心のどこかで裏切られたように感じていたんだと思う。自分でなく、あの男を選ぶということにとてつもなく大きな嫌悪感を抱いていて、 自分の数少ない大切なやつらがあの男のことを大切に思うのがなんだか悔しくてたまらなかった。自分の好きなやつには自分と同じものを 好きになってほしい、自分と同じものを嫌いになってほしいなんて思っていたのはガキの頃までで最近ではそんな考えが子供じみていると いうことを自覚して自分を抑えられているつもりだったというのに、それは間違っていたらしい。間違っていたというには少し語弊がある だろうか。抑えられないんだ、あまりに姉上が大切で。あまりにが大切で。子供じみた嫉妬を認められないまま、惨めにもがいて結局は また大切なものを手放してしまうことになるんだろうか。

そんな俺の思いも露知らず、は物憂げに雨の降る窓の外をながめている。心ここに在らずといった様子で、俺が窓を閉めたことにも 気付かず閉じた窓を眺め続けている。が頭の中で何を考えているか、予想するのは容易だった。先ほどまで交わしていた会話をたどれば そんなことは容易くて、わかりやすいの思考回路に嫌気が差したりもした。そしていつまでもこちらを向かないどこかアンニュイな横顔 が憎らしくてたまらなかった。恋わずらいのようなため息がの口から漏れて、そのまま言葉を紡ぎだす。

「そっか、ミツバさんと土方さんがね」

どこか諦めるような、それでも諦めきれないようなその顔に、言葉に思わず理性を忘れた。気付けばを押し倒してその上に跨り、その 細く白い首筋に手を這わせていた。妙な感覚だ。好きな女に触れるというよりも、今から殺す人間に触れているような。ある種の 性癖になりそうな、脳髄の痺れるようなこの感覚の名前を俺は知らない。驚いたような、俺の名前を呼ぶ声が耳に届いてやっと雑念が頭から 出て行ってくれた。このまま流されていたら、きっと俺は後悔する。

「いっそ」

いっそ、と思う。お前までが俺よりもあんな男を選ぶのか。そんなことをするのならいっそ、殺してしまおうか。あの男の前で、誰の前に いるときよりも幸せそうな顔をするなんか見ていられるわけがない。そんな姿を見るくらいなら、いっそここでの命を絶やしてしまったほうがいっそ 楽になれるだろうか。胸がぎゅうとつぶれそうな思いをすることもない。誰に斬られ、誰に殴られるよりも痛いそんな感覚を味わうくらいならい っそ、いっそ殺せたら。

思うのに、それをいつまで経っても行動に移すことはできない。の首に這わせた指に力を入れることもできない。俺はを殺せない。な ぜなら俺はそんなことをできないくらいに、を愛しているからだ。俺の醜い嫉妬での命を奪うことなんて、できない。そんなことをす るくらいなら胸がつぶれそうな思いをしたほうがどれだけましだろうか。これ以上、俺の大切な人が死んでしまうのはもう見たくない。ぶ るりと脳が震えた気がした。まだ新しい、悲しい記憶がよみがえる。同時に思い浮かべたのは、の死だ。今度は脳だけでなく全身が震え たような錯覚に陥って、に跨っていることも忘れてそのまま崩れてしまう。どうしてこんなことを考えなくてはいけないんだろう。どう して俺がを殺してしまおうかと思い、殺してしまうならいっそ辛い思いをしようと決意しなくてはいけないんだ。どちらの選択をしても 俺は幸せにはなれない。自己犠牲なんざこの歳になってもしたことがないってのに、どうして今さら。どんな思いをしてでも守りたいと 思えるやつが、どうしてほかの野郎のほうへ向いてしまっているんだ。こんなの、ないだろう。いつになく苦しい思いを抱いていると、俺 の胸のあたりでくぐもった声が聞こえた。そういえば俺はの上に倒れこんだままだ。

「総悟、どうしたの?どこか調子でもわる」
「俺はお前を殺せねェ」

息を呑むような、驚いたような様子が胸に伝わってくる。

「ならいっそ、俺を殺してくれ」

こんな言葉、きっともう二度とつかいはしないだろう。それをこんなふうに口に出してしまっているということは、きっと俺は本気なん だ。まるで第三者としてこの場を見ているような感覚に、思わずぼんやりしてしまいそうになる。そのくせ目から滴る水が頬を伝って、 俺はもうここで死んでしまってもいいと思った。に殺されるなら、いいだろうか。だって俺はを殺せない。でも俺はどこかでわかって いるんだ。は俺を殺すことができない。優しいはこんな言葉を聞いて俺を放っておくことができないってことも。

「総悟、ずるいよ」

やけに落ち着いたような声で呟かれた言葉は、心のどこかで予想していたものだった。そしてもう一度だけ、ずるいよと放たれた言葉はさ っきの言葉とは似ても似つかないような、今にも壊れてしまいそうな弱々しい声だった。










極端自愛論