には違いなかったのだが、彼女の格好はそのあたりを歩く若い女性と同じようなものだ。しかし、選ぶものひとつひとつが完璧すぎた。そしてそれらを身にまとう彼女の容姿が、完璧すぎたのだ。

可愛い、綺麗、美しい、どんな形容詞も当てはまるような、美女というには少し若い、美少女というには少し大人びた女性が立っていた。待ち合わせスポットとして有名なこの場所は多くの人が集まり、また多くの人が去っていく。そのほとんどの人間が彼女に思わず目を奪われるほど、彼女の存在は強烈に異質だった。数々の男の頭には、何かしらの関係を築きたいという考えが浮かんでいたが、あまりの上玉に近付くことさえためらわれた。そんな中でたった一人、彼女に近付く強者が。

「こんばんはー。待ち合わせかなんか?」

その男は、一般人にしては整った顔立ちをしていた。そんな顔に似合う明るい髪色、すらりとしたスタイル。彼は彼女と知り合いであったわけではない。ではなぜ彼が彼女に臆することなく話しかけることができたかと言えば、彼は自分の容姿に自信があったのだ。彼女は、自分ならば釣り合うと考えたのである。しかし、その様子を横目で見ていた周囲の人間はそうは思っていなかった。明らかに格がちがう。それに気付かぬナルシス男に怪訝な顔をしながら人々は彼女が放つ次を待った。

彼女、は薄く微笑んだ。見ている誰もが息を呑む瞬間である。小首をかしげる動作だけで、彼女を取り囲む周りの時間は止まり、さらりと零れ落ちた髪は、思わず人々の目を奪った。

「そうですね」

声までもが美しかった。透き通る声は彼女に気付かなかった通行人でさえも振り返らせる力があった。彼女の何もかもが嫌味でなく、もしも同性が彼女を妬んだ瞬間に自己嫌悪に駆られ、一生自分の顔が見られなくなりそうな魔力を秘めていた。

周囲の人間と同じように、ぽかんと口を開けて思わず見惚れていた男は、慌てて口を閉じると、頭の中で、いける!と拳を握った。彼のナンパ成功率はきわめて高かったが、それでも失敗はある。彼の顔さえ見ようともせず、無視して通り過ぎる女がいることに、彼は憤りを覚えていた。しかし彼女はちがう。しっかりとこちらに目を合わせ、あまつさえ微笑みさえ浮かべたのだ。彼は確信した。

「でもさ、俺ずっと君のこと見てたけど、結構な時間待ってない?そんな失礼なやつ放っておいて、ちょっとお茶でもしない?」
「うーん、でも」
「何だったらそのお友達も一緒にさ!おごるから!」

男は彼女の口から「誰を待っているか」を聞いてはいなかったが、頭の中でその相手は友人だと断定していた。彼女のように美しい女性の隣に並べる男など、俺より他に考えられないと思ったのである。そんな暴力のような自己中心的な考えを浮かべながら詰め寄る。うーん、と困ったように苦笑する彼女に見蕩れながら、彼の頭の中では、すでにこれから行く彼女とのデートプランを練っていた。でも、そう続けた彼女に彼は我に帰り、彼女に倣って小首を傾げてみた。

「危ない、かも」
「大丈夫だよ!お茶だけ、変なことは絶対にしないから!」

危ない、という彼女の言葉を、彼は「彼が彼女に対して」だと思ったのである。男は心の中でにやりと笑んだ。下心がないわけがないのだ。それを信じる女がバカなのであり、嘘とわかっていてついてくる女はもっとバカなのだと思っていた。しかし女が悪いのではない。自分の容姿では、ついてきてしまう女性を不憫に思いさえするのであった。しかし、彼女はちがった。彼女の「危ない」が孕む意味は、彼の考えとはまったく別のところにあった。その誤解は、案外早く解けることになる。

「へえ、じゃあ君は何の下心もなしに、金を払ってまで彼女を誘っているっていうのかい?それは一種の慈善活動?それとも金が有り余ってるのかな?どちらにしたって人を見下しているようにしかみえないよねえ」

この場所を訪れて、周囲の目を惹きはじめて、彼女は初めてその顔を崩した。正確には作ったと言ってもいい。彼女の先ほどまでの柔らかい笑みは姿をひそめ、今ではまるで能面のように、人形のように表情をかたくしている。まるで新たに現れたその男の存在すら感じたくないと言っているように。

その男は、細身の青年だった。黒を基調とした服装は一見不気味であるが、目立つばかりで妙に似合う。際立ったパーツがないせいか、すっきりとした印象を与える彼の顔もまた、整っていた。突然現れた彼、折原臨也に驚きながらも、男はまだ自分のほうが勝っているという根拠のない自信を浮かべていた。

「な、なに、お前」
「初対面の、しかも明らかに年上の俺に対して、お前呼ばわりする君に悪意を抱かないでもないが、彼女に声をかけた勇気に免じて、ここはあえて目を瞑ることにするよ。ああ、でも君にとってはそんなこと、勇気でもなんでもなかったみたいだけど。自分の容姿にそれだけ自信があるって、俺は悪いことだとは思わないよ。でも、君のしていることはどうかなあ」

とても、とても、楽しそうに、顔を歪ませる折原臨也に、わずかに眉をひそめると、彼女はため息と同時に顔を背けた。そんな彼女の様子でさえも楽しそうに見やると、彼は懐からある携帯を取り出した。派手なオレンジ色をしたそれは、彼の手にはやけに不釣合いに見えた。即座にそれが自分のものだとわかり、男は取り返そうと手を伸ばしたが、それが叶うことはなかった。

「えーと、なになに?エリちゃんにサヤカちゃんにミカちゃんに、すごいねえ!名前を全部読み上げるのが億劫になるほどの人数だよ!何股っていうんだろうね?でも、これに関しては何も言わないよ。何人愛そうが君の勝手だ。俺だって人間を愛しているからね!」

両手を広げ、狂っているかのようにそう声を張り上げ、3人はさっきとはちがう意味で目立つことになる。あまりに美しい容姿をもつ彼女でさえ、彼らの仲間だと思われ、歪んだ顔を向けられるほどに。ひとしきり笑うと、折原臨也は静かに、まるで内緒話をするかのように、彼の耳に口を寄せ、でもさあ、とつぶやいた。

「サヤカも、君と同じく、他に愛する人間がいるみたいだよ」
「は、あ…?」
「粟楠会ってわかるかな。あの組員らしいよー。こっわーい」

彼の頭の中で即座にサヤカという名の女が浮かぶ。派手な女だ。化粧の濃い。しかし、体の相性はまあまあよく、都合よく何度か呼び出していたが。あの女が、やくざの女、だと?一介の大学生であった彼の耳に、粟楠会の名前は刺激が強すぎた。即座に顔を真っ青に染めた彼は、目を泳がせながらも折原臨也を押しのけた。

「嘘つくんじゃねえよ!粟楠会の名前出しゃ俺がびびるとでも思ったのかよ。俺が、そんな」

そこまで言ったところで、折原臨也が持つ彼の電話がけたたましく音楽を奏で出した。それに驚いたのは彼だけで、ひいい、と後ずさり、その間に折原臨也は携帯を開いて画面を彼に見せた。そこには、知らない電話番号が表示されている。彼は恐る恐る携帯を受け取ると、息を呑んで通話ボタンに指をかけた。

「も、もしもし」

電話の相手が誰だったのか、内容はどんなものだったのか、知るものは当人だけである。しかし、口にせずともわかることもあるものだ。彼女はそんな当たり前のことを再確認しつつ、すぐさま携帯を放り出して逃げ去った彼のことを思った。長かった折原臨也の演説が終わり、彼女は一つため息をついた。

「だから危ないって言ったのに」
「あなたのことを言ったわけではなかったんですが、ね」
「うん、知ってる」
「わかっているなら、早くここを立ち去ることをオススメしますが」
「大丈夫、あと30分くらいは、ね」
「遅いと思ったら、あなたが足止めをしてくださっていたんですか」

彼女の待ち人とは、平和島静雄のことであった。呼び出したのは彼女。彼に用があり、彼の仕事終わりに待ち合わせをしていたはずなのだが、約束の時間を過ぎても彼が現れることはない。待ち時間でさえも彼女なりに楽しく過ごしていたつもりだったが、招かれざる客とはこのことだろう。彼女の嫌味な視線もまったく介すことなく、むしろ楽しそうに笑みを深くすると、「あ!」と、まるでたった今思い出したかのように一つの話を持ち出した。

「そう言えば、誘拐されたそうだね。大丈夫だった?」

彼は楽しそうに、楽しそうに顔を歪ませる。彼女は嫌そうに、嫌そうに顔を歪ませる。ことを望んだのだが、実際はその無表情を崩すことはなかった。

そう、彼女は先日誘拐未遂にあった。それは折原臨也から定期的に来る嫌がらせのひとつであったが、彼女にしてはめずらしく、事前にそのひとつに気付けなかったのである。普段であれば、撃退、もしくは回避できた彼女であったが、その日は体調不良に負け、実行することができず、まんまと彼らの車に連れ込まれてしまったのだ。そして誘拐犯らはまるで安いドラマのような展開で彼女を犯そうとし、命からがら逃げ出したのであった。もちろん未遂で済ませ、もちろん後日思い浮かぶだけの報復を彼らに与えたが。それでも思い返すだけで吐き気を催しそうだ。まんまと策にはまってしまった自分に。しかし、隙というものが自分に存在していたという新たな事実は彼女を喜ばせた。なんと、『普通』なのだ。

「まさか、君が処女だとは思わなかったよ」
「そうですか」
「いつか来る王子様のために、大切にとってあるわけ?」
「そういうわけでもありませんよ。私は人並みに、痛みを嫌悪しているだけです。それに、関心のない対象の肌に触れ、肌を触れられることも同じくらい嫌悪しているだけです」

高校3年の時に、俺に嫌がらせのためだけにキスをしたお前が言うのか。彼は心の中でそう毒づきながらも、内心では嬉しさに似た感情がわきあがるのを感じた。へえ、俺には関心があるんだ。

「まあ要約すると、『なんだか怖いし、好きな人じゃなきゃ嫌』ってとこかな。これじゃあまるで、『普通』の女の子みたいだ」
「私にも『普通』の要素が残っていたようで、安心しましたよ」
「じゃあこのへんで、『普通』に経験してみたら?一定の年齢を過ぎると処女なんて、欠陥ですって証明になるだけだと思うけど」
「そうですね、考えておきます」
「いつでも相談に乗るよ?」

今度こそ、彼女のきれいな顔を歪ませることができた。

「あなたにも人並みに、性欲なんてものがあったんですね」
「何せ俺は『普通』の人間だからね」

興味がないというように、顔を背けた彼女は懐から携帯を取り出した。彼女の手にした携帯を見た瞬間、折原臨也は警戒レベルを一気に最高まで引き上げた。真っ黒なその携帯は彼女の白い指に絡まり、絶妙な色合いを見せていた。そう、黒いのだ。彼女の持つ携帯は白であったはずだが。いや、情報を取り扱う彼女は携帯を複数持っており、彼も同じであったが、それでもメインの端末は決まっているものである。彼女のメイン端末は白、そして彼は黒であった。そして偶然にも、彼女の手にしている携帯と同じ機種であった。言うまでもない、彼女は先ほどの折原臨也を真似て、彼の携帯を知らぬ間に盗ってみせたのである。

「ああ、そろそろ来るようですよ。どうします?三人で食事でも?」

彼女は開いた携帯の画面を彼に見せつけ、何の裏もないような顔で微笑んだ。彼は額に冷や汗を浮かべながら、ポケットに忍ばせたナイフに手を伸ばした。ナイフは、あった。以前にナイフをいつの間にか盗られていたことがあり、それ以降彼女の前では常に持ち物には注意していたはずだが、それでも及ばなかったということか。笑みを浮かべながらも奥歯を噛み締めた折原臨也は、両手を広げて降参のポーズをとってみせた。

「わかったよ、そろそろ退散する。シズちゃんと顔つきあわせて食事なんて、死んでもいやだよ」

その前に席に着くことさえ叶わないだろう。二人の頭に同時に浮かんだその考えは、言葉になることはなかった。彼女は先ほどの笑みを浮かべながら、それは残念、と彼の携帯を元の持ち主に差し出してみせた。折原臨也は肩をすくめると、それを受け取ってすぐにポケットに突っ込んだ。

「さっきの話、考えておいてよ。月並みの言葉で申し訳ないけど、『優しくするよ』?」

それじゃあね、と片手をあげた彼に、彼女は挨拶を返すことはなかった。去り行く後姿を横目に見ながら、彼女はわずかに眉をひそめた。彼の情報収集能力は侮れない。それが自分より劣っているものであっても、である。どこまで知り、あんなことを言うのであろうか。いや、実際は何もかも偶然であるかもしれない。しかし、この街で起こる偶然の半分以上は彼が関わっているといっても過言ではない。彼女はため息をつく。なんだか出鼻をくじかれたような気分だ。それが目的だったのだろうか。それでも、と彼女は思う。これから来る人間に告げなければならない願いを思い出し、彼女はわずかに目を細めた。









サイケ光線 // 120330