しあわせ、幸せってなんだろうな。いきなりなんだと思われた方も少なくないでしょう。なぜなら私はただいま幸せ絶好調なはずだと思われている方が多いと思うからです。山崎への想いも実り晴れてカップルとなれたわけでして、そりゃ幸せいっぱいです。毎日が楽しくてしょうがないです。でもそれは、さっきまでの話です。私は自分の頭を整理するために机に突っ伏して先ほどまでのことをゆっくりと思い返してみることにしました。

付き合いだしてから毎日のように一緒に下校していた山崎から放課後になって、委員会があるから今日は先に帰っててと言われました。私はそれに素直にうなずきつつ、心の中でこっそり待っていて驚かせてみようという小さな策略を練っていたのですが、暇つぶしに校内を徘徊しているとき、いやなものを目にしました。告白シーンです。誰から誰への告白シーンだったと思いますか。遠藤さんから、山崎へのだったんです。声なんて聞こえませんが、以前も言ったとおり私は人よりほんの少しだけ勘がよかったものですから、状況を見た瞬間にすべて呑み込みました。遠藤さんのうつむきながら真っ赤にしている顔、山崎の意外そうに見開かれた目と驚いた顔。それだけで、十分でした。さて問題、遠藤さんとは?前回のお話を見ていただいた方にはわかると思いますが、遠藤さんとは山崎が私を好きになってくれる前に好きだった女の子のことです。私は思わずその場から逃げ出したのです。

それからも、山崎は教室へなかなか戻ってきません。よく考えてみれば教室に山崎の鞄がなかったのです。たぶんそのまま帰ったんだろうと思いました。それは残念で、しかし一方で安心してしまいました。山崎が遠藤さんにどう返事をするのか、私にはわからなかったからです。私を好きになってくれる前に、山崎がどれだけ遠藤さんのことを好きだったかはたぶん本人よりも私のほうがよく知っているからです。彼女を見つめる穏やかなあの目は、とても優しげだったから。山崎の彼女になってまだ一週間も経っていない私が自信なんて持てようはずもなく、ただひたすら喪失感に打ちひしがれていました。時間を重ねるにつれて私の頭の中で、山崎は遠藤さんの告白を受けたことが決定されていきました。

「やっぱり、ここにいた」

やさしい声音が私の鼓膜を揺さぶって、思わず私は大げさなくらいびくついて顔を上げました。扉からあきれたようにため息をついて入ってくるのは山崎で、その面持ちはどこか強張っているようにも見えました。

「遅くなるから先に帰れって言っただろう。下駄箱にお前の靴があるから驚いたよ。俺が気付かずに帰っちまったらどうするつもりだったんだ」

私は、逃げ出したくなりました。振られてしまう、振られてしまうと思ったからです。山崎に告白したときだってこんな不安はなかったのに、どうしていまさら怖くて震えてしまうんでしょう。一時でも、いい夢を見せてもらえたと思えばいいのに。私はわがままです。傲慢で、贅沢で、決して山崎に釣り合うような女ではないのです。これならまだ、付き合う前のほうがよかったのかもしれません。あのときは最初から期待することもなく諦めていましたから、欲も何もなく山崎と向き合っていることができました。しかし今はちがう。ひとつを手に入れると、それを二度と手放したくなる。離れていくのが怖くなる。私はわがままで欲張りないやな女になってしまう。こんな醜い姿、山崎には見られたくなかったのに。

?」
「おいてかないで…っ」

なんということでしょう。ついには泣きすがるようです。こんなみっともない姿、山崎には見てほしくないと言いつつも、状態はどんどんレベルアップしているように感じます。山崎が女の子の涙に弱いことは知っていました。だからというわけではありません。勝手に流れてくるんですから、しょうがないじゃないですか。告白した相手が遠藤さん以外の女の子だったら、まだ自信が持てたのかもしれません。言い切れませんが。どうしてあの人だったんでしょうか、遠藤さんだったんでしょうか、彼の昔の好きな人だったんでしょうか。どうして私はそれを目撃してしまったんでしょうか。何も知らないまま、突然別れを告げられたほうがまだあっさりと引けたのかも知れません。考える時間を与えられたせいか、私は自分の気持ちと向き合って山崎がとても大切でしょうがないことに気付いて、手放したくないと心が叫んでいることに気付いてしまったのです。プライドも何もありません。ただ必死に、私はすがりつこうとする自分と、それを止める自分の葛藤を抱いていました。

山崎は数秒かけて状況を理解したのか、私のほうに顔をゆがめて近づいてきたかと思えば山崎とは思えないほど強い力で私のことを抱き寄せるので、本気で私は困ってしまいました。その反応は私が予測したものとはまったく異なっていたからです。山崎は怒っているようでした。腕がふるふると震えていたのです。

「俺が、遠藤の告白を受けるって思ったのかよ」
「だ、だって、前に」
「今好きなのはだって言ったじゃないか!」

強い力に声音に、私はもう涙が止まりませんでした。さっきまで冷たくなっていた心にどろっとした温かいものが流れ込んでくる感触がわかる。山崎が悔しそうに、信じろよばかと小さく言うのが聞こえて、私は何度も何度も謝りました。小さな子供が母親に謝るみたいに、何度もごめんなさいを繰り返して山崎の背中に腕を回しました。信じていなかったわけではないのです、信じ方がよくわからなくて、それを少し間違えてしまっただけなのです。私は山崎が好きで本当に幸せを願っていたから、たぶん私と一緒にいるよりも遠藤さんと一緒にいたほうが山崎は幸せなんだろうと信じてしまっていたのです。それ自体が間違いだったんでしょうか。

山崎の私を抱く腕の力が緩んで少しだけ離れて顔を見合わせると、山崎は私の顔を見て顔をほころばせて困ったみたいに笑うんです。私のぐしゃぐしゃな顔がおもしろかったのか、それとも別の意味があったのかはわかりません。でもその顔がきれいで私は思わず泣くことを忘れました。顔がゆっくり近づいてきて、なんとなくキスだろうかと思いました。でも実際はちがって、額に思い切り頭突きをされて、また涙が目に浮かびました。文句を言う間もなくキスをされ、それが私のファーストキスになりました。

私は自分が思う以上に幸せだったのです。









夏に見た残像 // 080309