(十一巻の第八十六訓「恋にマニュアルなんていらない」の直後のお話です!)








神楽が今日は新八の家に泊まると言い出したときは、ひそかにガッツポーズをとったものだ。表向きはどうでもいいような顔をしていたけど内心では、久しぶりにと二人きりになれることがうれしくて、駆け出しそうになるのを抑えたもんだ。浮かれていることがバレるのがなんとなく気恥ずかしくてわざと居酒屋に寄って一杯引っ掛けて帰ったんだ。今夜二人きりだとわかったら、は喜ぶだろうか。赤くなって固まっちまうかな。どっちを想像したって楽しそうだ。

「ただいまァ、銀さん帰ったぞー」

はじめに、おかしいぞと気付いたのは扉を開けてすぐだ。俺が中に声をかけても返事がなく、買い物にでも出かけてんのかと思って玄関を見ればちゃんと草履がそろえられていて、じゃあ寝てるのかと首を傾げた。まだ夜も浅いってのに、もう寝ちまうってことはないだろう。靴を脱いでわかるように足音立てて歩いても何の音も聞こえてこない。本当にどうしたんだ?居間をのぞけば電気もついていなくて、スイッチを入れるとソファに人影を見つけた。横になっているわけじゃない、腰掛けて頬杖をついている女の姿。電気がつくとすぐにびくっと肩を震わせてこっちに目をやる。眠っていたわけではなさそうだけど、よっぽどの考え事をしていたのか?は驚いた顔をしてこっちを見ている。

「あ、お、おかえりなさい。気付かなかった」
「あァ、なんか考え事か?」

さっきまで浮かんでいた気持ちがどんどん沈んでいく。の様子が明らかにおかしくて、笑顔がおかしい。俺が帰ってきたときはいつも嬉しそうに笑ってくれるくせに、今日はなんで。は小さく首を横に振って立ち上がる。いつもの背中が小さく見えるのはなぜだろう。

「神楽、今日は新八のとこ泊まるって」
「うん、さっき電話あったよ。てっきり銀ちゃんもかと…」

そこまで言って、の表情がにごった。どうしたってんだ。今の会話のどこに暗くなる要素があった?神楽がいないことがショックってわけでもないだろう。今までだって何度もあったことだし。わからねェ、わからねェけどどうしたらいいのかもわかんねェし。

「銀ちゃん、ご飯は?」
「あァ、食ってきた」
「お妙ちゃんの、とこで…?」
「ちがう、けど」

なんで、なんでそんな顔する。今にも泣きそうな顔を見ていたらついに耐え切れなくなって、を抱きしめた。弱々しく笑うの姿が見ていられなくて、考える間もなく手が出た。それから、どうしたんだよと聞こうと思ったのに、最初の一文字だって口にすることはなく、腕からすり抜けるの小さな体。拒絶、された?なんで、こんなのはじめてだ。に拒絶されることなんてはじめてで、それがひどくショックでたまらない。呆然としていたら、のほうが驚いた顔をしていた。わけが、わからない。

「あ、の、ごめんな、さい…」

最悪な結果ばかりが頭に浮かんで、俺はまったく動けなくなってしまった。は俯いてこっちを向いてくれない。これは、これはどういう状況だ。ぐ、と歯を食いしばっての肩につかみかかった。できるだけ穏やかにと思うのに、心と裏腹に体は力ばかりが入ってしょうがない。細い肩をつかむ腕に力が入る。ごめん、ごめん。心の中でつぶやいて、できるだけ穏やかに声を出す。

「何が、あったんだよ」
「なにも」
「じゃあなんでこんな…!」

穏やかにと言うくせに、俺は全然穏やかになんてなれない。乱れっぱなしの心はぐらぐら揺れて今にも倒れてしまいそうだ。

「ぎん、ちゃん、嘘つかないって約束、して」

の声は涙声だった。それがとても切なくて、俺まで泣けてきそうなくらいで。ぎゅうと心臓をわしづかみにされている気分だった。肩に置いた手をの頬に添えると、びくっと震える。もし、もしを悩ます原因が俺なのだとしたら、今は自分自身を殺してしまったっていいくらいだ。俺は、何をした。

「私のこと、もう、きらい、ですか」
「んなわけないでしょ」
「じゃ、あ、ほかにも好きな人、が、できた、とか」
「俺はだけが好きですけど」

そういったら、の嗚咽が大きくなって肩が震えだす。当たり前のことをいっているだけなのに、その言葉にが逆に苦しんでいるように見えるのは気のせいだろうか。この反応は喜んでいるわけじゃないように感じるのは、俺だけだろうか。

「ぎんちゃんの、うそつき…!」

は座り込んで、むせ返りそうなくらいに泣き出している。堰を切ったかのように泣き続けている。俺、今いつ嘘ついたよ。もどかしい気持ちが蓄積しすぎて怒りに変わってきた。何をどうすりゃいいんだよ。このままじゃ、が俺の元を離れていっちまう気がして、怖くて。気付けば、なんでだよと大きな声を張り上げていた。ちがう、ちがうもっと優しくしたいのに。

「ぎんちゃん、今日ほかの女の人と」
「なに」
「ら、ら、ラブホテル、いったって…!」

頭が真っ白になった。いつ、いつ。ラブホテルって、お前。いつだよ、あ。

「ち、ちがう聞け!あれは新八が…!」
「いやだ離して聞きたくない!やだやだ!」

弁解しようとするとは耳を塞いで丸まって、震えてしまっている。さっきよりも激しく泣き出したを止める方法なんてしらなくて、あれは誤解だと言いたいのに、震えているを見ているとかわいそうになってきてしょうがなかった。そんな誤解して、不安になって、だけど浮気したんでしょう!なんて責めることもせず、ただ黙って知らないふりしようとしてくれてたのか。それがお前なりの優しさなんだろうけど、それで自分を壊して、どうするよ。なんで、なんでこんな。こんなときになんだけど、可愛くてしょうがなくて。愛しくてしょうがなくて。だからこそなんとかして早く誤解を解いてやりたいのに、拒絶されたショックで俺は戸惑うばかりだ。


「い、いや、いやだ別れたく、ない、よぉ…」

嗚咽混じりに、小さくつぶやかれた言葉が、愛おしい。俺が浮気したって、別れたくないって思ってくれるのか。いや、浮気なんてしてねェけどさ。自惚れても、いいですか。が俺のことを本気で、どうしようもないくらいに好きだと思っていてくれるって、自惚れても。腕を伸ばしてできるだけ優しく抱きしめると、今度はやんわり拒絶された。負けじと強めに抱いて意地でも離れるもんかとしていると、 はそのうち大人しくなって、黙って俺に抱かれていてくれた。優しく、優しくしたい。

、聞いて」
「う、ぐ、いや、だ」
「いいから」

また耳を塞ごうとする手をつかんで押さえると、おびえた目で見上げられる。俺が、お前を捨てるとでも思ってるんだろうか。

、俺だって別れるつもりないし、今日のことだってありゃ仕事だ。お妙とは何にもしてねェよ」
「う、そ…」
「お前っていう可愛い女がいるのに、なんでほかの女とホテルなんざ行かなきゃならねェんだよ」
「わ、わた、しに飽きて、とか」
「ばーか、銀さん怒るぞー」

痛くないように頭を小突くと、はまた目に涙を浮かべて泣き出しそうな顔をしている。

「ぎんちゃん、しんじて、いいの…?」
「銀さんほど信用できる色男ほかにいないっての」
「色男って」

やっと、笑ってくれた。噴き出すように笑って、同時に涙もぽろりとこぼれる。やっぱり笑顔のお前のほうが可愛いよ。口に出そうと思ったのに、なんだか気恥ずかしくて言えなかった。それでもまだ、切なくなるのは涙を見ているからだろうか。早く泣き止めよ。せっかくの可愛い顔が腫れちまって、なんだかかわいそうだ。指で涙をすくってやると、今度はおびえてない目で見上げられた。ゆっくりと微笑んで、俺を魅了する。どうやって浮気しろってんだよ。お前以外目に入らねェのに。

だけだよ」
「わたし、だって」

どちらからともなく、口付けを交わす。





確かな愛は

20070721