総悟が久しぶりの非番を私と一緒に過ごしてくれるというものだから、私はそれはもう喜んで、めかしこんで出かけたっていうのに、 この仕打ちはなんだ。



「この大江戸ビルは俺たちが乗っ取った!お前らは全員人質だ!大人しくしてろォ!」

いつの間に、私は映画のセットに紛れ込んでしまったのだろうと思った。いや、映画というにはあまりに幼稚な映像だ。十数名の男たちが でっかい銃を持ってこっちに向けている。ああ、神様あんまりです。私は久しぶりの休みを恋人と満喫しようと思っていただけなのに。 だいたい総悟が面倒がるのを引きずって大江戸ビルにショッピングにきたことが間違いだったんでしょうか。でも久しぶりに恋人と腕を 組んで町を歩きたいと思うのはいけませんかいけませんか!?どうして出かけた先で、攘夷浪士の人質なんぞにならねばならんのです!

正直いって、怖い。震え上がりそうなのを必死でおさえて隣にいる総悟を見ると、いつもと同じやる気のなさそうな顔でいる。こんなとき までのん気な。ていうかあなた警察でしょう!?この場をなんとかしようとか思ってないんですか!ああ、隣にいるのが土方さんだったら ちがっていたんだろうか。沖田総悟くん君そういえば一番隊の隊長さんじゃなかったっけ。あの、なんていうの?特攻隊みたいな。じゃあ こういうときこそその力を発揮すべきなんじゃないの!?心の中で思うことがとぐろを巻いて頭をぐるぐる回って、つまりは混乱している と、さっきと同じ激しい銃声がたくさん聞こえてくる。耳を塞いだって塞ぎきれないこの騒音は神経を麻痺させる。怖すぎて、なんだか もうわけがわからない。

「俺たちの要求は、この人質と引き換えにターミナルを爆破することだ!」

な、なんて過激な。そんな要求を政府が認めるわけないじゃないか。でも大江戸ビルがすべて占拠されているのであれば、ビル内にいる人 の数は何百人にものぼるだろう。その人数を政府が見捨てられるの?いや、見捨ててしまうかもしれない。ターミナルってそれだけ重要な ところでしょう、政府側としてみれば。政府がターミナルをとったら、私たちはここで…。い、いやだ!怖いよ死にたくないよ!思わず ぶるりと震えると、横目でこっちを見ている総悟と目があった。周りの人の表情はみんな青ざめて恐怖に満ちているっていうのに、総悟あ んたこんなときでも余裕ですね。うらやましい、その余裕が私にちょっとでもあれば。

「まずは男と女を引き離す!」

息を呑むような声がいたるところで聞こえてきた。総悟と、離れたくない。こんなときに離れ離れにされたらそれこそ私は泣き出してしま うかもしれない。どうしようもない恐怖の中で唯一冷静を保っていられるのは、総悟が隣にいてくれるからなのに。女はこっちへ、という 攘夷浪士の男の声がして、私は総悟のほうを見ると総悟は何にも言わずに見つめ返してくれていた。総悟、こんなときでもあんたが何を 考えてるのかわからないよ。でも、なに考えてるかわからないあんたでも隣にいると落ち着いて安心できたのは、どうしようもなく好き だったからなのに。総悟と一緒に死ぬならそれもいいかなって、ほんのちょっとだけど思ってたんだよ。離れ離れは、いやだな。そう 思って、総悟の手をぎゅうっと握り締めたら、背後から力任せに腕をつかんでくる手があって、私は思わず息を呑んだ。

「おい!早くしろ!」

低い男の声が私にそう告げて、思わず肩がびくりと震えた。すがるように総悟のほうを振り返ったとたん、視界ががくんと揺れた。それは 私の腕をつかんでいた力強い手が急に離れたから。驚いて振り返るとすぐに引き寄せられて、総悟の腕の中におさまった。

「きたねぇ手で触んじゃねェよ」

聞いたこともないくらい低くて響きのある声に、こんなときに不謹慎だけど胸がどくんと高鳴って、思わず泣きそうになった。ジャキン、 音がして、私が顔をあげると総悟の後ろにもう一人の男が立っていて総悟の頭に銃をつきつけていた。

「見せしめにまず一人、殺しとくか」

神様、神様ごめんなさい。私が総悟助けてって心の中で思ったから、いけなかったんでしょうか。総悟、総悟ごめんなさい。いやだ死なな いで。あなたが死んでしまうことが何より怖くてしょうがない。男の指が引き金にかかって、ぐっと力が入るのが見てわかった。

「や、やめて!お願いなんでもするから!殺さないで!」

気付けば私はそう声を出していた。そのときの私の声ったら、震えて何を言っているかも聞き取りにくいくせに声だけは大きくて、妙に 静かなこの空間に響き渡った。浪士の男と目があって、沈黙が流れた。やけに長く感じるその間は思わず失神してしまいそうだった。 総悟につきつけられている銃が離されて、私はまた腕を強く引かれて無理矢理立ち上がらされた。安心したのもつかの間、 総悟の背後で銃を携えている男が総悟の頭を横から蹴って、総悟はその場に強く倒れこんだ。

「大人しくしてろ」

総悟、と叫びたくなる気持ちを必死でこらえる。総悟はきっと、大丈夫。ここで変に騒いだほうが殺されてしまうかもしれない。今は大人 しく言うことを聞いていないと。今度は腕を引かれている間、総悟のほうを振り返ることはなかった。ごめんね、ごめんね総悟。どうか 生きてください。生きてまた会えるんなら、私は何でもしよう。ああ、やっぱり総悟の言うことを聞いて、家でのんびりしていたほうが よかったね。私が買い物に行きたいなんていうから。こんな目に合わせてごめんね、総悟。また、会えるかな。

女だけを集められると、いよいよみんなの表情は暗かった。もう生きて帰れないことを悟ったみたいな、そんな顔だった。どのくらいの 時間が経っただろう。水も食料もあたえられずに何時間もじっと座ったままだ。周りでは小さな声で泣き出す人もいた。女だけではどうし ようもない。男たちはどうなっただろう。全員殺されているということはないか。総悟、生きているよね。どうか大人しくしていてくださ い。変に暴れて死んだらだめだよ。神様、どうか総悟を殺したりしないでください。今日はいつもよりも意地悪な神様。そんな意地悪だけ は、しないでください、ね。

ダダダダダという銃声が遠くのほうからエコーしてきて、私たちは震え上がった。音が聞こえてきた方向は、さっきまで自分たちのいた 場所で、今は男たちが集まっているはずの、場所。そして間もなくして、私たちを見張っている浪士の無線が、ピーと無遠慮に鳴った。

「こちらA班。男たちの処理は終了。生存者はゼロだ。これからそっちに合流する」

ザーザーノイズのまざった無線機の音が、その場にとどろいた。もう、涙も出なかった。どこにも力が入らなくて、そのまま前に倒れこん でしまいそうになるのを必死でおさえた。総悟、総悟ごめんなさい。ああ神様の意地悪。これがすべて嘘だといってください。こんなの夢 ですよね。総悟が、死んでしまうなんて嘘ですよね。ここで私が失神したら目が覚めて、ベッドの上でああ夢だったのかと息をつく。そん な、夢みたいな話だったらいいのに。なんてリアルな夢だろう。噛み締めすぎた唇が切れて、口の中に鉄の味が広がった。

間もなくして、武装した浪士たちが戻ってきた。体と顔をすべて覆い隠すその武装にはいたるところに血がついていて、それを見ると 気を失ってしまいそうな恐怖にかられた。顔も見えない相手を恨めしいと思ったのは、はじめてだ。どうして総悟が死ななきゃいけなか ったんだろう。総悟が死んでしまうくらいなら、私が死ねばよかったのに。頭が、爆発しそうだ。気付けば発狂していて、気が狂ったよう に泣き叫んでいた。わあああ、叫んでいる声は自分の耳になんて入ってこなくて、とても、静かだった。

「よっぽど殺されたいらしいな」

静かな世界に低い声が頭に響いて、続いて痛みが私を襲った。腕を後ろに締め上げられて、折れてしまいそうなくらいの痛みが私を黙らせ る。引きずられるように女だけの塊から連れ出された。痛みを感じてようやく恐怖を実感した。いやだ、やだやだ死にたくない。死ぬのが 怖い。頭に硬いものが押し当てられて、それが私の後頭部をゴリゴリ擦る。銃だということがわかったのはすぐだ。もうだめだ、死を覚悟 して歯を食いしばったときだった。銃声が聞こえた。

「う、ぐ、あああ!」

背後から聞こえる男の悲痛な叫びに驚いて振り返ると、私の背後で銃を構えていた男がぐらんと倒れるところで、何が起こったのかまった くわけがわからなくなった。あたりを見回すと私の後ろの男のまた背後に武装した浪士が立っていて、その男が持つ銃からは煙が出てい た。撃ったのは、浪士…?

「おのれ貴様!裏切るつもりかァ!?」
「最初から味方になったつもりはありやせんぜィ」

聞きなれた声が武装によってくぐもって、変な感じだと思った。腕をとられてすぐに男の背後に伏せさせられたかと思えば、私の前に立つ 男は銃を発砲して次々に浪士たちを倒していく。何が起こっているんだ。仲間割れ?その場にいるすべての浪士が倒れたころ、銃を下ろし た男が頭にかぶる武装をはずしてこっちを振り向いた。キャラメル色の髪がさらりと揺れる様は、まるで天使様でも舞い降りてきたのかと 思った。天使様というよりも、王子様、か。

「まったく、お転婆は考えものでさァ」
「そ」

全部言い終わる前に体が動いて、総悟に抱きついていた。総悟、総悟だ。間違いない私の大好きな総悟だ。

「ば、馬鹿!なんですぐに助けてくれないのよ!なんですぐに生きてるって言わないのよ!」
「いやァ、の悲痛そうな顔を見てたらちょっと楽しくなって」
「こんなときまで変態かコノヤロー!」

殴ってやろうと振り上げた拳に力なんて入ってなくて、一気に力の抜けてしまった体はもう立っていることもできなかった。総悟が生きて くれていたことが嬉しい。総悟が助けにきてくれたことが嬉しい。無事で、よかった。重苦しそうな武装を総悟が脱ぎ終えると、私の体を 乱暴に担ぎ上げて人質たちに指示をくだしている。いや、こういうときは担ぐんじゃなくて、お姫様抱っことか、じゃないんですか。

「山崎が浪士に紛れ込んでて、男の人質はやつが全員解放したんでさァ」

山崎くん、今度なにか美味しいものでもおごってあげよう。命の恩人だ。もうすぐ真撰組も到着するから安心するように。総悟はみんなと 私にそう告げて、めずらしく仕事をしているような顔をしていた。気を失ったのは、そこらへんのあたりでだ。

目を覚ますと見知った総悟の部屋にいて、ベッドの上で横になっていた。全部、夢だったということではなさそうだ。テレビからは大江戸 ビル立てこもりのニュースが流れている。ああ、じゃあやっぱり何一つ夢なんかじゃなくて、私たちは無事に抜け出すことができたんだ。

「せっかくの非番が台無しでさァ」
「あと一日しかなくなっちゃったね」

総悟が気だるそうにベッドに寝転がってテレビを見ている。キャラメル色の髪に手を通せば、ひんやりしていて気持ち良い。私に背を向け て寝転がる総悟に後ろから腕を回して抱きつくと、なんだか不満そうな顔をして振り返る。総悟は後ろから抱きしめられるのがあんまり 好きじゃないらしい。エスの考えることは、よくわからない。前から抱きしめられて、額にキスをされた。どうしたんだろう、総悟にして はめずらしい。

「生きててよかった」
「俺のそばにいりゃどこにいたって安全でさァ」
「逆でしょ?」

隣にいられる幸せを本気でたくさん感じました。




僕がここに在る理由