HP100









人生で、こんな経験を二度もすることになるなんて、思わなかった。目の前で赤い顔をして、真剣な眼差しを向けてくるクラスメイトに 対して、私はその場に立ち尽くすことしかできなかった。頭が真っ白になるというよりは、空っぽになってしまったみたいだ。私が何も 言わず呆気に取られていると、クラスメイトの高橋くんはふいと顔をそらして、それだけといってそのまま走り去ってしまった。言い逃 げ、ですか。いまだに驚きすぎて何の感情も生まれてこない自分を少しおかしく思って、それからもと来た道をとぼとぼ歩き出すと、 夕焼けが私を腑抜けだと笑っているようで、殴れるものなら殴ってやりたいと思った。やっと、感情が生まれた。

教室に戻ると、誰もいないと思っていたのに総悟がひとり椅子にぶらぶら座りながら耳にはイヤホンをつけて漫画を読んでいる。総悟? どうして。今日は掃除当番だからって言ったら、じゃあ先に帰るって言ってたくせに。薄情者といったのを、私はまだ覚えている。そうい ったって意地悪そうに笑って出て行ってしまったくせに、その総悟がどうしてここに。こっちに気付くと、イヤホンを耳からはずしていつ もの顔して当たり前のように声をかけてきた。

「遅かったじゃねぇかィ」
「先に帰るって言ってたじゃん」

コンビニへ行ってただけでィ、そういって私にビニールを袋を見せて中からペットボトルを取り出した。袋の中にはジャンプも見えて、そ うか今日は月曜日なんだってことを思い出した。今更だ。帰りに寄ってけばいいものの、私に意地悪するためだけにわざわざ行ってきたの か。これですれ違いとかになってたらどうするつもりだったんだろう。ひとつため息をついて総悟の隣の席に座ると、不思議そうな顔でこ っちを見られる。すぐに帰る気、だったかな。でもそんなの知らないよ。私はさっき、教室に帰ってから少しだけ残るって決めたんだか ら。今はちょっと帰りたくない、なぁ。

「顔、赤くねぇですかィ?」
「夕焼けのせいでしょう」

絶対ばれる嘘なのに、総悟は何にも言わないで私の顔をじっと見て、それから袋の中からジャンプを取り出した。イヤホンは首に引っ掛け られたまま、音が漏れて私の耳にまで届くくらいだ。静かな教室に、野球部の声とイヤホンから流れる音楽がまざって、何かドラマを見て いるような気分になった。

「さっき」
「ん」
「裏で高橋と何話してたんでィ」

驚いて、思わず総悟のほうを振り返ったら、総悟はこっちも見ずにただジャンプを見ていた。読んでいるというよりも、眺めているような 視線が不思議。どうしてそのことを知っているんだろう、そう思ってただ呆然としていると、総悟は小さく廊下の窓とつぶやいた。そう か、廊下の窓から裏庭は丸見え、なんだ。偶然にも、私と高橋くんが話しているところを見られていたらしい。何を、なんておかしいこと を聞く。わかっているくせに。わかっていて、聞いたんだ。乾いた目を潤すように瞬きすると、じわっと涙が浮かんだ。

「告白、された」
「返事は?」
「気持ち知っててほしかっただけって言われて、返事言う前に逃げられ、た」
「ふうん」

ふうん?少しショックだった。何が、ショックなのかもよくわからないけど、私はたぶん期待していたんだ。総悟が、嫉妬してくれるん じゃないかと。馬鹿な、女だな、わたし。それでも少しくらいは気にならないものだろうか。好きな人が、少しでも私を想って嫉妬したり 心痛めたりしてくれることを。総悟を横目に見ると、何も考えていないようないつもの顔でジャンプを見ている。さっきから一ページも 進まないのが気になるけれど、そんなに文字の多いページを見ているんだろうか。私よりも、ジャンプのほうが興味あるんですか。ほら、 私はこんなにも簡単に嫉妬してしまう。人じゃない、ただの雑誌ひとつでこんなに簡単に心乱れて、こっち向いてよとつかみかかってしま いたくなる。総悟と私は、好きの大きさがちがうんだろうな。

が」
「うん?」
「高橋のほうがいいってんなら、好きにすればいい」

別にお前なんかいてもいなくても、同じだから。そう言われているようで、一瞬心臓が止まってしまったんじゃないかと思えるくらい、私 はショックを受けていた。

「なに、それ」

私がそういったのに、総悟は一度こっちを見ただけでジャンプを袋にしまって立ち上がってしまう。どういう意味。そう発した言葉は、 思ったよりも大きな声になって教室に響いてしまった。その声にやっと反応するように総悟が振り返って、いつもと何も変わらない表情で 言う。

「そういう意味」

いつも、いつもそう。総悟は説明が足りない。いつだって何を考えているのかわからなくて、求める答えの半分くらいしか口に出してくれ なくて、はぐらかして、意地悪で、私はいつもそんな総悟に振り回されて。それでも、楽しかった。あなたの隣にいられることが何より 嬉しくて、幸せだったのに。総悟は、ちがったんだね。私なんていてもいなくても同じだったんだ。私ばかり総悟に助けられて、私は総悟 に何一つできていなかったのかな。ごめんなさい、総悟。でも、ひとつ言わせてください。

死ね、沖田死ね。












言葉が足りないにもほどがあるだろう!なんですか、あれはどういう意味にとればいいんですか。わけのわからない言葉をいきなり言って きたかと思えば、呆然とする私をおいて勝手に帰っちゃって、何様ですかあなた何様ですか。会話しようよ、会話。これが誤解なんだかそ うでないんだかもわからないよ。私はどうすればいいわけ?これは悲観的な考えに走って別れ話の内容でも考えればいいわけですか?別れ 話、なんて、なんでしなきゃいけないのよ。どうして私が別れ話をどう切り出すかを考えなきゃいけないのよ。私はまだ、これでも、総悟 のこと大好きなのにさ。わがままで意地悪で何考えてるのかわからないあんな性悪が、大好きなんだよ!

考えをまとめようとしたのに結局まとまらなくて、気付けば朝になっていました。うわ、徹夜かよ眠い。なんとなく総悟と顔を合わせるの がいやで、HRぎりぎりに教室に入ってやろうと計画して教室に入ると、今日はめずらしく銀ちゃんが早めに教室にきていて私は遅刻あつか いになってしまった。ちくしょう沖田、お前のせいだ。その総悟はというと、机に鞄を置いてどこかへ行ってしまっているようだ。総悟が HRからサボることは別にめずらしくもなんともなくて、クラスメイトも先生も、誰としてやつを心配することはなかった。私だってそう だ。だけど、なんだかあからさまに避けられている気がしてならなくて、またむかっとした気持ちを抱えることになってしまった。くそ う、遅刻したのも徹夜して授業が眠いのもイライラしちゃうのも全部やつのせいだ。あいつは4時間目になっても教室に顔を出さないで授業 も受けないで、さすがに腹が立ったので勇気を出して挑んでみることにします。めそめそうじうじは似合わない!真っ向勝負が私の座右の 銘!

勇ましく屋上の扉を開くと、開けた視界の中に総悟の姿はみつけられない。予想の範囲内だよ沖田くん、甘いじゃないか。徹夜のせいか、 変なテンションになってきてしまったことはとりあえず目をつむっていてほしい。梯子をのぼって貯水タンクにのぼると、アイマスクをつ けた美少年がそこで眠っておられました。ちくしょう、人が悩んで悲しんで怒っているときにお前はこんなところでぐーすかお昼寝です か!

「総悟!こら起きろ沖田!」
「なんでィ、母ちゃんまだ4時だぜィ?おっちょこちょいなんだから」
「今は1時前じゃコラー!」
「うるせーな、
「なんで授業ひとつも出ないのよ」
「俺ァちゃんと授業受けてましたぜィ?夢の中で」
「夢の中で何を学んだー!?」

あ、だめだ、またペースにはめられる。落ち着け落ち着け、そう自分に念じて心の中でひとつため息をついた。ちゃんと、話をしよう。 感情的になってあとで後悔するようなことは口走らないように。のっそりと総悟が起き上がって、ぼーっとこっちを見上げてくる。わ、 本当に眠そうだ。昨日は夜更かしでもしたんですか。何か言おうと口を開くと、妙にひんやりとした総悟の指が私の腕をつかんで、そのま ま引っ張り倒された。地面に転がされたかと思えば、すぐに上にまたがられる。

「ちょ、何すんですか!重い重い重いおも、ぐっ…!」

何を考えやがったか、総悟は私の首を冷たい手でさわったかと思うと、そのままぎゅうぎゅう絞めてくる。え、いや、これ冗談じゃないか ら、何やってるのこの人!?これって軽く殺人未遂だよね!ふ、普通に苦しいものそのまま死んでしまいそうだもの!

「く、るし…っ」
「おーおー苦しいかィ。そのまま死んじまえ」
「なななんで、ちょ、本気で、うぐ…!」

そのまで言うと総悟は手の力を緩めてくれて、私は思い切りむせこんでしまう。死んじまえって言った、死んじまえって。なんで!?や っと呼吸が落ち着いて総悟を見上げたら、見下すような視線でこっちを見ていた。な、なんで、なんか怒っているっていうよりはなんだか 楽しそう?いや、楽しそうっていうのともちょっとちがうかも。総悟もしかして本格的にサドに目覚めてしまったのか!?いや、それは 困る。さすがに首を絞められて喜ばれるのはいやだ、命がけじゃないか。

「あ、の、総悟くん、何を」
「いっそ殺しちまおうかと」
「待て!説明不足にもほどがあるぞ!わけがわからん!」
「昨日のあれは、のことがどうでもいいとか思っていたわけじゃなく」
「え」
「俺ァに望んで、俺のとこにいてほしいと思っていたからでィ」

ぷい、と顔をそらして、すねたような顔をしている総悟が、急に愛おしくてしょうがなくなった。いや、語弊を招く言い方だけどそういえ ば私はいつだって総悟のことが、愛おしくてしょうがないんだ。ばか、そんなのさ、言ってくれなきゃわかんないじゃんね。目を細めたら 涙が浮かんで視界がゆがんだ。

「だけど昨日一晩考えて、俺以外の野郎の隣で笑うを見るくれェなら、いっそ殺しちまおうかと」
「は?うぐぇ…!」
「だから潔く死になせェ、
「ま、待て!待て!たんま!私の話も聞けェエエ!」

そう言ったって総悟は一向に私の首から手を離してくれなくて、苦しいままじたばたするのも疲れてぎゅうっと目をつむったときだった。 首を絞める手の力が弱まって、気付けば唇には柔らかいものが押し付けられていてそのまま深く深く口付けられる。それこそ、息もできな いくらいに深い、キス。首を絞められたための酸欠プラスディープキスによる酸欠イコール意識が飛びそうな私に気付いているのか気付い ていないのか、総悟はお構いなしに息をつく暇もなく口付けてくる。でも、さっき首を絞められていたときよりも苦しくないのは、きっと 私がどこかで嬉しいと思って、気持ち良いと感じているからだ。…私はいつからこんなにMになったんだろう。やっと口を離してくれて、 私がぜーぜー息をして意識を朦朧とさせているところに、小さな小さな声が耳に入ってきた。

「ほかの男のとこなんか、行くんじゃねぇやィ」

総悟は、わかってない。私がどれだけ総悟を好きでいるのか、知らないんだ。以前までノーマルだった私がMになってしまうほどに、好き なのに。そして私もわかってなかった。総悟も、ちゃんと私を好きでいてくれてるんだなあ。目を細めたら、今度こそ涙がこぼれて、総悟 のぎょっとした顔をちゃんと見られなかった。返事をかわりに冷たい指を握ったら、安心したように微笑む姿が、今度はちゃんと見られ た。







200709016