(エグいと思います。気分を害される方がいらっしゃるかもしれませんので、ご注意ください。)











国から目を背けられたような、ある腐った町で私は産み落とされ、物心ついたときには男と女の醜い関係を目の当たりにしてきた。日々繰り返される、母と呼ばれる人と毎日違う男との情事を見て、毎日のように私は気持ちが悪いと思った。吐き気を催したこともあっただろう。しかし吐くほどの物が胃の中にはなく、胃液を床に散らしては母に怒られることを恐れて自分の服とは言いがたい衣類で畳を擦った。母は私が何をしても何も言わない人だったが、仕事場である家の中を汚すことだけはひどく叱られた。叱るというよりも物に怒りをぶつけるような暴力と、憎しみの色を帯びた目でこちらを見られるたび、私は手のひらで目を覆い隠した。涙はいつからか出なくなり、恐怖もわからなくなった。ぶたれるくらいなら、そんな目で見られるくらいなら、いっそ存在を忘れ去られるくらいに静かに気配を消して生きようと小さく誓ったのはいくつのときだっただろうか。指の数で足りそうな年端の頃だった気がする。体を小さくたたんで部屋の片隅にいることが、癖になったのは。何も見ない、聞かない、感じない。いつしかそんな生活も、終わりを告げた。

いつからだっただろう。母が動かなくなった。それはもう何日にもなる。痩せこけた母の体に蝿が集りだしたころ、私は家を出た。どこへ行くでもなく、途方に日の差さない道を歩いているときだ。一人の男が声をかけてきた。男はひどく嫌な笑みを浮かべて私の腕を取り、何かを言った。何を言ったのかわからなかったが、とりあえず私はうなずいたような気がする。手を引かれて入った見知らぬ建物。派手な配色の部屋へ踏み入るとすぐに風呂場へ入れられた。見たこともないきれいな内装の風呂場に驚き、戸惑いながらも体を洗うと自分の痩せ細った体がみじめで、そこで私は久しぶりに涙が出た。理由はわからない、涙がこぼれた。風呂場を出ると男は乱暴に私を組み敷き、なんの準備もなく異物を体にねじ込まれた。母の情事をずっと見続けていたため、これが何の行為かすぐにわかったものの、体を引き裂かれるような痛みと恐怖に私は殺されるんだと思った。何度も何度も揺すぶられ、何かどろっとしたものを体中にかけられたのがわかって。私はすぐに吐いた。だがすぐにまた挿入されて、痛みに叫ぶことも忘れた。何度その行為を繰り返したであろう。痛みを感じなくなったころ、私は何も感じることがなくなった。

数分間の失神のあと、目を覚ますと男は隣で大きな寝息を立てて眠っていた。私は重い腰をひきずりながら服を着て、男の財布をつかんで部屋を飛び出した。外へ出て私がまずしたことは食事。生まれて初めて腹を満たしてから、やっと私は生きているということを実感し、これからの生き方を学んだような気がした。

それからの私は身を売って生活をするようになった。多少着飾って歩けば見れるようになったもので、客には困らなかった。情事の間は相変わらず何も感じることがなかったが、むしろ私はこれを好都合と捉えた。快感を得られぬかわりに痛みや恐怖を捨て去ることができるのであれば、安いものだ。客が帰ったあとに必ず嘔吐してしまうことにも目を瞑ろう。しかしこの生活も、長くは続かなくなった。

町の中心に、天人が経営する大きな遊郭ができた。客はすべてそこへ取られ、私も雇ってもらおうかと思ったが門前払いを食らい、途方に暮れた。しかし絶望はしなかった。むしろどこか気の晴れるような思いで帰り道をいった。町を出て、新たな場所で客を取る気にもならず、だからといって今から真面目に生き直すことも考えられず、私はその町に居座ることにした。数日後には金もつき、いつしか私の寝床は薄暗い路地裏の、ゴミの山の隣になった。そこは年中、日が差さない影に満ちた空間で、ああきっと私はこのまま誰に見つかることもなく死ぬのだろうと思った。それが叶わなかったのは、私に声をかけてくる奇妙な男がいたからだ。客だろうか。しかし私はもう客を取る気にはなれず、そっぽを向いていると煙管の煙を吹きかけられた。おかしな男だ。放っておけばいいものを。

「憎いか?」

私は何も答えなかった。憎いという感情が、よくわからなかったのだ。男は興味深そうにその目を細め、少しだけ笑んだ。

「お前は本当に、空なんだな」
「空っぽ?」
「感情を捨てなきゃならねぇ絶望があったってことだ」

男の言葉はひどく魅力的だった。でも私は何を思うこともせずに、ただ瞬きを忘れてその言葉を頭の中で繰り返した。男がふいに、ついてこいというように首を振るった。私はそこで初めて人間に興味を持ったような気がする。もうガクガク震えるようになってしまった足をひきずるように歩いて男のあとをついていった。路地裏から出て、まず光に目を細めた。男は立ち止まったまま、どこかを見つめているようだった。私はその視線を追い、それが遊郭であると認識してまた男へ視線を戻そうとしたとき。男が笑んで一言、こういった。

「そろそろだ」

何が、だろうか。口に出して聞いてみようか。迷ったのは一瞬、直後に大きな轟音が鼓膜を震わせた。それは何かが爆発するような音で、しかもとても激しい音。慌てて振り返りとさっきまで見ていたはずの遊郭が黒い煙をもくもくと吐き出しながら、ごうごう燃えているのだ。私は空の青を汚すように流れていく黒い煙をみつめながら呆然と立ち尽くしていると、なんだか冷たい風のようなものが心を通り抜けていく感じがした。なんだか心地良いそれに、私は思わず笑みを浮かべた。無意識に釣りあがった頬に戸惑いつつ男を見ると、なんだか男も楽しそうに煙管をくわえて煙を吐き出している。鋭い瞳が私をとらえて、こういった。

「どうだ?」

私は思わずうなずいた。

「あの遊郭のこと、憎いと思った日はなかったけど、なぜか胸がすっきりした」

本当に憎しみなどは抱えていなかった。しかしなぜだろう、こんなにも心晴れやかなのは。私の中に、何か風が巻き起こるような音がする。この男は、悪魔だろうか。そんなメルヘンなことを考えたのは生まれて初めてだ。だけどどうしてだろう、こんなにも惹かれる。神よりも、天使よりも、きっと私の目には神々しく映る男の姿が、とても恐ろしく、同時にとても優美に見えた。









中身は捨てた // 080826