目が覚めるといつもと何ら変わりのない自分の部屋が広がっていた。体を起こすと額からぱさりとタオルが落ちて、拾い上げるとそれは だいぶぬるくなっていた。あーそういやァ、名前なんてったっけ。えーと、?とか言うやつにここまで連れてこさせて。そこまで思い 出して部屋を見回すも誰の影もない。トイレ、でもなさそうだ。時計を見るともう夕暮れ時だった。さすがに帰ったか。まあ、いいんだけ どよ。前かがみになるとキリキリと腹が痛んだ。シャツをまくってみると包帯が下手くそに巻かれていて、解いてみると血が少しついてい た。普通ガーゼとかあてんじゃねぇのかよ。下手くそ。そう思うと自然に頬がゆるんで、なんだか声を出して笑いたくなった。なんでだ。

笑うのを堪えてソファにもたれかかるとカーテンを閉じていない窓から赤い夕日がさんさんと降り注いでいて、部屋全部が真っ赤になって しまったみたいだった。さっきまでぽかぽかしていた心が、ふっと冷めていくようだった。静かな部屋。あいつがいたときはバタバタうる さかったのに。今はもう何の音も聞こえてこねぇ。あ、そういえばあいつなんで俺の名前知ってんだ?唾を飲み込んだらのどが痛んで、 とりあえず何か飲むことにした。冷蔵庫開けても何も入ってねぇし、だるいけど夕飯と一緒に外に買いに行くか。そのまま玄関までいっ て、あるはずもない俺以外のやつの靴を探している自分を恥ずかしく思った。変だ。きっと熱に浮かされてるからか、きっと。寂しい、な んて。おかしいだろ。生まれて一度も思ったことのない感情だと思っていたのに、こんなに近くにあったなんて。泣きそうな自分がいて、 認めたくなくて、シャツを顔に押し当てた。落ち着けよ、俺。靴を履いたら開けっ放しな扉が目に入った。馬鹿、あいつ。

マンションを出るとむっとした熱気が俺を包んで、また気分が悪くなってきた。早くなんか買って帰ろう。夕飯はいらねぇなこりゃ。何も 食う気起きねぇし。飲み物だけ買って、

「あ!」

マンションの前には小さな公園がひとつあって、その横を通り過ぎるときにそんな声が聞こえて公園を振り返るとベンチに座っていたやつ が勢いよく立ち上がってこっちにかけてくる。いきなりのことで驚いて何にも気付かなかったけど、それは、だった。腕には少し大きい スーパーの袋を抱えて赤い顔してこっちに駆け寄ってくる姿はまるで小学生。じゃなくて、なんでこんなとこに。

「お前、なんで」
「あの、買い物に出たはいいんですけど、部屋が何号室なのか忘れて。あと、玄関の暗証番号もわかんなくて」
「ずっと、待ってたのか…?」

そう聞くと、気まずそうに視線をさまよわせる。なんで、待ってんだよ。帰ればいいのに。どんくらい待ってたんだ?なんで、こいつ馬鹿 だ。

「とりあえず中入らない?暑いし」

女を家に入れるのは、はじめてだった。それが今日になって二度も女を入れることになる。どうなってんだ。玄関に鍵を差し込みながらそ う思って、横目に女を見ると重そうに袋を持ち替えていた。扉を開けるのと同時にその袋をひったくって中に入る。あァ、やっぱりおかし いだろ、女の荷物を持ってやるとか。台所で袋の中身を全部出していると、何本かあるペットボトルはだいぶぬるくなっていた。ペット ボトルの周りに水滴がたくさんついてる、ということは最初は冷たかったんだ。こんなにぬるくなるまで外で待っていたのか。遅れて 入ってきた女の顔はまだ赤い。熱中症にでもなってんじゃないのか。そんなになるまで、なんで。

「今度は私が脱水症状おこしてるかも、なんて」
「座ってろ。何か飲むもん出してやるから」

ふたつほどうなずいて、は大人しくソファに座った。本当に調子が悪そうだ。そんなになるまで、なんでしてくれンだよ。あいつがよく わからねぇ。袋の中に入ったミネラルウォーターを出してコップに注いで持っていくと、小さい子供のように大人しくそれを受け取って 飲んでいる。シャツの襟元からのぞく首元が扇情的だ。あ、こいつ俺と同じ学校か。だから俺の名前も知ってたのか。気付くの遅ェよ、 俺。そんな当たり障りないことを考えていたはずなのに、気付けばの腕をつかんでキスをしていた。自分の行動に驚いていると、は俺 以上に驚いた顔で赤くなって、呆然としている。あれ、何してんだ?そう思ったとたんに、頬を思い切り殴られて鼓膜がじーんと響いた。 女が、グーで殴るってどういうことだよ。頬を押さえてを見れば、真っ赤な顔で涙をぼろぼろこぼしているくせに俺を負けじとにらみ つけていた。

「なめるな!高杉晋助」
「は」
「私はそんなつもりで、部屋に上がったわけじゃないし!あんたが、あんた…っ」

ぐっと歯を食いしばったかと思えば、そのまま勢いよく立ち上がって玄関のほうへ駆け出した。あ、帰るのか?引き止めるべきかぼんやり と迷っていると、は自分の足につまずいてどてっと転びだす。え、今あいつ転んだ?ひとつひとつが目まぐるしく通り過ぎていくせい か、なんだか思考回路が停止してしまって呆然としっぱなしだ。起き上がったかと思えばこちらを振り返って一言。

「お、おぼえてろ!」

捨て台詞を吐いてバタバタと出て行ってしまった。おぼえてろ?そんな、テレビの悪役みたいなセリフ。気付けば腹を抱えて笑っていて、 腹を押さえると少し傷が痛んだけどそんなことも気にせずに笑っていた。なんだ、何なんだ。おもしれぇ。あいつ馬鹿だ、馬鹿なんだ。 なめるな、だと。はじめて言われた。おもしろい。あんなやつが学校にいるのか。ちょっと、会いに行ってみてェな。だったか? おぼえておいてやるよ。とりあえず、


また、お前に会いたい

20070822