ピンポーンと、浮かれたように高ぇ音が家中に響き渡って俺は思わず頭をあげた。出るつもりはないくせに、なぜだか頭が反応した。普段 うちのインターホンを鳴らすような馬鹿はいねぇ。俺を恐れてという意味ではなく、この家は一応近所に空き家だと思われているらしく、 勧誘もセールスも何もこねぇ。なのに、インターホンを鳴らす馬鹿なんて心当たりは一人しかいねぇ。だからこそ、頭が反応したんだ。し かし近所の悪ガキの悪戯かもしれねぇと思うと、憶測だけで動くのはどうかと思う。だからとりあえずは待つことにした、結果が出ること を。俺の頭に浮かんだ一人だったなら、ここで引き下がるわけもねぇ。

ここで言うのもなんだが、実はいま情事の途中だったりする。挿入して一番いいところだったくせに、インターホンのせいである意味 萎え、ある意味で勃った。急に動きを止めた俺を不審そうに見つめる、組み敷かれている見目だけはきれいな女に、ふと冷たい視線を向け ると今まで赤かったその女の顔が一気に冷めたようだった。そこまで冷たい目を向けたつもりはなかったんだが、インターホンの可能性を 考えてから今していることがどれだけ愚かしいことかを考えてしまい、そしていま自分の下にいる女がなんだか汚らわしく感じてしまうん だから困る。こいつは俺の一番気に入っている顔と体だったのに。こりゃもう使い物になんねぇな。舌打ちをすると女がびくりと震え、 普段は気の強そうな目が今は不安そうに細められているのがいいな。だけどもうそんな気分にゃならねぇ。一気に引き抜くと女が崩れるよ うに、悲鳴に近い嬌声をあげて布団に寝転がった。インターホン、反応ねぇな。やっぱりちがったのか。

そう思った俺を馬鹿にするように、直後インターホンが何度も何度も何度も何度も気が狂いそうなほどに鳴り響きだして、その状況になぜ だか笑みが漏れた。俺の予想が当たったからだ。ここまで分かりゃやることは決まってる。まだ肩で息をしながら布団の上で背を丸めてい る女をすばやくにらみ、小さくだが響く声で一言告げると、インターホンにかき消されて聞こえなかったのかはだけた肌をさらしながらだ るそうに体を起こした。

「出てけ」
「な」
「出ろ」

いつもは少し強気な女の表情がすぐにゆがんだ。凄んだつもりはなかったのに、幽霊でも見たような顔をしてすぐに出て行こうとする女を 止めたのはまたしても俺だ。出て行けといったくせにどうして止めるんだ、と口には出さずとも見ればわかるような顔をしているのがなか なかおもしれぇ。しかし今はそんなことを考えている余裕はなく、いまだに鳴り続けるインターホンの音にも鳴れてきた。

「庭から出ろよ」

女はきれいな顔をくしゃくしゃにゆがめてから、捨て台詞を吐くように最低と告げて俺の言うとおりに縁側から裸足で庭に降りて出て 行った。律儀なやつだ、そんなとこも気に入ってたんだがなァ。しかし、あいつには敵わねぇ。まだ鳴り続けるインターホンがぱたりと 止んで、俺は煙管に火を落とした。着物を羽織ってはだけた胸は隠さず、なんだか情事のあとよりもっと大きな疲労を抱える気分だ。あい つのせいだ、あいつで発散してやりてぇ。犯しちまおうか。…できたら、苦労しねぇんだけど。

「バカ晋助!いるんなら出なさいよ!」
「騒ぐなバカ、何べん鳴らしゃ気が済むんだ」
「いないのかと思ったじゃん。帰るとこだったよ」
「インターホン鳴らすくせに、いつもてめー中入ってくんじゃねーか」
「どっかの誰かさんがいっつも居留守つかうからでしょう」
「てめーにゃ関係ねぇよ」

肩でため息をついたかと思うと、の目がふと俺の腰掛ける布団をとらえた。浮気の証拠をみつけられそうな夫の気分になりながら、煙管 を吸って煙をぷーっと吐き出すとが顔をゆがめてまたため息をついた。俺の煙にゆがめたのか、それともばれたのか。は何も言わずに 部屋を出て行って奥へ行ってしまった。たぶん、あいつはわかってる。いま俺がここで何をしていたのかを。知ってるくせに、何も言わな い。言う権利なんてねぇと思ってるんだろう。何せ俺たちは恋人でも何でもねぇ。ただの、幼馴染だ。だけど確信できるのは、は俺のこ とを好きであり俺はのことが好きだ。わかってるけど、告白も何もありゃしねぇよ。あれはずっと昔から俺のもんだ。だけど手なんて 出さねぇよ。あれは汚れちゃいけない、俺の大事なもんだ。俺なんかで汚さねぇ。ほかの誰にも汚させねぇ。

「晋、ご飯食べるでしょう」
「あァ」
「今回はいつまでこっちいんの」
「明日の朝に帰る」
「帰る?」
「あ?」
「あんたの家はここでしょう」

寂しそうにそんなこと、言うんじゃねぇよ。思わず握り締めた拳はすぐに痛みを感じて解いてしまった。手のひらを盗み見れば血がにじん でいた。こんなに我慢する理由はなんだろう。もう忘れちまった決意のためだ。ずっとずっと昔に誓ったんだ。俺がこいつをどんなことか らも、守ろうって。今やってることが本当に正しいのかなんて、知らねぇけどな。

「晋助、あのさ、明日はいてよ」

明日、何かあるのかと聞きたくてなんでと聞くと、小さく「なんでも」という言葉が返ってきて、俺たちの会話はそこで終わってしまっ た。はその日、帰らなかった。一晩中縁側に背を丸めて座り、空を見上げていた。理性と欲望の葛藤なんざ慣れていたし、襲っちまうこ となんてなかったがただ、なんだか様子のおかしいが少し心配だったりした。素直に言えばいいのに。そして、俺も。素直に聞けばいい くせに、なんだかもう数時間も前の話を掘り返すのが恥ずかしい気がして。俺はずっと寝たふりをしていた。内心眠れずに、神経張り詰め ての気配を追っていたというのに。は一向に動かなかった。夜も更けてだいぶ経つころ、静かな夜に眠気がそろりそろりと足音を立て はじめた時間帯。小さな声が聞こえた。虫の音くらいの小さな声は聞き取れるか聞き取れないかで、俺はその声を聞き違えてしまったよう だ。

「晋助、好きだよ」

の声がした気がした。

翌日、俺が身支度をすませている間も玄関で草履を引っ掛けている間も、は縁側から離れようとはしなかった。俺はとうとうそんなに 声をかけることもなく、家をあとにした。のおかしな様子と昨日の言葉だけが、気がかりだった。別に抜けられない仕事があったという わけじゃない。なんとなく、俺の中での予定が今日だっただけだ。だからの願いどおり今日もあの家にいてやることはできたくせに、な んだか気恥ずかしいという理由だけで家を出た。それだけ、それだけのことだ。

なんとなく気になって、その翌日の夜に自分の家に帰ってみると、またもや縁側にの姿がある。昨日、一昨日とまったく同じ場所に同じ 体勢。しかし気になったのがその装いだ。寝巻きははだけ、泣きはらしたような目をしている。思わず声をかけると、は絶望したような 悲惨な顔をして、真っ青になってしまった。焦点が定まらず、きょろきょろと視線を散らせる姿は痛々しい。とりあえず寒々しいその格好 に上着をかけると、は何かおびえるように震えてしまう。こんなときに不謹慎かもしれねぇが、はだけた着物からのぞく肌に魅了され た。

「しんすけに、報告がある、の」
「なんだよ」
「わたし、けっこんしたの」

結婚、けっこん。震えた声でつむぎだされた声は冷たい夜の空気にいやに響いて俺の鼓膜を揺らした。結婚?その意味を理解したのかして いないのか知らねぇが、まるで金槌で頭を殴られたときみたいにぐらぐらして痛むはずもないのにキリキリ痛んだ。

「お父さんが、お前もいい年なんだから結婚しろって。昨日初めて会った人と結婚しました」

の家は今時めずらしい旧家で、それなりに厳しい両親の元に生まれた次女だった。次女なためか、上の姉ほどは家に縛られなかったもの のこんなとこばかりはの家か。いつまで経っても結婚するそぶりも恋人を紹介するそぶりも見せない娘に業を煮やしたのか、政略結婚さ せられたというわけか。一昨日の夜にが俺に告げた言葉の意味を、ようやく理解した。逃げ場がほしかったんだ。にはまだ結婚をする つもりなどない。だからこそ、隠れ家がほしかったんだ。俺という逃げ場が。それなのに俺は、どうして。好きな女の小さな望みでさえ 叶えてやることもできない。惚れてる女の必死なサインでさえ、見逃してしまった。

が体を温めるように自分の肩を抱く。細い肩に、青いあざが見えた。白い首筋に赤い跡が見えた。俺の殺意を芽生えさせるには、十分だ った。無力な俺はの震える肩を抱いてやることもできず、自分の羽織を乱暴にの頭にかぶせて、家を後にした。

カラリコロリと下駄を鳴らして、舗装なんてされていない道を歩く。いつにも増して気分がいい。酒なんてまだ入ってねぇのに気持ちが 高揚しちまう。片腕を刀の柄に乗せると、べたりと腕に何かがついて普段なら不愉快だと思うくせになぜだか大笑いしたくなるほど愉快だ った。空が白み始めている。そろそろ明け方だ。は相変わらず縁側に座り込んで、白んできた空をぼんやりながめている。俺に気付いて こちらを振り返ると、驚いたようにすぐ目を見開いた。

「し、晋助、すごい血が…!」
「心配ねぇ、こりゃ全部返り血だ」
「かえり、ち…?」

気分がいい、なんて気分がいいんだろう。を傷物にされちまったことへの怒りはどうあっても収まりようもねぇし、後悔しか残らねぇ。 しかし過ぎたことだ、これから全部取り返せばいい。俺の中での踏ん切りもついたし、けじめもつけてきた。憂さ晴らしもできた。もう、 十分だろう。は俺のもんだ。血のついたままの腕での肩をつかんで引き寄せると、小さな悲鳴が耳に響いた。

「俺と来い」

真っ青な顔で、目に涙をためて首を横に振る。有無を言わさず口付けを落とした。





流罪に値する

20071228