あぢー。あちーの「ち」に濁点がついちゃうほど暑いよ。なんでこんなに毎日暑いんだろうね。いやそりゃ、夏だから暑いのは当たり前な んだけどさ、毎日毎日こうも暑いと思考もだれてくるよね。地球温暖化だかなんだか知らないけど私の体感温度は異常だと告げている。こ れは別に温暖化だから異常なわけではなく、とにかく夏で暑いから異常だと告げるとても単純なものだ。しかも今は7月も下旬。これからさ らに暑くなっていく時期だというのに、私はもうすでに白旗をあげてしまいたい心境だ。ギブアップ。

明日から夏休みだというのに、こうも暑くてはなんだか喜びきれないのは私だけだろうか。追い討ちのごとく私の心をどん底まで突き落と してくれたのは通知表という名の赤紙だった。はい、終わったー。私の楽しい夏休みが終わりますよー。1がある生徒は自動的に夏休みの 補習に出なければならないという死の宣告がくだされる。これで夏休みの何割が削られることか…。こんな瞬間ばかりは勉強しておけばよ かったと嘆くくせに、たぶん夏休みの宿題は白紙で提出になることだろう。経験が実にならないとはこのことだ。盛大なため息をつけば、 後ろの席から吹き出すような声が聞こえてきて気だるげに振り返れば、そこには嫌味な顔をした総悟が私の通知表をのぞきこんでいた。

「だっせぇ、も補習行きですかィ」
「うっさいなーそういう自分はどうなのさ」

ひょいと差し出された総悟の通知表を受け取ると、2と3ばかりがついていた。だけど、1はない。私と似たり寄ったりな合計してるくせに1 だけはないってところが嫌味ったらしい。舌打ちをしながら後ろの席に通知表を放ると教卓にだるそうにもたれかかっていた銀ちゃんが 思い出したかのように顔を上げた。

「そうだ、沖田ーお前1はなかったけど授業サボりすぎで苦情きてるから、お前も夏休み補習なー」

とたんに教室中から笑い声やら罵声やらが飛びかった。やーいやーいざまーみろ!という神楽ちゃんの声が大きく響いて、私も思わずぷ っと吹き出してしまった。私のことを馬鹿にするからそうなるんだ。でもまあ、夏休みも学校で総悟に会えるのは、うれしいかな。なんて 思っていると、終業のチャイムが鳴ってみんな待ちかねたように席を立って教室を出て行く。夏休み前に、最後の号令もなしってところが うちのクラスらしい。そのくせ教室から出て行くときはみんな先生に声をかけていくんだ。そういうところが結構気に入っていたりする。 さて、私もさっさと帰るかなと立ち上がると背後からがばっと腕が伸びてきて、私の首に回ったかと思うとそのままずるずると引きずられ てしまう。それもこの腕がなかなかきつく絞まっていて苦しい。

「うぐっ!ななにだれなにすんの!」
「ちょっときやがれィ」

総悟?夏休みを前になんですか、プロレス技の練習ならそこらへんの山崎とかにしてよ!私はこれでも異性であり、世間一般ではか弱く 守るべき存在であるとされている女の子なんですよ。もっと大切に扱ってほしいと思いつつも、これだけ体が密着しているとドキドキも 倍増するというものだ。ばかだ、総悟はばかだ。私がどれだけあんたを好きかわかってないよ。…言わないけどさ。総悟はそのまま私をど こまで引きずるのかと思えば、普段生徒があんまり使わない西側の階段まで連れて行かれた。こっちの階段はどこへ行くのにも遠回りに なってしまうせいか、あんまり利用する生徒がいないことで有名なんだけど、そんな人気のない階段へ連れ出して何のつもりだ!この場所 は太陽とは反対の位置にあるせいか日当たりも悪くて薄暗い。なんだか、変なことを考えてしまうじゃないか!

「なに、なになに」

総悟は私のほうを向いてなにやら険しい顔をしている。え、なにその顔。言いにくそうにゆがめられた顔がなんだか怖い。そんな顔をされ たら、聞きたいような聞きたくないような。思わず後ずさりしてしまうと、たらりと汗がこめかみを伝った。ここの空気は少しだけひんや りしているくせに湿気が多いからセーラー服が変に汗ばんで気持ち悪い。家に帰ったらまず最初にシャワーを浴びよう。セーラー服が汗 臭くならないといいけど。まあいっか、明日から夏休みだし。お前、と総悟が呟くとように放った言葉は静かな踊り場にエコーする。

「今日、下なに着てる」
「は」
「制服の下、なに着てんでィ」
「し、下着、ですよね、普通に。ていうか、セクハラ…?」
「Tシャツとか、着てねぇのかィ」
「だって今日暑かったし、すぐに帰るしいいかなって」
「後ろ、透けてんだけど」
「え、あ、ま、まじか!」

そんなことをわざわざ言うためにこんなところへ連れ出したの?そんな、もう帰るし黙っていてくれてもよかったのに。そんな、男の口か らそんなこというのは恥ずかしかっただろうに。話はそれだけだろうかと首を傾げると、総悟はまだ不満そうな顔をしている。いや、さ っきの言葉はある意味ありがたいけど、ある意味困るんだよね。セクハラといわれてもしょうがないような発言をして、私がそこをつっこ まないことにむしろ感謝してほしいくらいなんだけど。総悟小さくため息をついて、私はどうしたらいいのかますますわからなくなってし まう。

「上になんか着るモンねぇのかィ」
「うん、ない」
「じゃあお前今日は帰るんじゃねぇ」
「は!?いやいや帰るよ、普通に帰るよ。総悟、気にしてくれるのは嬉しいけど夏服ってたいてい透けちゃうもんだし」
「俺以外に見せんじゃねぇやィ」

え、と言う前に一瞬の間に肩をつかまれて引き寄せられて、そんな乱暴な行動とは似つきもしないくらいに優しいキスをされた。キス? 総悟のやけに柔らかく感じる唇がそっと私の唇に触れて、すぐに離れていった。すぐに離れていったはずなのにだいぶ長く感じられたキス は、あまりに唐突で私は何にも考えられなくなってしまった。なんで?総悟の言った言葉に持っていた疑問が全部キスに持っていかれてし まった。あまりに簡単に通り過ぎたファーストキスは、味も何も感じる間もなく脳内ショート。誰かこの状況を説明してくれ。

「わかりやしたかィ」

無意識にうなずいた私は、総悟に手を引かれるままもときた道を歩いて戻った。教室にはもう誰もいなくて、私の思考はまだショートした ままで、どうして今総悟に手を引かれているのかもわからなかった。わかったかと聞かれて思わずうなずいてしまったものの、上着もなに もないのにどうやって帰るというんだ。本当に今日は帰っちゃダメってことになるんだろうか。そんな、あほな。するりと手を離されて、 とたんに私は立ち止まってしまった。やっぱり、やっぱりおかしいよね。あの場面でのキスは、どう考えてもしっくりこない。思い切って 俯いていた顔を持ち上げると前から黒いものが降ってきて私の視界を奪ってしまった。

「う、うわ!なになに!」
「それ着てけィ」

それは総悟の学ランで、厚い生地がなんだか暑苦しい。これを着て、帰るんですか。この教室に入っただけでも軽く汗をかいているという のに、そのうえ学ランなんか着たら汗だくになってしまわないか。いやそうな顔でただただ学ランをみつめていると、今度は胸に私の鞄を 押し付けられた。なんだなんだと思っていると、また手を引かれて歩き出す。さっきからどうして私の手を引くんだ。というかその前に 解消させなきゃいけない疑問がたくさんあるだろう!引かれていた手をぐっと握ってそのまま引っ張ると総悟はあからさまに驚いたように 立ち止まってくれた。

「なにすんでィ」
「き、聞きたいことがあります!」
「なんでィ、その学ランは強制ですぜィ」
「ななななんでき、キスしたの!」

総悟くんが私をかわいそうなものを見るような目で見てきます。訴えますよコラ。

「さっきわかったって言ったじゃねぇかィ」
「あ、いや、さっきのあれはちがくて」

やけに大きいため息をついたかと思うと、ちゃんと向き直って私が腕に抱えていた学ランをひったくられた。着ろって言ったくせに、もう 回収ですか。そう思っていたらばさりと広げて、私の肩にはおらせてくれた。うん、ありがたいけどさ、やっぱり暑い…。

が好きって意味でさァ」

簡単に、あきれるようにいわれた一言に、今度こそ私の思考回路は完全にショートしてしまった。夏休みが、はじまる。





透ける想い



20071015