晋助という人は、とても気まぐれな猫のようだとよく思う。サーという細かい音が聞こえて外を見れば、雨が降っていた。窓際に座って、 頬杖ついて雨空を見上げてみた。雨なら、今日は絶対来ないな。晋助が雨の日にうちに来ることはない。やつは本当に猫のような人で、雨 をとても嫌う。いつも色んな自分の女のところを気分で回っていて、いつ自分のところへ来るかがわからない人だから、普段ならいつ来る いつ来ると寂しい気持ちをおさえるのだけど、今日のように絶対に来ないとわかっている日だとどうしてだか気分が楽になる。来るかと 期待して来なかったときの失望感を抱くより、最初からあきらめていたほうが気が楽だからか。

今日は晋助の誕生日。晋助は自分の誕生日には、一番好きな女のところに行く、らしい。女の前で別の女の話をする馬鹿男、あいつくらい ではないかな。それに耐えて付き合い続ける私もそうとうな馬鹿だろうけど。とにかく、晋助が今日誰のところに行くのか気になってい た。というか、自分のところに来てくれるんじゃないかと期待する自分がいて、なんだか切ない気持ちになる。期待する分あの人はうちに 来なくて、もういいやあきらめようかというときにふらっと現れるから困ったものだ。あきらめがつきそうで、つかせてもらえない。だか らしょうがなく好きで、あきらめられない。今日はこの雨で、もう誰のところにも行かないかな。これはこれで少し安心。自分のところに きてもらえなかったときの失望というのは、普段の比じゃないだろうから。

「お誕生日おめでとう、晋助」

空につぶやいた言葉は、そっと雨音がかきけしてくれた。

にゃお、猫の鳴き声が聞こえた気がした。台所で夕食をつくっているころで、雨音に混じって外からそんな声が聞こえた。野良猫でもいる のかな。今日は雨だから、外にはいたくないだろうに。雨が降っているうちは中にいれてやろうかな。そう思って、夕食を作る手を止めて 玄関のほうをのぞいてみた。雨宿りでもしているんだろうか。引き戸を開けて周りを見回しても、猫を見つけることはできなかった。とい うか、途中で猫の姿を探すのをやめてしまった。だって猫よりも、驚く人がそこにいたんだから。

「よォ、雨宿りさせてくれよ」

人の家の玄関戸にもたれかかって、何をしているんだ。屋根があるとはいっても気休め程度で、雨が入る場所なのに。どうしてすんなり 入って来ないの。私が出てこなかったら、こうして待っているつもりだったんだろうか。煙管を銜えて薄笑いを浮かべている。その顔は どこか青ざめて見えるのは気のせいだろうか。雨、苦手なくせに。何にも答えないで、ただ晋助の頬に手を当てると、少し不思議そうな顔 をされた。冷たい。どれだけここにいたんだろうか。降り出して、ずっとここにいたというわけではないだろう。だって雨が降り出したの は朝方だから。黙って手をとって、家の中に引き込んで毛布をかぶせた。絶対に体調が悪いにちがいない。平気そうなふりしているけど、 どことなく気だるそうな雰囲気が伝わってくる。急いで夕飯を作ることにしよう。できるだけ体があったまりそうなもの。

どこか、女のところへ行く途中だったんだろうか。そうなるとすんなり入ってこなかったのにも納得が行く。そう考えると、調理をする手 も鈍るものだ。いや、今はよけいなこと考えるのはよそう。晋助の誕生日に、晋助の顔を見られたことだけで幸せだと思わないと。晋助の 女はやっていけない。あ、そうだ、晋助を一度お風呂に入れることにしよう。頭が少し濡れていたし、やっぱり雨が降っているときにうち の玄関まで傘も差さずに歩いてきたんだろう。お風呂沸いてるから入りなさい、そう言おうと居間をのぞくと、晋助はめずらしく窓を開け て外を見ていた。晋助が窓の外を見るのはめずらしいことじゃないけど、雨が降っているときはめずらしい。

「今日は、誰の家に行くつもりだったの?」
「あァ?」
「嫌いな雨の日にまで会いに行きたくなるほど、愛しい人がいるなんて知りませんでした」

つい、言葉がきつくなってしまう。これは嫉妬だろうか。晋助がなんにも言わなくて、雨音だけが私の耳に響いて離れない。私を煩わしい と思うだろうか。晋助は煩わしいことが嫌いだ。それを知っているからこそ、今まで感じてきたジェラシーなんて見送っていたというの に。ここへきて、剥き出しの嫉妬が顔を出す。

「今日じゃねェと、いけないことがあったんでな」
「晋助が誕生日をこんなに重視しているなんて、知らなかった」
「俺は今日ひとつ年を取って、ひとつ決めた」
「なにを」
、俺と来い」

雨音が止んだ、気がした。

「ずっと、外で考えてた。なんて言やァ、お前がついてくるかって、な」
「意味が、わからない」
「下手な言い回しやら奇麗事やら世辞やら、そういうモンは向かねェ」
「待って、よ、晋助」

「俺と来い、

めずらしく真剣な瞳が私を真っ直ぐにみつめてる。鋭い目が、さっきまでの気だるさを感じない目が、私を捉えて離さない。待ってって、 言ったのに。いつも私のお願いなんて無視してずかずか進むあなたが、こんなときばかりは愛おしくてしょうがない。答えのかわりに、 精一杯笑って、雨音に負けない声でこういった。

「お誕生日おめでとう、晋助」

手を握ったら、晋助の手は少し汗をかいていた。





途上する奇跡


20070810(高杉誕生日祝いのフリー夢でした)(これは持ち出し厳禁ですよ)