夢だった。当たり前だけど、夢だった。受話器を置いたところで目が覚めて今度こそ俺は現実らしい現実に再会することができた。でも、 目が覚めてからもなんだか夢の中にいるような、頭がふわつくような錯覚に陥った。それでも夢かもなんて疑えない、確かな現実だ。それ にしても、妙な夢だった。やけに鮮明に頭に残っているそれになぜだか吐き気がした。内容、のせいか?俺がにふられる夢なんて、縁起 でもねぇ。これは戒めだろうか。こうなりたくなければもう少し彼女を大切にしろ、という。それにしたってあのときの俺はあっさりしす ぎだろう。もっと問い詰めたり止めたりすりゃいいものを、どうしてあんなあっさに手放しちまうんだ。あれは俺じゃねぇだ。俺は夢の中 の俺よりもを、愛してる。本人には言ってやらねぇけど、よ。

起き上がって携帯をみりゃまだ明け方で、いつもならあと二、三時間は寝ているはずなのにどうして起きちまったんだろう。まだ眠たいよ うな気がするのに、二度寝をする気にはなれずに寝返りを打つと携帯がチカチカ光っていて、着信かメールがあったことを告げている。あ の夢を見たあとに電話を触る気になんてなれず、緊急でもねぇだろうとベッドを降りて部屋を出た。飲み物を取って部屋に戻ると今度は 携帯がブルブルと俺のベッドの上でのたうちまわっていやがるもんだから、俺は思わず眉間にしわを寄せた。こんな時間にメールなんざ 送る非常識な人間は誰だよ。なんだか憂鬱な気分になりながらも携帯を手にすると、サブディスプレイにの名前が表示されていて、しか も着信であることがわかった。携帯を開く気はなかったのに、の名前を見た瞬間に俺は思うより早く通話ボタンを押していた。携帯の 冷たい感触が剥き出しの耳に触れて、なんでもないのに身震いがした。

電話先の相手は想像していた相手とは異なっていた。俺を待っていたのは、の母親の消え入りそうな涙声。そんな声を聞いたあとの俺の 行動なんて覚えてねぇ。気付けば携帯を痛いくらいに耳に押し付けて、タクシーを拾っていた。タクシーなんて拾えるほど金があったのか と思ってポケットをさぐれば、今にも零れ落ちそうな財布が俺を迎えた。頭が痛い、冷たくて痛い。冷や汗が止まらない。寒くてたまらな いのに、止まらない汗が気持ち悪くて。今さら急いだってしょうがないのに走らずにはいられない、焦らずにはいられない。どうしたらい いのかわからないまま、とっくに切れてしまっている携帯を耳に押し付けている。なんでだ、なんで。知るか。でも何かをしていないと、 おかしくなりそうだ。考えたくない考えたくない考えたくない考えたくない。もう、十分だろう。

が、ここに運ばれてからすぐに、沖田さんに連絡したんですけど」

理解した。不在着信の相手と、その理由を。どうして俺は眠っていたんだ。不在着信をすぐに確認しようとしなかった自分を恥じて、電話 を取られなかった自分を呪って、携帯をマナーモードにしていた自分を恨んで。どうすればいいっていうんだ。もう、後悔しかできねぇ よ。なんで、なんで。交通事故に遭ったらしいは、俺にうんともすんとも言わずにただ黙って、横たわっている。

虫の報せもなにもあったもんじゃねぇ。横たわるの体は見られるものじゃなかった。顔にかぶさった白い布も、ひしゃげた腕も、もげた 足も。現実とは思えないほど悲惨なその様に俺は息を呑んだ。この部屋に入る前にの母親が俺をここに入れるのを一度ためらった、その 意味が今さらになってわかって。ということを、否定したくなった。でもできない。顔が見えなくたって、体がおかしくたって、疑いよ うがない。がそこにいるんだから。だ、俺の。涙も出ない。ただ汗が止まらず流れて、俺は生きていると実感する。これは夢なんか じゃないと、実感する。夢、そうだ夢だ。

「顔、見られますか。結構ひどいことになっているんですけど」
「遠慮しときやす。俺には見られたくないって、言ってたんで」

だから、電話だったのか。事故でぐしゃぐしゃになった顔を見られたくなくて、でも俺に会いにきてくれたのかよ。わざわざ別れ話なんて して、それが俺のためだとでも思ったのか?どんだけ恥ずかしい顔だったとしてもよ、ちゃんと会いにきてほしかったよ。お前の笑顔もよ く思い出せない。最後に話した会話も思い出せない。ただ、俺には見せられないといった声が俺の耳の奥に響いている。夢の中の言葉ばか りが残って、俺を占領する。どうして俺は夢の中で聞いたお前の声に縛られて、お前の最後の顔も見られないんだろう。どうしてだろう な。ベルの音が、俺の頭から離れないんだよ。








止まないベル音 // 071219