!大変っス」
「あれ、おかえりまた子。帰るの明日だと思ってたのに」
「急いで帰ってきたんスよ!晋助様が、晋助様が…!」

血相変えて、そんなことをまた子が言うから私はとたんに真っ青にになって固まってしまった。最悪の状況が頭をかけめぐる。江戸でひと騒動起こしてくるから土産は何がいい、と聞いてきた最後に彼の顔を見た日を思い出し、思わず悲鳴を上げそうになった。うそ、嘘だ。いやだ、そんな、まさか!

「晋助様が風邪を引かれたんスよ!」

いやだ、晋助、晋助死なないで!頭がまわらなくて、また子の言葉がすんなり頭に入ってこない。晋助が、風邪。そんな、そんな。え、え?風邪って、かぜって。

「か、風邪?」
「そうっスよ!」
「ま、また子のばか!びっくり、したじゃない、か」

思わず涙が浮かんで、すぐに俯いた。恥ずかしい。一人で突っ走ったこと考えて、恥ずかしい。ああ、でもよかった、晋助はちゃんと生きてるんだ。そうか晋助が風邪を引いたから、急いで帰ってきたのか。なるほどそれならつじつまが合う。それにしてもお騒がせな人だな。着物の裾でこっそり涙を拭いて顔をあげると、今にも泣きそうなまた子の顔が目に入った。

「それで?そんなにひどいの?」
「わからないんス!誰にも看病させてくれないんスよ!」
「ああ、はいはい困った大将さんね」

誰も近づけまいとする晋助は容易に想像できて、思わず笑ってしまう。また子にこんなに心配されて、晋助は幸せものだ。そのくせ駄々こねて看病させないなんて、困った人だ。私が晋助の部屋に行くと伝えると、また子はまだ心配そうな顔をしていた。そんなに状態悪いのかな。晋助はお医者が嫌いだから、困ってしまう。これがひどい病だったらどうするというんだ。まあ、それはないか。風邪というのもこの時期ならばおかしいことではない。暑い時期からだんだん寒くなってくる頃、晋助はたいてい風邪を引く。あんな人が、意外に体が弱いだなんて、笑えてしまう。

「調子はどうですか、大将さん」

そう声をかけると、むくりと体を起こす影。ああ、本当にだるそうだ。頭に手をやる姿は弱々しくて、だけどこちらに向ける視線は鋭い。機嫌は最悪のようだ。気後れすることなく近づくと小さく咳が聞こえてきた。息が荒いようだ。苦しいだろうに。布団の横に腰掛けると、いまだに鋭い目を向ける男に目を向けた。

「どうせまた、薄着して出歩いていたんでしょう。江戸は冷えるからって言ったのに」
「るせェよ…」

肩に手を添えて支えながら横にすると、気だるそうにこちらを見上げてくる。暗くてよく見えないけど、瞳が潤んでかなり体力を消耗しているらしい。こんな状態のくせに、誰の看病も嫌がるなんてどこまで見栄っ張りで意地っ張りなのよ。馬鹿だなあと思いつつ額に手を乗せるとかなり熱い。私の手だってそんなに冷たいわけでもないのに、それでも熱く感じる。あとで嫌がろうがなんだろうが、お医者さんにきてもらわないと。

「何か食べた?栄養とらないと」
「いらねェ、何も食う気になれないんだよ。酒もってこいよ」
「馬鹿、治す気あるの?とりあえぜお粥でも作って」

とりあえず目に見えて衰弱している晋助をただ寝かせておくわけにはいかない。この様子だと風邪を引いてからだるくて何にも食べずにいたようだから、何か食べさせないと。このままじゃ治るものも治らない。お医者に診せるのは何か食べて眠らせたあとがいいだろうか。それとも食べる前のほうが。考えながら立ち上がろうとすると、ぐっと腕を引かれて晋助の胸の上に倒れこむ。どこにこんな力あるんだ!

、泣いたのか」
「ちょっと、だよ」
「寂しかったか?」
「それはどっかの誰かさんでしょう」
「ずいぶんと自意識過剰になったもんだな」
「しゃべる元気もないくせに」
「なァ、寒いんだよ。温めろ」
「めずらしい、今日はずいぶんと甘ったれね」
「斬られてェか」

私を抱く腕が熱い。やっぱり熱がそうとう高いんだ。そのくせに寒いという。このまま放っておけば、もしかしたら肺炎を起こしてしまう可能性もある。もっと悪ければほかの病気かもしれない。弱っているせいで甘えん坊になっているのかもしれないけど、今は私よりもお医者に甘えてもらわないと。晋助のことを、甘えん坊なんて思ったのははじめてかもしれない。そう思うと少し笑えてきて、だけど笑っている暇もない。甘やかして悪化させるわけにはいかない。甘やかすのはご飯を食べて薬を飲んでからだ。それからじゃないと私が安心できない。晋助、と声をかけようとしたら頬に手が添えられて、すぐに顔が迫ってくる。急いで晋助の口を手で覆って、口付けられそうになるのを阻止する。だめだ、息が荒くてつらそう。

「だめ」
「なんで」
「お医者に診てもらってからじゃないと、だめ」
「一度のキスくらいじゃ移らねェよ」
「別に私、晋助の風邪ならもらってもいいよ」

驚いた顔をしているうちに腕の中から抜け出して、ずいぶんとずり下がった布団を肩までかけてやる。頬が赤い。普通の風邪だといいけれど、早く治ってほしいものだ。馬鹿だな晋助は、本当に。自分の体が弱いってことをまだ認めないで、薄着でうろうろするからいけないのよ。江戸は何日か雨が続いていたようだし、それで体を冷やしたにちがいない。そんな晋助さえも愛おしく思って、頭を撫で付けると気持ち良いのか目を細めて見上げてくる。可愛い、猫みたいだ。

「お前、可愛いな」
「何を言われたって、お医者に診てもらいますから」
「わかった、大人しく医者の世話になるよ」
「早く私のために治してくださいな」

めずらしく優しく微笑んだかと思ったら、腕を伸ばして私の頬に手を添える。いつも冷たい手のひらが熱い。つらいだろうに。

、一回でいいから、キスさせろよ」

やんわりと、後頭部に力を入れられて、それだけで私は簡単に晋助のされるがままになってしまった。結局キスは一度じゃなくて、めずらしく息が荒い晋助はとても色っぽくて、ついつい変な気になりかけてしまった。早く、治ってほしい。


結局はただの風邪で、隊のみなさんは心配性ですねとお医者さんに笑われてしまった。




柔らかな呼応

20070720